後悔の毎日
色々と書き込みばかりですみません。
毎日、後悔、喪失感、悲しみに苛まれています。
以前の質問で何度も書かせてもらいましたが、昨年10月に母をなくしました、年齢的にはそういう年になっていますが、勝手にまだまだ先の話と思っていました。十数年前に父が他界し、すぐに母が脳梗塞で倒れました。幸いにも身体に障害はなく、私が引き取りました。
それ以後二人暮しで、ある夜、頭が痛いといい、救急車で病院へ運び、しばらく入院ということで、私は明日入院の用意をして来るよう帰されました。明日またくるからねと、軽く肩を叩きましたが、母はこっちを見ていたが返事はしませんでした。今考えるともう物が言えない状態だったのかと。その時の表情は今も忘れられません。
次の朝、病院から電話で、容態が変わったので来てくれと。行くともう意識はなく、血圧や脈を測るモニターやチューブに繋がれ、点滴されていました。
延命治療の確認をされ、長く苦しむよりはと断りました。以来、高熱が続き、時々苦しそうでした。食事もできず、チューブで胃に流し込み、時々嘔吐。一週間後、洗濯に帰っている間に呼吸がとまり、死に際にも付いていてやれませんでした。
以後、私も病で長期休職し家にいますが、冬がこんなに寒く、夏がこんなに暑い、段差だらけで年寄りには過酷な環境、部屋で、家事をしてくれ、一人で通院し、家族に看取られずに逝きました。
しかも延命治療を断り、死なせ、殺しました。
最後にありがとうも、ごめんも何も伝えられませんでした。悲しみ、喪失感、後悔の毎日です。よく日にち薬とか、医者や知り合いには、そんなことで母は喜ばない、悲しんでいたら故人が浮かばれないといわれます。頭では分かっています。
たとえ一日に一回でも食事をすることに罪悪感も感じます。
ここで教えていただいて、毎日、日中と夕方の二回、お勤めしています。亡くなってからでは何もかも遅い、何度か死にたいと思いましたが、勇気も無く、気力もなく、生きながらえている自分が情けなく苛立ちます。正直、母がいなければと思ったこともありました、けれども今、こんな情けない自分。
自分でも何の質問なのかも分かりません、ただただ自分の気持ちをぶつける場所が欲しかっただけかも知れません。
特にご回答は結構です。申し訳ありませんでした、長々と大変失礼しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「追ってご供養させていただく」という絆
あんくまさま、はじめまして。
飯島惠道と申します。信州の尼寺の住職をしております。
私もあんくまさまと同じように、
先代住職との急な別れを体験し、いまなお、死別の悲嘆は続いている状態です。
少し、先代住職との死別についてお話をさせてくださいませ。
2011年5月9日の朝、いつもは私より早起きのはずの当時の住職が、なかなか起きてこないので、様子を見に行きました。まだ寝ていました。とても静かでした。もう少し寝かせておこうと思い、その場を去り朝のおつとめなどを致しました。
そろそろ朝食の準備にとりかかろうと思い、先代住職の様子を見にいきました。まだ静かに眠っていました。あまりにも異様な静けさだったため、声をかけてみました・・・・・・・・・返事はありませんでした・・・・・。
何度も声をかけ、体を揺さぶり、心臓マッサージをし・・・。
そう、先代住職は既に息絶えておりました。
頭の中が真っ白になりました。
「返事をして!お願いだから、返事をして!どうして?どうして?」
できる限りの救急措置を施しながら、とにかく声をかけ続けました。
涙がどんどん流れてきました。
死後検視となり、真夜中に心筋梗塞を起こして呼吸停止との診断。
夜中に様子を見に来なかった自分を、今でも責めています。
先代との死別を通して「追善・追弔」の「追」という言葉の意味がストンと胸におちました。
追ってご供養するしか、私には、なす術がございません。
しかし、縁が深いからこそ、ご供養させていただける、
最近になってようやくそのように思えるようになりました。
今年の夏は殊に暑いですので、
可能は範囲でしっかり栄養をとってくださいませ。
大地の恵みを受けた野菜などは涙の味とはまた違うと思います。
これからも、共に追ってご供養させていただけたらと思います。
長文、失礼いたしました。
飯島惠道 拝
母よ、あなたは偉大だった。
お一人になられた時、お母様を讃嘆、褒め、讃えることです。
何故それが解決になるかはきっと後でわかります。
キリスト教でも讃美歌というのがありますように、仏教でも歎仏、讃仏と言う儀式があります。
大恩ある仏祖、恩ある方々に礼拝、感謝、供養の心を捧げるのですが、その法要の趣旨は「讃嘆すること」なのです。はじめのうちは何のことだかわからなかったです。
それはきっと私が当時、まだまだ人の恩を感じられる人間ではなかったからなのです。
