身体障害者になってしまい辛い
私は、去年脳の病気してしまい急に身体障害者になってしまい辛い死にたいです。電話だと母親に切られるのでメールで返事をください。もう電話切ったとかで母親とケンカしたくありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
辛いでしょうけれど、「生きて下さい」…それだけです。
本当に辛いお気持ちをお察し致します。
…と申しながら、私にはあなたの御心を察することなど出来ません。あなたの今感じておられるそのお辛さは私の想像を遥かに超えたものでありましょう。
死にたいくらいお辛いのですね…。
でも、今は生きておられる…死にたいくらいなのに生きている。世にはまた、「どうあっても生きていたいのにその願いが叶わず、命終わっていく」お方もおみえになります。
自分の命も、自分の身体も、自分の人生も自分の思うようにはなりません。
私だってこれからも生きていれば将来、痴呆症や寝たきり状態になったりで、「生きていたくない」と嘆くかも知れません。
その時には、あなたのお気持ちがわかるようになるかも知れません。その時に初めて人としての優しさを身に得ることが出来るのかも知れません。
お辛いでしょうが、今あなたは生きています。
だから、今なら辛い状況に置かれたお方々のお気持ちが分かるのではないでしょうか。
ならば、その方にあなたの想いを寄せましょう。またどうかあなたがそのお方々の心強いお仲間となって下さい。
どうか、生きて下さい…死ぬことはいつでも出来ます…。
それまで、今のあなたに出来ることを探して下さい。そして、それはきっとあります。
ハスノハの僧侶方はこれからもあなたの味方として、寄り添い続けます。
どうか生きて下さい…。
学びとなります
まっちさん、はじめまして。質問を拝読いたしました。
まっちさんは、昨年脳の病を患い身体の障害を持つようになったのですね。そして、今は死にたいほどの辛い思いを抱えておられるのですね。
身体の障害は、生まれついて障害のある方と途中で障害を負った方では受け取り方が大きく違うようです。
一昨年に、私は四十代半ばで光を失った小学校教諭の方から話を伺うことができました。彼女は病気により徐々に光を失い、「どのような手立てもありません」と医師から告げられたそうです。その時は、ショックと絶望で死にたいと思ったそうです。
しかし、彼女は「もう一度小学校教諭として教壇に立ちたい」と願い、光を失った後に歩行訓練などのリハビリを行いました。彼女が白杖で歩行訓練をしていたとき、指導員に言われた言葉が彼女を前向きにさせてくれました。
「あなた、下ばかり見ていないで前を向いて歩きなさい」
光を失い、暗闇を杖1つで歩くことは怖いことです。そのため、彼女はどうしても足元を探りながら下を向いて腰をかがめて歩いていたのです。指導員の言葉に彼女はハッとしました。前を向かなくてはどこにも行けない。小学校教諭として子どもたちの前に立てない。
その後、彼女は小学校教諭として復帰を果たし定年退職まで10年間も小学校で勤務したそうです。
まっちさんのつらさは、きっと学びとなります。まっちさんが希望の光を失わないよう祈念しております。