皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

仏様っている?

以前、何度か質問させていただきました。
私は信仰心が強く、仏様を信じています。
でも、祈って病気が治るならみんな死なない
と言うようなご回答をいただきました。
ごもっともだと思い、見返りを求めていた
自分を反省しました!そして私は心配性です。
別の質問をしたとき、仏様を信じているから
このままではいけないと、仏様がハスノハへ
導いてくださったのです。とご回答を
いただきました。携帯を変えたので質問が
残っているかは確認してません。
このハスノハでたくさんのことを勉強
させていただきましたが、結局物事は
なるようにしてなり、起こるべくして起こり、
現実をどう受け止めるか。なのかなと。
仏様を信仰しているのはただ人が仏様を
信仰することでいいことをした気分になり
救われるような気がするからで、
その後いいことや悪いことが怒っても
仏様の力でもなんでもなく、ただ起こるべく
して起こっただけなのかなと思うようになりました。私は祖母に小さい時から仏様に
手を合わせなさい、朝起きたら朝日に向かって
手を合わせ世の中の人の平和を祈りなさい、
そうすると心が穏やかになるんよと
言われて、できるときはそうしてきました。
小学生でひいおばあちゃんが亡くなり、
ショックで落ち込んでいると般若心経を
覚えなさいと言われ、毎日写経しました。
何年か経ち、私が祖母の部屋でなんとなく
写経していると、もう1人のひいおばあちゃんが
亡くなったと連絡がきました。
私が写経している間に眠るように亡くなった
そうで、祖母が、ひ孫のお経で逝ったんやね
と言っていました。他にも亡くなった人や
仏様との結びつきを強く感じることが
小さいころからたくさんありました。
その度に私は感謝し、手を合わせました。
つらいことが怒っても仏様なんかいない!
とは思ったことはなく、どう乗り越えるか
私が強くなるための試練を与えて下さってる
と信じて超えてきました。
でもハスノハで仏教のことを
いろいろ教えていただきましたが、
現実を見せられた気持ちになりました。
仏様なんか!とかではありません。
私が信じてきた仏様はいないのですか?
人が勝手に仏様と結びつけているだけで。
そう思うと、手を合わせる意味がわからなくなってしまいました。仏様なんか!とかそうではなく、純粋に混乱しています笑 複数ご回答いただけると嬉しいです!

仏教
有り難し 47
回答 6
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

仏様とは何か?

私たちが信仰することで良い事をもたらしたり、悪い事を避けてくれる、そんな運命の支配者のような存在を仏様だとすると、そういう仏様はいないかもしれません。

仏様とは何か?という問題がありますが、歴史上に実際に存在したのはお釈迦様ことゴータマ・シッダッタです。

お釈迦様は覚りを開いて仏になったわけですが、覚りとは目覚めです。このことを、お釈迦様は何か新しい概念を作り出し「オレはこんなすごいことを考えついたぞ!」と誇ったのではなく、お釈迦様が生まれる以前からすでにあった道理に気づき「なんだ今までこんなことに気がつかなかったのか!」と頭が下がったのだ、と表現するお坊さんもいます。

さて、そのお釈迦様が気づいた道理、そこにお釈迦様をして仏様たらしめたものがあるという説が展開されていきます。三身説です。

法身:姿形を超えた真理そのものである仏身
報身:真理が慈悲として働き出る能動性・精神性に報いて得られた仏身
応身:私たちの能力や状況に応じて仮に現れた仏身

これを具体的に考えますと、祖母様が「朝起きたら朝日に向かって手を合わせ世の中の人の平和を祈りなさい、そうすると心が穏やかになるんよ」と教えられたところにはやはり仏様がおられるわけです。
それは「平和を祈る」という善行為を仏様が認めて「心を穏やかにする」という特典をくれるわけではなく、お釈迦様が覚られた真理が具体的に祖母様からはしもと様に伝わる教えとしてはたらき出ているわけです。
例えば仏教には諸法無我という教えがあります。言うならば、「あらゆる物事は独立して存在してはいないので私だけの幸せ・平和はありえない」ということです。
祖母様の教えはまさにこういう事であり、その教えに触れる事によって私たちの「心が穏やかになる」という事もあり得るわけです。

「信仰することでいいことをした気分になり救われるような気がする」ということではなく、「いいこと・わるいこと」といった私の分別が教えで破られるところに救いがあるのです。

私が手を合わせて救いを請うのでなく、救われた事実に手が合わさるのかもしれません。合掌とは仏(右手)と私(左手)を合わせることです。私が仏の教えに触れるあらゆるところに仏様ははたらいているのです。

