うつ病か更年期かは別として、悩みから生きる意味を失いつつある中、時にずいぶん前に自殺してしまった母方の従姉妹(唯一の理解者であるご主人と離婚してしまったこと等)のことがふとよぎることがあります。
実は以前に自殺未遂した父方の叔母の巻き添えで亡くなってしまった従姉妹(幼い子供でした)のことも含め、供養のお経をあげてもらったことがあります。
自分は今、生きる意味を失いつつありますが、自制はキチンとついているつもりですが、ふと思い出すこの従姉妹の事について、普段はもう接点のない私に何か意味があるのか?すべき事があるのか?
どうぞアドバイスをお願いいたします。
お坊さんからの回答 8件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そんなことがあったんですね〜 お辛い思いをされたんですね。
私達は、生を考えるとき、同時に生死を考えます。そして、身近な大切な人、死別した方を思い出します。特に突然の別れであれば、何を思っていただろう〜私に何が出来たのだろうか〜と思い悩みます。
日頃、接点がないのに、ふっと思い出すのは、何かあちらからの強いメッセージなのかな⁉と重たい意味に考えて不安にならず、あなたが今 生きるということに しっかりと向き合っているという事ではないでしょうか。それはとても大切なこと。
私もそうなんですがね。。。自分を深く見つめると、時には どうしようも出来ない自分に気づくので、しんどくなる時がありますが、だからこそ、仏はそばで 寄り添ってくださっているのだなと嬉しくなります。先に往かれた方々が、尊いご縁に気づかせて下さったからです。
この気持ちを身体で感じる。ときには、お寺へ ご聴聞に参られるのも良いですよ。お寺は、そんな尊いご縁に出遇える場所、共に 喜び合える仲間が集う場所なんですもの。
あなたのお辛い境遇を従姉妹さんに重ねておられるのでありましょう。
お辛いでしょうね。
お話をお伺いしたいと思います。いつでもご連絡をくださいませ。
私は学生時代に一人暮らしをしていて落ち込んで落ち込んで自殺を考えたことがありました。
一人でいるとロクなこと考えませんからね。
孤独、孤独…、でしたよ。
友達が少なかったというのもありましたが、何かそれだけではなかったような。
おそらく真の共感者、理解者に恵まれていなかったという事。
それが私を自死に向かわせた最大の原因であったと思います。
芸術や哲学や心理学にも答えを求めましたが、私が求めていた潤いを与えてはくれませんでした。
ある時、どうせ死ぬんだったら、この世の本当のことを学んでから死んでもでも遅くはない、と思いました。
その時、この世の本当のことはなんだろうか、本当の真理とは何だろうか、自分が納得できる答えが欲しい、と真剣に仏教を勉強しようと思い立ったのです。
劇的に変化がありましたよ。
それまでは一応、仏教を学んでいたつもりではありましたが、それは違った。
国語、英語、数学、社会、…、仏教と、勉強の一つとして学んでいる感覚だったのです。
勉強、学問の一つだと思っていたのですね。
死を覚悟してからは、学ぶ姿勢、求め方がガラリと変わりました。
カラッカラに乾いた布が水を瞬時に吸収するように、仏教、禅の教えがぐんぐん中に染み込んで行く感覚だったのです。尊い体験でした。なぜ尊いのか、
仏の教えを学ぶということは、
同時にこの世の最高の三つの宝が手に入る、ということです。
最高の宝、それは良き師、救いとなる教え、良き理解者という仲間です。
それこそが、仏法僧なのです。
人生の師、リーダー、心の師という宝、
悩みや苦しみから救われる薬であり、教えという宝
沢山のお仲間という宝(僧伽)を持つ、という事であります
お寺に集われる方々は、みんな心の安らぎ、生きる希望を求めておられる方々です。
私にも真実を求める仲間、悟りを求める仲間が出来ました。
分からないことがありましたら、あなたのお仲間の一人としてお力になりたいと思います。
ハニージョーさま
初めまして、真宗僧侶の浦上哲也と申します。
以前に母方の従姉妹が自死で亡くなり、また父方の従姉妹も巻き込まれて亡くなられた過去があるのですね。
そして現在、従姉妹たちのことを思い出し、彼女たちの人生の意味や、ご自身の為すべき事に迷われている。生きる意味を失いつつある。
以上のような状況にある、と私は読ませて頂きましたが、如何でしょうか。
亡くなった方のために生者が何が出来るのか。これは故人と意思の疎通が出来ない以上、決して答えの出ない問題だと思います。
それを踏まえて、あえて言えば「法供養」を為すべきではないでしょうか。
私は真宗(浄土真宗)の僧侶ですが、当宗派では「亡くなった方は仏となって極楽浄土にいらっしゃる」と考えます。
その仏さまとなった故人が何を喜ばれるか。それは今を生きる縁のある方が、仏さまの教え(法)を依りどころとして生きる、という事だと思います。
盲目的に仏教を信じなさい、という事ではありません。仏教を吟味した上で、欲望を中心としたこの世の論理ではなく、慈悲と智慧を中心とした仏教的な生き方にシフトしていく。
それが、仏法を大切にする生き方、法供養という生き方になるのだと、私は考えます。
私も今年、かけがえのない方を2人失い、深い悲しみを得ました。
でも私は、浄土に往かれた大切な方が、私を誇りとしてくれるような生き方をしたい、と念じています。
追記
自死念慮者や自死遺族を支援する超宗派の「自死・自殺に向き合う僧侶の会」というグループに私は所属しています。
HPアドレスを記しておきますので、ご参考になさって下さい。
http://www.bouzsanga.org
ハニージョーさん、こんにちは。
従姉妹さんのこと、そのご家族のこと。思い出すと、考えると、様々な想いが沸き起こりますね。
"法供養"、結構なことと存じます。浦上師の仰っているように、"法供養"とは仏様の教えを吟味して、助けをかりて、生きていくということです。ハニージョーさんがお坊さんのようにお経を唱えることだけを指すのではありません。お経をよむぞー、じゃあやってみるか…というのは難しいですよね。
タイトルに書きましたが、「あなたが健康でいること、何よりのご供養です」。
仏様の教えを吟味して、助けをかりて、健康を志す。とっても大切なことですし、尊いことだと思います。
誰かの分も生きる、という言葉の真の意味はそういうことではないかと。
ハニージョー様へ
なぜ生きる意味がないのでしょう?
