幸せってなんなんでしょう
31歳独身女性です。
最近6歳年下の彼氏が出来ました。
すごくかっこいいわけではないですが、わたしが持っていないものをたくさん持っている人です。
私から積極的にアプローチして、「僕でいいなら」という形でお付き合いがスタートしました。
付き合えたことはすごく嬉しいのに、「彼はまだ若いし、きっと結婚のこととか考えてくれないんだろうな」とか
SNSでの彼の言動に憂鬱になったり(私は彼をフォローしていません)
なんだか自分の感情の動きが卑しくて、辛く悲しくなります。
周りは結婚・出産・家や車を買うなど人生を順調に進めているのに
私は独身・・仕事で成功しているわけでも誰かに熱烈に愛されているわけでもない。
冷静に考えれば周りの人たちだって何かしら悩みを抱えているのだろうし、
私だって側から見れば若い彼氏がいて、趣味も充実してて、幸せなはずなのに
なんだか満たされない気持ちなのはなぜでしょうか。
幸せってなんなんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
渇愛から信愛へ、そして…
幸せとは何でしょうね。
愛する人と結ばれることは幸せなのか、と問うと仏教的に言えば否定的な答えになるかもしれません。
釈尊は
「この世において執着のもとであるこのうずく愛欲のなすがままである人は、もろもろの憂いが増大する」ダンマパダ335
「この世において如何ともしがたいこのうずく愛欲を断ったならば、憂いはその人から消え失せる。」ダンマパダ336
とおっしゃります。仏教で一般的にいう愛は渇愛(かつあい)です。つまり執着・貪る心です。求めて求めて満足をしらずいつまでも渇いている状態です。
しかし、人間はやはり愛する人を求めます。もし愛が人間の中にあるのあら、人は思うままに相手を愛し、苦しくなることはないのでしょう。
愛は人の中にあるのでなく、人は愛という関係に試されているのです。
誰でもおそらくはじまりは渇愛です。しかし渇愛のままでは結局相手を愛しきれないのです。相手は私ではないのですから思うままにならないのは当たり前なのですが、我々はこの単純な事実を忘れて相手を支配しようとします。
そしてこの渇愛では愛しきれない壁にぶち当たった時に、渇愛に敗れて愛という関係も終えていくのか、渇愛を超えた愛に目覚めていくのか我々は問われています。
その愛を浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は「信愛(信は…愛なり)」とか「欲願愛悦の心」などと言います。
信愛…相手を信じる愛。相手を信じるとは相手を「私の思い」で信じるのでなく、相手をそのまま受け入れる愛です。その愛は悦(よろこび)であると言うのです。
相手を貪るのでなく、相手を信じるならば悦びが生じるのです。
今はまだ始まったばかりの愛。まさに愛に試されていく過程の最中です。渇愛を経て信愛にたどり着き、最後はまた愛別離苦という別離の壁にぶち当たっていきます。
我々の愛はどこまでも答えであることを許さず、問い続けるものとして存在しているのです。
だから釈尊は「断て」と言う。
本当の幸せとは何か。
たとえ愛する人であろうとも頼りにならないものであることを知ることです。いつかは離れなければならない。諸行無常~変わらないものは何もない~という真実の前には愛も同様です。
頼りになるものなど何もないと知らされた私が本当に頼りになるものに出会う。それは仏法です。
皮肉なことに我々は誰かを愛することでそれに出会うのかもしれません。
大切なのは周りとの比較ではなく、彼との関係
今、ドラマにもなって話題の「東京たられば娘」でも、年下の男性とのもどかしい恋愛を描いていますね。
正直、26歳の若僧のぼくから良いアドバイスができるかは不安ですが、おそらく彼と同世代ですので、彼の気持ちになって書かせて頂きます・・・
よう彼が年下ということで、「若い人と浮気してしまうんじゃないか」とか「出会いもたくさんあるんじゃないか」という実体のない嫉妬と、「やっぱり若い女性のほうがいいんではないか」「早く結婚しないと周りに置いて行かれてしまう」という劣等感が不安の原因です。
つまり「周りと自分を比較するから生じる不安」です。
周りと比較することは大切です。
しかし、この場合で言うと大切なのは「あなたと彼」の二人の関係です。
いまは、学生のように恋いに恋して、彼と自分の事だけを考え、外に目を向けず、二人の関係を見つめてみて下さい。
彼としっかり向き合えばきっと、不安も少なくなるのではないでしょうか。
しあわせ・幸せ・仕合わせ
中島みゆきの名曲「糸」はご存じでしょうか。
【縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを 人は仕合わせと 呼びます】
とりあえずまず、彼氏ができておめでとうございます。
縦と横の糸が出会って、今から何かが縫われてようとしていますね!
色々な感情はあるでしょうが、どんな想いがあっても、少しずつ二人の関係を編んでいくことが大事だと思いますよ。
幸せは「仕合わせ」です。
意味は「起こりうるすべてのこと」です。
起こりうるすべてを、パートナーとすべて受け入れていくこと。
イイとかワルイとかは、個人の味付けです。
付き合ってたら色んなことがあるでしょう。
でも、どれもすべて「仕合わせ」と受け止め、
「幸せ」を見つけていくとイイんじゃないでしょうかね(^_^)
空白部分を見るよりも
入っている分を見ましょうよ。
まさに「幸福とは何ですか」、それを問いたくなる状況ですね。
トータル総体として「満たされていない」のは、恐らく誰もが同じです。アレもあり、コレもあるけど、ソレがない。誰にとっても普通の状態です。
コップの水を半分捨てて、「半分カラになっている」と見るか、「半分残っている・満ちている」と見るか?視点の持ち方の問題だ、という訳です。
そう、貴女はカラの部分を見ている。しかも人間はコップでなく、総容量はきっと無限です。
「何か満たされないの」とか空ばかり見ていると、実の部分がいつの間にか腐ってしまうかも知れませんよ。
それとも…現実を見ないことに、何かメリットがあるのかも知れませんよ。
焦らず、理想を掲げず
あなたの理想どうりにならないから寂しいような気がするのでしょう。
理想を前提として、彼をみているから。
そのまんまの彼を見て信用できる人なのかを判断しましょう。
期待通りの反応がないこともあります。それも当たり前、期待をせずありのままを受け入れるのです。
ただお子さんのことを考えると、年齢も関係しますよね。落ち着いてきたら、結婚を前提に考えてもらえるか聞いて見たらいいですね。
考えてもらえないなら早く別れ、真剣にお付き合いできる人を見つけた方がいいかもしれませんね。
いずれにせよ焦らずご自分が心から支えていきたい思える人、お互いに支え合える関係を作れる人を見つけたいですね。