私の気持ちはいったい……
私の母が11月29日に癌で亡くなりました。発覚から2ヶ月もちませんでした。私の最後を看とることが出来ませんでした。(私の住む所から病院迄は1時間半かかります。)夕方の5時に血圧が測れなくなったと父から電話が来てから急いだのですが間に合わなったのです。それからは泣いて泣いて泣いて。葬儀が終わった途端涙も出なく普通に生活してます。母の死をドッキリなんじゃないかと思ってしまうほど現実逃避してるみたい。夢に度々母が出て来てくれるのですがその後は涙が出て寂しいのですが……私は冷血なのでしょうか。。。。
9年前に息子を亡くした時は苦しく2ヶ月も
引き込もってしまっていたのに……
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私も、一緒に手を合わせますね。
そぅ。。。突然のことだったのですね。。。お寂しくなりますね。。。
死別を味わっても、悲しみ様は、人それぞれです。涙が出ない人もいますし、日常にすぐ戻れる人もいますが、それでも愛する人との別れは、この上ない苦しみですよ。平気な人はいません。
あなたも、こうして、お母さまの死を受け入れながらも、ハスノハに投稿されているでしょ。冷血なんかじゃない。なんらかの心のダメージが、あるのです。それだけ、悲しみの中にいるのです。
でもね、仏教では、死んでいく命ではなく、お浄土へ生まれていく命と説いています。それが、仏様の救いです。だから、往生(往き生まれる)と言うのです。
私も、一緒に手を合わせますね。
息子さんと共に、お母さまも、救われていかれた命として、手を合わせ続けましょうね。
そこには、いつでも。あなたの側にいてくださっているのですよ。 合掌
故人様がたは亡くなった後で喜んでくださることがある
親の死というものは人間何となく無意識でいつか死が来るという事を弁えているものです。
お子さんの死というものは本当に残念なことだっとも思います。
禅僧の書にも
「父死に、子死に、孫死に…」と年齢順に死んでいくのが望ましいことであるという意味でも遺されているものがあります。
大切なのは最期を看取るという事よりも、あなたが今後、どう生きていくかという事です。
お母さんがどういうふうに無くなっていったかという事よりも、あなたに今までどれほど多くのことを残してくれた、してくれたか。思い起こすこと10000の内、あなたがどれだけ沢山の良い授かり、恩恵を見出せるかという事です。だから、あなたはいつまでも悲しんでいたりクヨクヨしていてはいけません。
お母さんがお喜びになられるような、沢山の人を笑顔に出来る人間性の向上に努めるべきです。
それが仏道、仏心、仏の教えを学び、普段の生活に活かすことです。
人の生はいつか終わるものです。
ですが、活という形で生きていきます。
お母さまとお子様は無くなられてしまいました。
ですが、頂いたこと、共に過ごされたこと、授かった事、沢山の暖かい思い出だってあるはずです。
その心を宿して、報恩の行に勤めるべく心のやすらぎや人間的成長の心を胸に生きてください。いずれこの自分の身も世界にお返しします。
いつお迎えが来ても恥ずかしくない様に、自分自分という気持ちを離れて多くの人に喜ばれる生き方を見出してください。
霊、霊魂とは禅においては亡き人を想う気持ちや、亡き人と関わってきたことで生じた、永遠に消えることのないあなたの中の作用です。
あなたが悪いことをすれば故人様はお喜びにならない。
あなたが故人様が喜ぶであろうことをすればあなたの中の故人様方がお喜びになることは確かな事実なのです。あなたとお子さんとお母さまとはちゃんと沢山の関わりがあったのですから。
内なるお母さん、内なるお子さんを実感してみてください。