仏の道を選ぶ事は今からだと遅いですか?
現在、父の会社で働かせてもらってます。
祖父が創業した小さな会社ですが、後継者不在という事から、近い将来会社をたたむという事も視野に入れておかなくてはいけないと思います。
父は70代ですが、今のところ全くその事を考えている様子はなく、この先どうするかさえも考えていないようです。
自分が死んだ時に会社をたたんで欲しい…そんな印象が今のところあります。
本当はそれでは困るのですが…
もし会社が無くなったら、仏様に仕えたいという道を選びたいと思っているのですが、40代からのスタートは無謀でしょうか?
お寺運営の保育園に通ったり、お寺に貢献していた祖父に連れられ、行事参加や墓参り・法要にも頻繁に参加していましたので、幼い頃から仏教には親しみがあり、仏様への関わりは歳を重ねてからも多少あります。
ただ、仏教関係の学校は出ていないため、専門的な知識や資格は一切持っていません。
昨年、死ぬまでに必ず訪れたいお寺を訪れた際、安堵感と共に、心がグッと引きこまれるものがあって…
何と言いますか、言葉に表せない思いで涙が出ました。
これが仏様に仕えたいという思いを強くさせたのだと思います。
僧になるまでは大変困難な道を歩まなければいけない事は存じております。
やはりお寺関係者や若いうちから経験を積まないと僧になる事は厳しいのでしょうか?
甘い考えとお叱りを受けそうですが、ご回答いただけるとありがたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
発心に遅いということはありません
仏道に入りたいと心に決めることを、発心といいます。
仏教の祖師方でこの発心を「歳が行き過ぎてるから無駄」と否定した方はいません。むしろ、人生の最後の日であっても発心すれば、その功徳は疑いようがありません。
仮に道半ばで今生の終わりが来たとしても、それが無駄であったということはありません。
よくよく考えられて、慌てず無理せず、ご希望の道を進んでください。
私が仏教の勉強を始めたのは34歳頃からです。その時にお坊さんになる為の研修を受けたのですが、そこには60代の方も数人居ました。なので年齢は気にしなくていいです。
むしろ様々な人生経験を積んで仏教を学ぶ方が、より真剣に、より現実的に取り組めると思います。
先ずは宗派を決めて、師僧を探すことからですね。これが一番大変かもしれません。
菩提寺の宗派がよければ、菩提寺の住職さんに師僧になってもらえたら一番いいです。
頑張っていいお坊さんになってください。
ご仏縁に恵まれます
拝読させて頂きました。百目鬼 師がおっしゃるように遅いということは一切ありません。どうかご安心なさって頂きこれから学んで頂きたいと思います。
私もあなたもここに所属するお坊さんたちも皆仏弟子です。仏様の前ではなんら変わることはありません。
どうかこれからたくさんのご仏縁を頂きマイペースに仏教を学んでご精進頂きますことを心より仏様にお祈りさせて頂きます。
必ずやあなたは素晴らしいご縁が恵まれて仏道修行を歩まれ心も円満になられます。
南無阿弥陀仏
南無釈迦牟尼仏
初発心時便成正覚
さつき様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
千里の道も一歩からと申しますが、仏教でも何よりその発心を大切と致します。
華厳経の中には、「初発心時便成正覚」として、初発心は、悟りと同等とまで述べる程に重要視致します。
もちろん、このことは、不退転の決意としての強い発心が、悟りへと至るためには必要であるとも解せることになりますし、何より強い発心がなければ、悟りはあり得ないとも言えることでございます。
是非、この度の発心によりて、御仏縁と共に御仏様のより良きお導きがございますようにと祈念申し上げます。
共に仏道精進に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
宗恩寺 百目鬼洋一様
ご回答いただきありがとうございます。
一般社会では年齢で線引きされる事が多く、もしかしたら宗教界でもそのような事があると思ったもので、今回このような質問を立てさせていただきました。
若いうちから励んでいらっしゃる方には到底及ばないにしても、私なりの道を進んで行けたら…と思います。
進路を決める前にまずはじっくり考えてみます。