今生きている理由
なぜ今生きているのか。
誰もが希望に満ちあふれ、夢や目標をもって生きているわけではないと思います。
しっかりと答えられる人は多くはないのかなと。私は、
「親より先に死ぬわけにはいかない」とか「私を大切に思ってくれている人を悲しませたくはない」などの理由かなと思います。
もちろんちいさな夢や目標はありますが、生きているから生きているみたいな漠然としたものだったりするかもしれません。
仏教的な観点で、人が今生きている理由はなんでしょうか。お坊さん自身の今生きている理由でもよいのでお教えください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
理由を絶して本物になれ
世間様はこう言う「何にでもに理由がある。」
私はこう言います。「いや、違う。理由はアトから何とでもつけられるだけだ。」
世間様はこう言う。「何の為に生きるべきか。」「だから最高に納得できる理由付をしよう。」
私はこう言います。「いや、違う。無理して理由付けしなくていい。むしろ理由付けや理屈を飛び越えろ」と。
それは何故か。
「何の為に、何の為に、何かの為に…」
その嘘くさい“なにかの為”っていうカラクリや、理屈っぽいものを本当に絶し尽くす。トコトン頭の中から消してしまうコトですよ。そんな堂々巡りをして答えが得られましたか?役に立たんのでしょう。その証拠に自分が救われない、スッキリハッキリしないのですから。
悟りを求めた人達はみんなそのカラクリを飛び越えた。考え事や理由付けの世界を離れたのです。
そうでないとアナタ、人生の本物は手に入りませんよ。いや、私は手に入りませんでした。
猫なで調子のそれっぽい理由付け、大義名分、おおよそ人が納得するであろうぬるい理由付け。
もし、アナタがそれで納得するタイプの人間であれば、自分が奮い立つほどに納得できる理由を探し求めることです。
しかし、そこに懐疑、むなしさ感じるのであれば、自分を誤魔化さず真実を求めることです。
私はそこを求め求めて「理由がいらなくなる」所まで参禅しました。
痛快明快です。理由付をする必要がなくなるまで、人生の真実を見極めて下さい。祖師方も、その究極を次のように示されています。
只管(理由をつけるな・ただ・ただ)
如是(ただ、かくのごとし、それがただそれ)
何かの為に、何かのために、その美しい理由付けも要らなくなってこそ、人間はいよいよ本物、になる、と思っています。理由付けの世界なんてなんとでも言えるからですよ。
本物?本物とは小賢しい理由付け、為付けのない人間になることです。
ダイレクトにこの世界を天地と一続きで全体を体感できる生き生きとした生き方が身につくことですよ。それが本当に生きる、ということです。参禅をお勧めいたします。
精一杯生きる
レジメンタルのデカダンスさんはじめまして藤尾邦泰と申します。
レジメンタルのデカダンスさんの考える「親より先に死ぬわけにはいかない」や「私を大切に思ってくれている人を悲しませたくはない」といったものも十分に生きる意味だと思います。
あなたは生きる理由を真剣に考えていらっしゃいます、答えを見つけるのは難しいことです。同じくらい難しい問題があります。いのちの生じる理由も不思議です。その不思議ないのちを生きている私たちは理由は分からないが、それぞれに今できることを精一杯するべきです。それが生きている理由ではないでしょうか。
仕事、家族、休暇などをがむしゃらにこなすと言う意味ではなく、大切に生きる。風邪をひいたら風邪をひいた状態なりに精一杯生きる。「日々是好日」という言葉があります。一日一日が貴い日だから大切に生きなさいという意味です。
ある心理カウンセラーの先生が「生きているだけで大変なことなんだよ、素晴らしいことなんだよ」と引きこもりで悩む家族や相談者に言ったそうです。
今、いのちのあることに感謝し、精一杯生きる。これが生きている理由と私は考えます。
何故あなたは生まれてきたのか。
何故あなたは生まれてきたのでしょうか?