ドン底に堕ち、多くの人から救いの手をいただき、人の恩を感じられるようになった時、全身でむせび泣く様な気持ちになり、はじめて本当の意味でお経が読めるようになり、供養を自信を持って勤められるようなったことを覚えています。クールに閉ざしていた心にあらためて血が通ったような体験でした。
儀式や供養は、恩を感じる心なくして勤めてもカラ儀式です。修行生活時代は私自身がカラっぽだったので、カラ儀式にさせてしまっていたのです。
人は大きな喪失感に見舞われると、心の動かし方もわからなくなってしまうもの。
今、あんくまさんがなさるべきこと、それは「讃嘆なさること」です。
お母様の大恩を感じ尽くして、むせび泣くまでに心の中の恩の引き出しを一つ一つ開くことです。恩の深さが感じられた時に全身全霊で感謝の気持ちを捧げて下さい。それによって初めて進むべき道が照らされることでありましょう。
「感恩の鐘」という行が有ります。
あなたが仏壇でお母様がしてくださった一つ一つの恩を思い起こされそっと静かにお鈴を響かせてください。
たまらず有り難う、と自然に口にしたくなった時、心からなる合掌と共に礼拝を捧げてください。
「お母さん、楽しい所に連れて行ってくれたね…」
「お母さん、美味しいご飯を食べさせてくれたね…」
「お母さん、困った時に支えてくれたね…」
「お母さん、沢山愛情を注いでくれたね…」
「お母さん、沢山叱ってくれて、教えてくれたね…ありがとう」
(どんなことでも構いません。思い起こされる毎に感謝の気持ちを込めて仏壇のおリンを優しく響かせてください。
ご自身がお母様の大恩に膝を落とされるまでに感じ入られ、無量の愛によって今も護られている事にお気づきになられた時、自然に答えが出るはずです。
悲しい気持ち、辛い思いを、どうか 抑え込まないで。
大切な方との別れは、非常に 深い悲しみであります。
どんな別れにも、納得は なかなかできず、あの頃に戻れるものならと願ってしまうのが、私たちです。
悲しい気持ち、辛い思いを、どうか 抑え込まないで。
後悔も 口にしてみる、あなたの心を そのまま 表に出していいのですよ。
ご縁ある お寺さまに話されてみるとか、ここ(ハスノハ)で何度もお心をお話くださってもいい。お直接、話すことで、今 背負っている荷物を 少しずつ 下ろしていけたら。
あんくま様。
一度私とお話ししませんか。何時でも構いませんよ。
此れもご縁ですし、貴方様の書き込みを観て居りますと、余り他の方との此れ等のお話を為さっていないのかと拝察出来ましたので…
書き込みよりも、直接お話しなさった方が良い場合も多々御座居ますから。
仕事中等は取れないかも知れませんが、其れ以外はお話し出来ますよ。
遠慮為さらずに、私の自殺防止ネットワーク専用携帯へお電話下さいませ。
番号は、090-3390-2137 です。
同じような気持ちの方と分かち合いを
回答不要とありましたが、ご参考までに書かせてください。
>悲しんでいたら故人が浮かばれないといわれます。
そんなことはないですよ。大切な人が亡くなるという事はとても悲しいことです。それを無理に抑える必要は全くございません。
食事をすることにも罪悪感が、とあり、ちょっと心配になりました。大切な方を亡くした人同士の分かち合いのつどいなどがございますので参加されてはいかがでしょうか。一人で抱え込まずに、同じような気持ちの方と思いを話し合われることをおすすめします。
インターネットで調べましたら以下のような会がございました。
◆兵庫 生と死を考える会
(遺族の分かち合いのつどいがあるようです)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~shinai/zenkoku-meibo(new).htm
「生命(いのち)は」
あんくま様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
なかなかお悲しみ、お苦しみが癒えませぬこと、御心の程をお察し申し上げます。
あんくま様の懇ろなるお気持ちのこもったご供養、きっとお母様には届いていることではないかとは存じております。
尊厳死・・仏教的にも誠に扱いに慎重が必要な問題でございます・・過去にも下記のようなご質問も賜っておりますが・・拙回答も課題として扱うに留まらせて頂いており、いまだ明確にお答えできずのままでございまして、誠に申し訳ない次第でございます・・
問い「最期に苦しむということ」
http://hasunoha.jp/questions/95
「いのち」のありようをいかに捉えるのか・・いのちを価値選別するのか、本人の意思の尊重をどのように判断するのか、家族や看護・看取者の意思をどのように尊重するのか・・非常に難しくあります・・
不殺生戒を説く仏教において、安楽死や尊厳死をどのように考えるべきか・・正直、明確な回答はいまだ出せません・・しかし、このことは拙生自身これからも真摯に取り組んで考えて参りたいと存じております。
