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努力について

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有り難し有り難し 26

よろしくお願いいたします。
道徳なんかですと、「努力は必ず報われる」というな感覚だと思いますが、仏教ではそのような場面に関しての考え方はございますか。

例えば、高校、大学受験や難関の資格試験等に関してです。
特にこういった合格、不合格のはっきりしたものでは、不合格になり、尚且つ諦めてしまえば何も残らないと思っております。
高校、大学受験は期限があるものなので仕方ない部分もあると思いますが、
難関の資格試験については、諦めても努力は忍耐として精神に残る。諦めてもそれまでの知識は役に立つ。
というような言葉は、最初の決心を諦めた後ろめたさをごまかすための、気休めや言い訳に思えてしまうのですが。

仏教は未来をつかさどるものではないと伺った事がありますが、努力は実るも実らぬも結局、自分次第の能力のみでしょうか。

よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

二元論で考えない

まず、本来、僧侶は生産活動をしません。結果を求めれば苦が生まれるからです。
満足な結果が得られなかったら当然辛いですよね。でも、満足いく結果が得られたとしても、その結果に愛着が生まれ、結局はその愛着がいつか苦になります。だから満足と不満足は表裏一体で、どちらも苦につながる…その原因は結果を求める所にある!と、これが仏教の前提です。

上座部仏教ではこの考えが特に顕著で、出家と在家(非出家)を明確に分けています。スマナサーラ長老はお医者さんに「医療は殺生?どういう気持ちで治療にあたればいいでしょう?」と聞かれたところ、「医師には僧侶のような生き方はできません」とハッキリ答えています。まずはこういった考え方が仏教の根底にあるとご理解ください。(大乗仏教は在家も救われることを証明してやる!と言って発展したので生産活動とハイブリッドした面がある)

「悪因悪果、善因善果」は?と思われるかもしれませんが、民間レベルではあくまで「頑張りましょう」という道徳論です。仏教思想としては無我が前提ですから利害のような報いの話ではありません。

じゃあどうするか?一瞬一瞬の今(刹那滅)を一所懸命に生きることで、以前にも以後にも目をつけないんです。そうすれば苦が生まれる地雷を自然と踏まずに生きることができるという考え方です。

では一般社会では?
私は「人による」と思います。個々人の話であれば、難関の資格を取れても取れなくても今ある物で精一杯頑張るしかありません。食えなくても上を目指すか、まずは食っていくかは自由です。どっちが正しいかはキノコ・タケノコ戦争だと私は思います。
でも、社員や家族…誰かを食わせていかないといけない立場になると、結果は必須なんですよね。それはそれで道筋は何パターンもあるのでしょうが、個々人とは別軸の話になるでしょう。
そう考えると答えは1つじゃないんですよね。周囲の環境で変わります。
つまり人は自分1人で存在しない。周りとの繋がりを含めた上での流動的な自分が、本当の自分…

早い話が、他人を評価するのに方程式に当てはめるのではなく、その人自身をしっかり観察し、接して良さや課題を考えましょう。そして適材適所を考えましょうということです。
能力なんてジャンケンだというのが私の信条です。そこが認められないとせっかく実っているものも腐らせてしまいます。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

努力すれば努力したということがある

何をするにしても努力という行為そのものが結果です。
演奏ならば、努力して演奏すれば、努力して演奏したということが真実。
渾身の力でひいたピアノの一音が、たまたまズレてしまえば、ズレたという事がおこなわれる。
理にかなっていない間違ったことを努力すれば、理にかなっていない間違ったことを一生懸命努力したという結果がある。
仏道は、渾身の行いです。
うまくいくいかないはあとの事。
ヒットするしないは、あとの事。
一心に、突き進んでいれば、必ず、そこを、まっすぐに、進んでいる。
そこに、結果、判断、善し悪し、〇×、善し悪しの評価はそこに入る余地すらないのが、仏道です。
うまくいっても、いかなくても、その通りであるということが、仏道です。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

努力は何かしらの結果が出る

indigoさま

努力についてですが、まず「報われる」という定義によって違うと思います。

受験であれば受かることでしょうか。報われるというのは努力した分だけ身になる,何かしらの力がつく,結果がでる。ということでしょう。
因果の法則にのっとって結果が出るというだけでしょう。

話は違いますが良く夢を見よと世の中でよく言われています。夢を持っていないのは良くないことのように。

私は将来像ばかり考えて足元がおろそかになってしまうことに問題があるように思います。今できる努力をすれば、その分だけ結果は出るし,時として周りも認めてくれる。
周りに認められようと努力することは本質と少しずれるように感じます。何も考えずただただ努力すればいいのではないでしょうか。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...

全てはご縁です。

努力が自分にとっていい結果をもたらすかどうか、それら全てご縁です。
だからどうなるか分かりません。
努力すれば何事も叶うならば悩みはありません。
全ての事象は、多くの縁が重なり合って起こりますから、私の側ではどうにもできないことがあります。

当然、この世の中は努力をしなければ結果が得られないものが多いでしょう。
しかし、努力をしたからと言って結果が付いてくる訳ではありません。

そして、本当に私たちに必要なものは何でしょうか?
それを考えたならば、本当の意味での「幸せ」は私の努力では得られないものだと思います。
仏様の智慧を聞くならば、また違った視点で人生を見る事ができると思います。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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