死にたい原因
私は動物看護師をしていました。
小さい頃から動物はなんでも大好きで、彼らのためなら何でもしてあげたいと思ってこの職を目指しました。
でも実際勤めたら、人手が足りずにいつも多くの業務に追われ、先輩達はとても怖くていつも行動を見られている気がしてだんだんと心に余裕が無くなってきました。
そしてついに入院してる子達に対して「なんでこんなに苦労ばっかりかけるんだ」という気持ちまで湧いてきてしまいました。
そういう仕事だとは分かっていたのにです。一番苦しんでいるのはその子達とそのご家族なのに、自分が一番みじめで苦しい思いをしていると勘違いしてこんな酷い事を思うほど自分が非情で身勝手な人間だと知って絶望しました。
そんな中で四匹の子が亡くなりました。
一匹は熱中症の小鳥で、私はそうと知らずにセオリー通りに小鳥の籠に蒸しタオルをかけてしまい、それが原因で小鳥は一瞬で息を引き取りました。私が殺しました。
もう一匹は私が手術の麻酔管理についた小鳥で、術後は元気そうだったのに飼い主さんのお迎えを待たずいつの間にか亡くなっていました。なぜもっときちんと見てあげなかったのかと後悔しました。
もう一匹はウズラで、来院する前に電話をかけてきて私が電話応対したのですが情報の引き継ぎがうまくできていなかったようでした。後で先輩に私が必要な事を先生に伝えておかなかったからこうなったんだと言われました。
もう一匹は犬で、点滴チューブが首に絡まって亡くなってしまいました。昼休みから最初に上がった人が入院の子の世話と掃除などの雑務をすることになっていましたが、私は全員をきちんと診ていたら雑務も時間内に終わらない、先輩に怒られると思い軽く様子を見ただけで流してしまいました。きっと私が様子をみた頃にはすでに点滴チューブは首に絡まっていたと思います。私の保身と怠慢のためにこの子は死にました。
私は非情で自分勝手な人間です。動物を助けたいと思ったのに、最終的に彼らを憎みそして死なせてしまいました。これだけは弁解しますが殺意も悪意も全くなく、故意でもありませんでした。それでも彼らの死に関わったという事実は変わりません。
これからずっと似たような過ちを犯し続けるでしょう。これ以上誰かを不幸にする前に今死んでしまいたいのです。最期に我儘を言うなら、罪を清めて極楽に往生したいと思います。仏様は救ってくださるでしょうか。
お坊さんからの回答 3件
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動物を愛することは死も受け入れることが大切です。
つぐみさん、こんにちは。
愛する動物ののために動物看護師になられたのですね。有難うございます。
仕事が詰まりすぎて心を込めて看護できなかった。それが私がきっかけではないかと悩んでいるみたいですが、プロだからといって100%成功するとは限りません。医療従事者のプロになるということは死をも受け入れることで本当のプロになります。その時その時に最善の努力をつくす。でも亡くなることもあるのです。その悲しみとを乗り越えて反省改善し、更に技術を上げて患者に対して治療をするのがプロなのです。もし死が嫌であれば、100%安全な治療しかできません。それでは難病の患者、生死の境ににいる患者は最後の治療のチャンスを受けられなくなってしまいます。そちらの方が不幸です。
故意ではないのですから心から供養してあげてください。そして唯一の償いと考えるならば、更なる看護技術を磨いてください。誰でも最初からできる看護師はいないのです。失敗を経験しながら看護技術を磨いてください。
がんばって!合掌
貴方は生きなければなりません
拝
あなたが抱えている苦しみも
誰もが抱える苦しみも
全ては一定で無い事が原因です
例えば、命が不変で老いも死も無く楽しく気持ちの良い事が続けば
私もあなたも永遠に幸せであったでしょう
私も子供の頃から動物が好きでした
育った家が酪農家でたくさんの家畜と共に育ったので
動物と遊んでいる時間がとても多く
また反面多くの命を不注意で亡くしてしまいました
今も40以上鶏さんを飼ってみたり
怪我をした動物を治療してあげたりするのですが
どの死も自分より圧倒的に力の無い生き物の死ですから
自分の不注意を責めなかった事はまずありません…
これもまた動物の命が一定で無いが故の苦しみですね
しかし自分を責める事自体は
良いのだと思います
いくら医学書を読み倒しても命は救えません
自責と己の無力さを知っている人こそ観察力が備わり命を救えるのです
正直貴方がこのタイミングで死んでしまうとしたら
極楽は遠いのかもしれません
まずは、自分への悲しみと怒りから離れて
自分の過ちを受け入れると何が残るか自身の心も観察してごらんなさい
もしこのまま逃げずに命が持つ苦しみに向き合ったなら
貴方の未来には沢山不幸な動物達が居る事でしょう
人の少なくなった病院ではまた多くの事故が起きるでしょうね
飼い主に捨てられたり
可愛がられてなかったり飼い主の愛情を知らない動物達も
貴方の元に沢山来る事でしょう
その子達に愛情をかけられるのはこの苦しみを知る貴方しかいないのです
そして旅立つ命の願いは皆一緒
幸せである事
貴方はその子達の分も幸せになるよう心がけてください
合掌
供養
つぐみ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
つぐみさん・・誠にお優しいお方なのでしょうね・・しかし、誠にそれは自分を責めすぎで、極端な考え方です・・ダメですよ・・
つぐみさんがそんなふうにおっしゃるならば、拙生など全く救いようのない者に・・
とにかく、誰もが虫たちを知らずのうちに、また、無情にも蚊取り線香を焚いたり、ゴキブリホイホイを設置したりして殺めてしまっていることもあります・・
または、牛や鳥などの動物たちの肉も日々食べてしまっています・・つまり、間接的にそのものたちを殺めていることを黙認しているようなものです・・
人間ならダメで、動物や虫ならオッケーということももちろんありません。
しかし、生きていく中においては、どうしても誰もが犠牲としてしまう「いのち」があって、それにより生かされているということがあり、そのものたちへの感謝の思いは決して忘れてはならないと存じております。
そういえば・・先日には、猛毒を持つセアカゴケグモを墓所掃除で見つけるやいなや、お参りの人への危害を恐れて即座に殺してしまいました・・更に告白すれば、夏には蜂の巣もお参りの方への危害を恐れて殺虫剤をかけて皆殺しにしてしまいました・・
綺麗事は言えません。言えませんが、心の中では、ごめんなさい、すいませんと謝り、そして、どうか次の生は、より善い赴き、仏様、仏法との良いご縁がありますようにと、節目節目において、動物、虫たちを供養する供養塔の前にて、ご供養、回向を申し上げさせて頂いております。
供養は、「供(とも)に仏法を養う(実践していく)」ということです。虫たちも、動物たちも、皆がやがて悟りへと至れるように、日々、慚愧、懺悔しながらにでも、何とか少しずつにでも仏道を前へと進めて参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
みなさんありがとうございました。
もし思いとどまるような事があれば出家して尼さんになりたいと思います。