回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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過去を捨てて、今を充実して生きてください。
ひかりさんへ、こんにちは。
虚しいのですね。
人の人生は虚しいものなのです。そこから一瞬の明かりを求めて人は生きるのですから。
過去にいろいろとつらいことがあって、人間不信に落ちいっているみたいですが、でも素晴らしい人間もいるのも事実です。その素晴らしい方に出会わなかったことは辛かったことですが、あなたはもうハスノハにご縁ができたのですからたくさんの素晴らしいお坊さんと交流ができるわけです。
虚しさは自分から動かないと消えません。心の充実をしていきましょう。趣味を選んで楽しんでください。たまにはお寺めぐりもいいですよ。
ゆっくり趣味を通して生きることの面白さを学ぶことがコツです。あせらずいきましょう。合掌
虚しさとは
虚しさとは周りから与えられるものではありません。過去の様子と今の様子を頭の中で比較した時に起きるものです。もしくは理想を立ててそれと比べたときに感じることでしょう。つまり自分で作り上げたものなんです。ホントビックリです^_^
今晩わたしは野菜を多めにした、焼きそばを食べました^_^
虚しい人は食べる前の山盛りの様子を記憶していますから、食べ終わった後のお皿を見て、もう無くなっちゃったと凹むわけです。あんなにあったのにーなんて言って。
しかし、幸せな人は、物事の見方を知ってますから、食べる前の様子はそれはそれ。食べてる時もその味がただしている。そして、食べ終わったときには皿にはないけれど、お腹の満足感を今の様子としてしっかり感じることができるのです。
比較は事実を見えなくさせます。ときに事実を歪め、自らを苦しめる原因をつくります。
ご自分の思考の癖に気付くことが第一歩です。
では
質問者からのお礼
遠藤喨及 様
はい、そうします(^^)!
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なんてできれば楽ですよ。
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邦元 様
ご回答ありがとうございます。
私は過去と今を比べているのでしょうか。
焼そば…良いですね。野菜のない方が好きです。
私は人間関係での幸せというものを知りません。感謝が足りない、幸せだと気付けないだけだと言われますが、心に傷のある欠陥人間の私には無理でしょう。
時々、生きているのが無性に虚しくなります。
それは自身が比べて作り出している感情だとするなら、感情をなくしてしまいたいです。
自分に素直になるとネガティブなダメ人間。人格交代しているときが、家族も含め、他者が必要としている、明朗快活でポジティブな人間なのです。
これを比べて虚しくなるのは、いけないことですか?
過去と今ではなく、基本の自分と交代の自分を比べてしまう様です。
哀しいです。
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染川智勇 様
ご理解下さった優しいご回答、ありがとうございます。
過去、捨てたいです。頭の中では捨てているのですが、心と身体が忘れてくれないのです(泣)。
ハスノハのお坊様方には感謝します。ですが最近、ここを退会することを考えました。
私の様なくだらない人間の質問に、お時間を割いていただくのが申し訳ない気がしたからです。
>虚しさは自分から動かないと消えません。
響きました。確かにそうかも知れません。
ここ2週間、病気治療と自宅安静で動けなかったのです。単純に考えると、そのために虚しさに繋がってしまったのでしょうか。
今は体調のこともあり、趣味ができない状態にありますが、お寺さん巡り、やってみたいです。趣味にして良いのか迷いますが…。
生きることの面白さは、学ぶものなのですね。『生きるとは辛いこと』、『生きるとは苦しみ』だと感じているので、生きるとは本当に面白いのか?、学ばないといけませんね。
ありがとうございました。