hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

回答数回答 2
有り難し有り難し 27

お釈迦様は誰にでも私にでも平等でしょうか


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間の都合を離れて眺めれば元々すべてが平等

ここで申し上げる平等とは、人間の損得感情による平等ではありません。
人間の自分を中心としたものの見方で世界を眺めれば、どんな顔に生まれてくるか、どこの家に生まれてくるか、みんなバラバラです。
誰でも24時間は平等です。
太陽も月も観る国によって角度は異なりますが平等に照らしています。
この世は「自分」よりも先に実相、事実、法則がそこに先にあります。
その法則は人間の言うところの平等不平等ではありません。それが仏の平等というものです。
人間様の言う平等というものとは少し意味が異なります。
自身を「私」であると「自分」を認めるものには平等だとは思えないものです。
人間の苦しみや不満や不平は「自分越しに」ものごとを眺めることから起こります。
まず、本当にあなたが楽になりたければ、
「自分自分した自分」を捨ててしまう事で、あなたの描いている理想的な幸せよりももっと大きな幸せが手に入るでしょう。
「自分自分した自分」は無自覚なものです。
私はそんな自分自分しているつもりはないと思っても、無自覚ながらに働いてしまっているものです。
仏教を学ぶ上で気を付けなければいけないことがあります。
「自分」を強く認めたうえで、仏教を求めないことです。
何がいけないか。
自分を強く握っている人は、仏教が目指させるところとは正反対の方向にいるからです。
私もかつて自分越しに仏教を学んでも何も役に立ちませんでした。
役に立つたたないという事ではないですが、仏教を学びつつも「自分自分した自分」や「自分の理想とする、理想的仏教ものがたり」を手放せないという事は、どこまでいってもそれは「わたくし」というエゴWORLDの延長線上なのです。
思い切って、あらかじめ先立てている想定ごと、期待、ルールを捨ててみましょう。
あらかじめもらいたいことが決まっているという事は自分を不自由にさせることだと思いませんか。
私の答えは、あなたの言ってほしいことを言う事であなたのエゴを満足させることではありません。
あなたにより大きな幸せに気づいて頂く為に、あなたの事前の想定を奪い去ってでも、無自覚な「自分自分した自分意識」を奪い去ることです。
仏教を学んでいるつもりでも、それが働いている事で自分を苦しめるからです。
いつまでたっても、変わっていかないのはそれが根底にあるという事。そこにお気づき頂ければ、人生が変わります。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

佛教の法(真理)は平等です

お釈迦様の教えられた佛教の法(真理)は、それが真理であるがゆえに誰に対しても平等です。

{{count}}
有り難し
おきもち

新潟県上越市、龍興山宗恩寺住職。

質問者からのお礼

百目鬼洋一 様
良かったです。
有り難うございました。

丹下 覚元 様
私が私を認める事もしてはいけないのですか。今までもこれからも。私はやはり道具ですかコマですか

丹下様、有り難うございました

丹下覚元 様
おはようございます。
ごめんなさい。
私、死のうとしてた。いろんなお坊さんが手を差しのべてくれてるのに、その手を振り払って辛いと言ってた。
丹下様、ごめんなさい。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