輪廻から考えると前世で行ってきたこと、学んできたこと
それをもっとよりよい物にするために生まれ変わってきたのです。
そして来世につなげるため今世をよりよいものとする。
そうして高い人間になっていくことにより
いろんな苦しみからも抜け出せるようになる。
そして最終段階を経たお釈迦様は「解脱」して輪廻から抜け出す。
しかしそれまでの道のりは大変だったと思います。
今生きている人生だけではなく前世、前々世、それを何回も
経験してやっと解脱できた。
そう思うと、今ちっぽけな悩みにくよくよしては
いけないなぁ~と思って私は今世を過ごしています。
いま坊さんをしているのも何か前世で縁があって
今があると考えています。
レジメンタルのデカダンスさんも前世で経験し、
今世ではこういうことを学ぼうと
生まれてきたのです。何を学ぶかはあなた次第です。
今世を終えて臨終の間際に、「良い人生だった」と
思えるような生き方をして欲しいです。
レジメンタルのデカダンスさん、こんにちは。
私自身の今生きている理由は「バトンタッチ」です。
ゆりかごから墓場まで、人間は誰のお世話にならないことは・・・出来ません。
世の中には、よいバトンと、わるいバトンがあります。わるいバトンをまわすと、だれかが不幸になるようです。よいバトンだけを渡していきたいですよね。そうすればきっと世の中がハッピーになれると思います。
重い感じで言うと、「四弘誓願文」ということです。世の中のハッピーを誓い、願うわけですね。
さて、仏教的な観点ですか。
「草木国土悉皆成仏」ということばが震災のときに言われたりしました。
自然に帰ろう、ということを言いたいのではありません。
草木国土に身体があったのならば、命があったのならば。そこに主体・視点を置いてみることです。
たとえば、どこかにカミサマがいるとします。そのカミサマが地球上の生物に聞いたとしましょう。
「おまえたちのなかで、地球にとって一番わるい生き物だと思うものはだれか」と。
人間たちは「原発」だとか、「人食いザメ」だとか、適当なことを言うかもしれません。
どうでしょうか。ほかの生物は何と言うでしょうか。
そろって「地球にとって一番わるい生き物は人間である」と言うのではないかと僕は思います。
ここまで考えたなら「申し訳ないことをした」と懺悔し、「じゃあどうするか、こうしよう」と仏様のこころをおこして実行する。「草木国土悉皆成仏」から、仏様の視点を持ってみてはと思います。
ただし、理屈を理屈で追い回したり、本当の人生の意味を求めなくても、人は生きていけるようですね。
今生きている理由…とは?
「縁」
レジメンタルのデカダンス様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
以前におきましては、下記のような同様のご質問を賜りまして、拙生もお答えさせて頂いております。また、皆様のご回答もご参照頂けるのではないかとも存じます。
問い「生きていく意味」
http://hasunoha.jp/questions/93
拙回答にて述べさせて頂いておりますように、『意味や意義、目的というものは、実体として「有る」、あるいは全く「無い」というものではなくて、様々な「縁」に依って成り立っているもの』でございます。
ここにおきましては、少し難しいことを述べさせて頂いておりますが、この「縁」というものについて、それぞれがどのように捉えていくのかが、誠に大切なことではないかと存じております。
レジメンタルのデカダンス様もこれまでにおける様々なご縁に依って成り立ってきているご自身の人生をお振り返り賜ることで、そのご縁の数々に思いを寄せ、生かされて今ある自分に気づき、それらのご縁に対して感謝と報恩を持つことからでも、「今生きている理由」を少しくでも見いだしていくことができるのではないだろうかと存じております。
是非、この機会に「縁」に依りて成立しているこの世界のありようについて、改めましてお考え頂くきっかけとなりましたら幸いに存じます。
また、関連として、下記問いにおきましても回答をさせて頂いております。
問い「人間は何のために生きるのか」
http://hasunoha.jp/questions/36
拙回答中にて述べさせて頂いておりますが、「いずれは悟りを得ることを目指して、今世でもできる限りに努力して、また、再び仏縁を授かれて、智慧の修習、善徳行の実践を積める境涯に生まれることができますように」として、一愚僧として生きている理由・意味を、僭越ながらにもそのように拙生は捉えさせて頂いております。
悟り・涅槃へと向けて、確かなる仏縁に何とかこれからも出逢って参れますようにと、日々猛省を致しながら一歩一歩と存じております。
川口英俊 合掌
流されてみる
レジメンタルのデカダンス様へ
人は迷いながら夢や目標を探して生きています。
文章にありました「親より先に死ぬわけにいかない」や「私を大切に思ってくれている人を悲しませたくない」という気持ちだけで十分ではありませんか。
夢や目標に大きいも小さいもありません。
その人それぞれのものです。
時にはただ漠然と生きてみるのも
流されてみるのも生きている上では必要なことではないでしょうか。
人は誰かに役に立つことで一番の快感を得ると言われているそうです。
それこそ生きている理由なのかもしれません。
合掌
多くの僧侶の回答が生きる意味ですわ。
今、あなたはプレッシャーという列車に乗ってしまいました。これは示寂という終着駅まで止まりません。
あなたの質問にこれだけ多くの僧侶が答えてくれました。あなたは生きる意味を考える暇などなく、終着駅の『示寂』まで行(生)かなくてはなりません。途中で降りようなんて、自分で示寂を決めようなんて出来るもんですか。あなたの意志だけでは決められないのです。もう後戻りはできません。覚悟を決めてください。