ここにて、あんくま様に、拙生の好きな詩人である吉野弘氏の一編の詩を引用させて頂きます。
「いのち」についてこれからも共に考えて参りたくに存じております。
「生命(いのち)は」 作詞・吉野弘
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
増田俊康様いつもご親切でご丁寧なご回答、ありがとうございます。ご心配いただき、申し訳ありません。参考にさせていただきます。ありがとうございます。
川口英俊様
いつもご丁寧なご回答、ありがとうございます。
今考えて見ると、生まれてこの年になるまで、与えて貰うことばかりで、自分は何を与えてあげられたのだろう、亡くなってから手を合わせ、お念仏を唱え、後悔し、謝っても…
けれども今できる事はこれしかありません。毎日、お勤めを続けても、続けても気持ちが晴れる日はありません。自分が楽になりたいためにやっているのかも?とも思う時があります。このお勤めによって、本当に供養になっているのか、故人にとって役にたっているのか?返事はもうしてくれまんが、続けていくしかないのですね。ありがとうございました。
飯島恵道様
はじめまして、ご回答ありがとうございます。
飯島様もお辛い経験をされたのですね。
母は脳梗塞を患い、血圧も高かったため、長い間通院し、何度か救急車で病院へ運ぶことがありました。毎朝、母の方が起きるのが早く、物音で「起きたな、大丈夫」と。たまに寝坊して寝ていた時には「まさか!」と慌てて部屋の戸を開け寝息で安心していました。今でも時々飛び起き、「もこれからはそんな心配いらないんだなぁ」と複雑な感情に、恥ずかしながら涙します。
私にはまだ追善追弔の深い意味は分かりませんが、できる限りの事をしてあげたいという気持ちだけで生きているのかも知れません。
飯島様もこれから暑い中、お忙しい時期を迎えられることと思いますが、御自愛下さい。
ご回答ありがとうございました。
沙門密富様
いつもご丁寧なご回答、ありがとうございます。
お察しの通り、母の事や自分の気持ちを話す相手はおりません。
実兄は母が他界する何年も前から絶縁状態で、他人ごと。時々、友達が心配して会いに来てくれますが、話して涙を見せる訳にもいかず、また精神内科の医者は早く気持ちを切り換えろの一点張り。誰かに聞いてもらい解決できるものでもないと思っています。と言いながら、質問でもない泣き言を書き込んでしまったことに少し後悔しています。
その反面、こんなに沢山のご回答を頂き、ありがたく思っております。 今は誰かに会ったり、直接話す事に抵抗があります。先日も友達が会いに来ると言ってくれましたが、断ったところでした。もう少し落ち着いて、お話しできる状態になりましたら、お電話させて頂きたいと思います。その時はよろしくお願い致します。ありがとうございます。
中田三恵様
ご回答、ありがとうございます。
今、甘えて話してしまうと、どんどん自分が崩れて行くような気がします。
それに「その気持ち、よく分かるよ」と言ってもらっても、心のどこかで「完全には絶対に分からない」とひねくれた考え方しか今はできないと思います。
親が先に死ぬのが順番で、子供が先に死ぬのは親不孝といわれます。誰もがこの順番を乗り越え頑張っている人が多いでしょう。乗り越えられない自分が情けない。
やはり日にち薬なんでしょうか?1周忌には納骨と考えています。それを区切りにまた気持ちにも変化があれば良いと思っています。それまではご回答頂いたアドバイスを参考にさせていただきます。ありがとうございました。
丹下覚元様
ご回答ありがとうございます。
いつもお勤めの時、今までありがとう、親不孝ばかりでごめんなさい。と。
掃除や洗濯しても、食料品やその他買い物に行っても、ああ毎日こうやって頑張ってくれていたから、今まで自分が生きてこれたんだなと、スーパーの人気のない所で涙を拭います。
未だに一緒に食事に行った店には入ることができません。車もいつもバックミラー越に話ながら出かけていたのですが、もうミラーにも映らないことになれつつありますが、「いつも出発するで」と声を掛ける癖はそのままです。ディーラーに年数が経っているのでと買い換えを勧められましたが、手放す気にならず、もっともっと出かけるときに乗せてあげれば良かったなぁと思います。 事あるごとに話掛けていますが、そんなにお鈴を鳴らして良いとは知りませんでした。
他人は所詮他人、心底心配し合い、いざという時に本当に信頼できるのは、血の繋がった家族だけだと思っています。けれども血の繋がった兄は、自分のことや自分の家族のことが大事で。それはそれでいいのだと思います。
悲しみの中にある者に心無い態度をとる人がいることも事実です。
毎日、毎回、心を込めてお勤めをしているつもりです。 私にはまだ恩を深く感じられていないのでしょうか、全身全霊で感謝の気持ちを捧げられていないのでしょうか、これ以上どうすればよいのですか?まだ道は見えてきません。