僧侶の自殺について
宗教・宗派を超越して、宗教家・僧侶は、決して自殺はしてはいけないと俗人に「説教 説法」しますよね。
否定しません。その通りです。
しかし・・・・・
チベットのラマ僧侶は、中国共産党の悪行に抗議するためと称して、よく焼身自殺しますよね。
軍事政権下にあったビルマ・ミャンマーでも、タイでも、ベトナム戦争時の南ベトナムでも、仏教僧が支配者・独裁者・軍部の悪行に抗議すると称してよく焼身自殺をしていました。
日本では、昔は「生き仏」になると称して、僧侶が穴倉にこもり、すべての飲食を断ち、「御陀仏」するという『挑戦」をしていたこともありましたが、これも自殺ですよね。
僧侶の皆さん、仏教では、仏陀は、自殺を認めている・奨励しているのでしょうか?
俗人の自殺は許されないが、僧侶の自殺は許されるのでしょうか?
いかがでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「究極的な場合」について
シャーク様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
ご質問につきましては、これまでにも関連する下記問いにてお答えをさせて頂いております。
問い「自らの死について」
http://goo.gl/R1UqY2
問い「自殺してはいけない理由」
http://goo.gl/w3FJJz
釈尊の自殺に対する態度につきましては、下記をご参照下さいませ。
「仏教は自殺を本当に禁じているのか?」
http://goo.gl/ZEFKQe
そして、チベットの焼身抗議の自殺に関しましては、下記拙論をご参照下さいませ。
「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」~チベット問題・焼身抗議を考える~
http://goo.gl/CeVng
上記の内容を踏まえての拙生の見解についてでございますが・・
まず、基本的には、仏教には「不殺生」・「不害」の教えがあるため、己を害することとなる自殺も当然に認められるものではないと考えております。但し、究極的な場合においては、自殺は許されることもあるかもしれませんが、心が煩悩や無明(根本的無知)に支配された状態においての自殺、悪業となってしまうような自殺だけは決して勧められないということになります。
また、下記今夏の拙論における中での「入菩薩行論」の引用から、どうしてチベット仏教僧(在家信徒も含む)たちは焼身抗議し身体を捧げるのかということについての仏教思想的一端を少し垣間見ることはできます。
「仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~」
http://goo.gl/FYCqa5
そこで、問題となるのは、自殺が許されるかもしれないという「究極的な場合」についてでございます。
究極的な場合について、上記拙論中にて戦時殺人の肯定のこと(・・戦時殺人を肯定的に扱った主張(一殺多生の菩薩行であるという聖戦化、真なる正義[真の救い]のための殺人は、究極の慈悲利他行として許され、功徳になるなど)・・)に関しても扱っておりますが、一歩間違えれば、そのように戦時殺人を肯定していた論理、あるいは、無差別殺人となったオウム真理教のポアの論理と同じになってしまうからでございます。
その究極的な場合に関しては、正直、(勝義[仏教の最高真理]的に)推し量れないところもあり、まだまだ拙生も考察中でございます。
川口英俊 合掌
善も悪もないこと
シャークさま
私もこのことには悩んだことがありました。世の中では、自殺はいけないとされているのに、、、
自殺しなければならないことの悲しさはあると思います。それは僧侶であれ同じことだと。
僧侶の自殺の場合、すでに死に対する恐怖から離れたところに到達していて、死をもってして社会に訴えたいことがあったように思います、が、そうしなければならなかったことは悲しいことのように感じます。
そして世の中でも、自殺は大きな問題の一つとなり、してはいけないと言います。
「自殺」自体には、良いも悪いもなく、自殺したという事実しかありません。しかし、そういった選択をしなければならないこと、悩み苦しんだ挙句死を選択していまう。ということに問題があるようにおもいます。
死を選ばなくても救われる道があるのに、、、仏教はそうした悩める人を救わなくてはいけないと思います。
自殺という道を選ばない世の中にしたいと願っています。
※仏教は決して自殺を推奨しているわけではありません。
自分と他人の悩み苦しみを増やす行為かどうか
自殺者の9割は「うつ」(鬱病以外でも「うつ」はある)だそうです。
ですから、自殺者の9割は病死みたいなもので、責めるわけにもいかないと思います。
で、仏教は、自分と他人の悩み苦しみを減らすための教えです。
自殺の背景には怒りの煩悩(嫌だ・むかつく・悲しい)があります。
怒りの煩悩は自分自身の悩み苦しみの原因なので、怒りの煩悩は無くしたり制御したりすべきであり、
怒りをなくしたり制御すれば、結果として自殺はしなくなるはず。
また、自分が自殺することで他人が悲しんだり他人に苦しみを与える場合も、他人の苦悩を減らす慈悲の観点がある仏教者は自殺しないでしょう。
出家かどうかに限らず、仏教徒が仏教徒らしい考え方をするなら、自殺は減るはずです。
なお、抗議のために焼身自殺するのは怒りの煩悩による行為かもしれないので善いとは思いませんが、他人の煩悩を慈しむのも仏教なので、チベットの彼らを必要以上に責めるつもりはありません。
質問者からのお礼
川口英俊師 邦元師 願誉浄史師
御解説有難うございました。
まともな宗教の宗教家・僧侶各位は、概して自殺を厳禁する説法・説教をわれわれ俗人に説いているのに、ニュースでチベットのラマ僧が政治絡みで焼身自殺をすると聞くたびに、僧侶の自殺を私ごとき世俗者はどう理解すればいいのか、と以前から思っていた疑問をここでぶつけたら、三師から御解説を頂き感謝です。
三師の御解説で得た私の結論は、私ごとき俗人が「理解」するのはやはり難解であるということと、私が私見で勝手に判断してはいけない、ということです。
そして、もっと仏法を、そして宗教宗派を超えて宗教を学べば、髪の毛一本程度は「理解」に近づけるかな・・・・・・・
やはりおこがましいですか。
三師各位 有難うございました。