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死に対する思い

回答数回答 3
有り難し有り難し 12

今、、死にたい
生きてる意味がわからないんです。頭の中が悲観的な妄想ばかりで辛いです。。
仕事も遅くまでしても眠くなくて、現在眠剤呑んでます。
元彼にも止められてたのに抑えきれなかったです。寂しいからかな。。
なんかわからないんです。
仕事して頑張らなきゃならないのに生きてるのつらく感じます。今だけのこんな気持ちなのかな。。わからないです。生きたくないです。どうしたらいいですか。。
抑えられないです。。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

かき氷にシロップをかけない生き方もある

まず仕事を控えて自分の時間を持ってみましょう。
考えや思いの生活を酷使しすぎていると思います。
それが日常生活で現実をまるで相手にしていないと思います。
いつでも思いの中でのやり取りが盛ん過ぎているのです。
心が苦しい、ということは頭が思いの世界に旅立っています。
禅はシンプルな生活です。
起こったことは起こった事として、余分な追加物を加えないのです。
事実というかき氷に思いのシロップをかけないことです。
しらずの内に自分のシロップをかけていると思います。
その状態であると人とリアルタイムで接していても、自分の思いをそこに重ねますから、事実と思いとが混同します。
完全にかき氷とシロップとが混ざり合ったところは、完全にミクスチュアされたところですから、合わさった所ですから、区別がつきません。一緒のものとして認識されてしまっているのです。
でも本当は元々別物なのです。
もともと別であるという事を、感じ取ってみてください。
自分で分断、分別をつけるのです。
思いは思いの世界。
実際の事実は、実際の事実の世界。
そこに思いのシロップをかけてはいけません。
思いのシロップをかける前の世界はいつでもすがすがしいのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

妄想で暴走しないで。

考えで答えを出そうとしては、スッキリと見えません。

あなたは考え、妄想とご自分でおもっているように、その思いはリアルではありません。ですからその妄想の答えを考えで出そうとしてはいけないのです。原因を探ろうとすればするほど、妄想は暴走します。

仏教ではリアルを大切にしています。リアルな世界には悩みはありません。思いは大切にせず、今のあなたの有り様を大切にしてください。目に見えるもの聞こえるもの感じるもの、味わうもの、香るもの、それがリアルです。そこから出てきた今の瞬間から離れた考えは妄想ですので、取り扱いません。頭の中で会話をしないのですよ。

リアルな世界がそのままあるだけです。それだけで満たされているはず。過去や未来は考えず、今に徹する習慣を身につけてください。体はあなたの思いとは裏腹に生きようとします。それが仏法です。

仏法に従い、悩みなく安心して暮らせる道が仏道です。詳しくは信頼できるお坊さんと、実際に話してください。救われる道があるのです。諦めないでください。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

がんばらない

マユミさん、こんにちは。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。

マユミさん、がんばりすぎです。
仕事のことを考えることをやめましょう。

真言宗では阿字観(あじかん)という瞑想があります。
まず、ゆったりと座ってください。(イスに座ってもいいです)
ゆっくりと呼吸をして、吐く息と吸う息を意識してください。
つぎに、お月さまをイメージしてください。空にぽっかりと浮かんだ満月です。
イメージできたら、お月さんの中にマユミさんが入っていくイメージをしてください。
お月さんと、マユミさんが一体になった感覚を楽しんでください。

できましたか?
今度は、お月さんとマユミさんがどんどん距離を開けて離れていってください。
マユミさんは、お月さんを見上げています。
次に、吐く息と吸う息の呼吸を意識してください。
ゆっくりと、リラックスした状態を感じてください。

現実世界に戻ってきましたか?
マユミさんは、月まで旅行しました。がんばりましたか?

がんばらなくてもいいのです。
がんばらない。がんばらない。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

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