おそらく今回の従姉妹の死はあなたにその生を全うしてほしい
というメッセージではないでしょうか?
人は時にしてあっけなく亡くなってしまうことが多々あります。
そのメッセージをしっかり受け取り、このいただいたいのちをぜひ大切に
していただきたいと思います。
まずはその悩み。
ぜひしっかり考え、
また日々生活をしていくなかで
生きる意味がきっと見つかるはずです。合掌
先ずは、「追善供養を」…と諸師の仰る様に此れをお奨め致しますが、
唯、うつ病か更年期か…此れを別に置いて於かないで下さいませ。
御供養は大切ですが、御供養を為さる貴女様ご本人が体調不全では、此れをお奨め出来ませんよ。
お体の調子を見ながらの、御供養を為さるのが宜しいですね。
自殺した人は、自分という肉体を殺してしまったという、
つまり殺人を犯してしまった事になります。
苦しいからと言って、辛いからと言って人を殺してはいけないです。
それが自分と言うことであっても同じです。
人生の中に辛いこと悲しいことがたくさんありますが
この世に生まれてきたことはそれは
自分なりの意味があってのことです。
生きるという意味をもう一度ゆっくり落ち着いて
考えてみてください。
辛い中にも楽しい思い出があるはずですが、
今は、何故か悲しいことしか浮かんでこないのではないでしょうか?
「ふと思い出すこの従姉妹の事」それは
従姉妹さんがあなたに何か、訴えているのではないでしょうか?
もう一度考え直してみてと、私と同じようにならないでと。
ハニージョー様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
前回のご質問におけることの苦悩がまだ十分には癒されておられないのではないかとお察し申し上げます・・もちろん解決へ向けましては時間も掛かることですし、ご主人とのこともおありでしょうから、焦らずに善処を目指して参りましょう。
自殺・自死の問題・・苦悩自殺、尊厳死・安楽死自殺、義憤自殺、慈悲利他行自殺・・誠に色々と難しい問題が控えています。以前には関連する下記問いにても拙回答をさせて頂きました。
問い「自らの死について」
http://hasunoha.jp/questions/98
現代社会におけるほとんどの自殺は、苦悩からの悲観・絶望・失意等による原因が考えられます。この場合、原因となっておりますのは、煩悩(悩み煩い)・無明(根本的な無知)というものであると仏教的には捉えることができます。
仏教では難しいことではございますが、輪廻・業という因果論を扱うため、煩悩・無明という悪因によっての行為の結果は、やはり残念ながら悪い結果を招くことになると言わざるを得ないところとなります・・
もちろん、何とか確かなる仏縁に出逢っていくことによって、苦悩・煩悩・無明を離れた安楽なる悟り・涅槃へと向けて、仏道を学び修せれる境涯を調えていけれるようにとしていくことが望まれることになります。もしもこのことを否定してしまえば、通夜・葬儀における引導・授戒やその後における追善供養・功徳回向、または仏縁仏恩報謝の供養なども全て否定してしまうことになりかねなくなってしまいます。
自殺・自死なされたお方であっても、無事に確かなる仏縁と出逢っていくことで、安楽なる悟り・涅槃へと至れるようにとして、そのために私たちもほんの少しでも追善・功徳を亡き方たちへと及ぼすことで、仏道成道のための一助のご供養を行っていくことが必要ではないかと存じております。この際においては私たちの常日頃における善徳の行いが最も大切になると考えております。
是非、ハニージョー様におかれましても、もちろん大事なことではありますがあまりにも血縁や身内に拘られることなくに、大いなるご縁における報恩感謝の思いも新たとし、追善・功徳供養へ向けての善徳行にできることからご精進なされてみられますことをお薦めさせて頂く次第でございます。
川口英俊 合掌
早速のご回答ありがとうございます。
まずは自分の心身の健康を先に考え、
供養はまた機会をみてからにします。
ありがとうございました。