参考になる類似の問答を貼っておきます。
http://hasunoha.jp/questions/11443

自身の無為無作の本来心が仏。それを気づかせ導く人が仏様♡

遠山の金さん風にて🌸
👋(´Д`)いやいやダンナ。あっしゃぁ、そもそもそのホトケサマとか言う奴がよく分からねぇんで。だいたい「ほとけさま」とか言う坊主に限って自分でもよく分かってねぇもんでございやしょ?
みんな絵空事の架空の「ほとけさま」とかいう立証も出来ねぇ神様めいたもんを、へっ!どいつもこいつも仏様とか抜かしてるだけなんじゃねぇすか?
ですから、あっしどもは、そんな絵空事の「ほとけさま」とか言われたって、へっへっへ!とても信じられねぇんですよ!
もし、仏様とか言うのが本当にいるんなら、その金さんだか、仏様だとかいう奴を、ここに連れてきて下さいよ!(゜o゜)
そんなありもしねぇ仏様だか金さんだか知らねぇが、ホントにいるならここに連れて見せてくださいよ!(´Д`)そーだそーだ!( ̄д ̄)(前フリ)
🌸
"(-""-)"…おうおうおう!
さっきからテメーら、黙って聞いてりゃいい気になりやがって。
そもそも仏さまってモンをテメーらが勝手に自分の思い込みで決めつけて本当の仏を求める気持ちがサラサラねぇっつーだけのことじゃねぇか!?
仏ってのは、テメーらがあーだこーだ勝手に思い込んだり、決めつけたりするその是非善悪の心や自分自分した我が身可愛がりの心を鎮めて、心騒がす自分意識すら完全に黙らせたモンだけが拝める✨人間万人の本来性のことよ!どっちに目ぇつけてやがる!(-_-)
坐禅も念仏も正しい理解もねーまま、勝手に仏を拝もうったって、そんなモンどこにもありゃしねぇよ!仏を拝む前に自分の思い込みに向き合ってみろぃ!よそに神様めいたホトケなんざ求めたって金仏木仏、絵空事のホトケしか拝めねぇってもんよ!
ホトケさまを拝みたけりゃ、あ、おがましたろかぃ。キラーン🌸
この字をみてた時に目があるかぃ。これ見る時、目がありながらも、その目すらも忘れていたはずよ!
自分でありながら自分であることも忘れ、ただその事に成り切っていた無心の姿ってもんが誰にでもあるのを知らねぇのかい!
坐してそこに目を向けてみろぃ。
仏❝さま❞っちゅうのは、アンパンマンが正義を人格化したみてぇなモンよ。アンパンマンは君さ~♪って歌の意味が分かる年頃になってもアンパンマンをいつまでも外に求めていりゃぁアンパンマンにも仏様にも会えやしねぇ。自身の内に仏とは何かを求めねぇ限りオメェの仏は今日も、あ、泣いてるのよ!

回答僧

大慈

善い傾向です

桃太郎という昔話があります。桃太郎は犬と猿と雉を連れて鬼ヶ島に鬼退治に行きます。桃太郎というヒーローはいるのでしょうか?きびだんごを持っていれば犬と猿と雉が仲間になりたそうにこちらを見るでしょうか?

答えは「大切なのはそこじゃ無い」です。

犬は群れの仲間を大切にする生き物で、他人への優しさの象徴です。猿は賢い生き物であり、知恵の象徴です。雉は我が子を守るために自分が囮や盾になる生き物で、勇気の象徴です。この優しさ、知恵、勇気の3つは儒教の三徳、仁・智・勇を指します。

つまり裏読み深読みすると、三徳を身に付けて世間の荒波の中で精一杯生きていけるよう成長しなさいよ、という教訓の童話なんです。
人は子供から大人になり、親になり、一族の長老になるというライフステージを進める中で、より深い段階で読めるようにならないといけません。これは儒教だけでなく神道でも仏教でも何でもそうです。
桃太郎が犬と猿と雉と一緒に鬼と戦いました!これは情操教育段階の読み方です。そこで止まって欲しくはありません。

さて、じゃあ仏さまってどう深読みするの?という話になりますが、仏とは悟りのことです。じゃあ悟りって何?というと、ちと答えに困ります。1人の人間が心の平穏を得ることも悟りです。でも、この世界の在りようも悟りです。みんなを救う力も悟りです。
じゃあどうやったら救われるのよ?どうしたら心の平穏を得られるのよ?となると、実は人それぞれな所があります。応病与薬と言いますが、症状やその人その人の体質に応じた薬というものがあります。高血圧に下痢止めを飲んでも仕方がありません。世間で評判の薬でも自分には副作用が出るということもあります。
それと同じで、その人その人の性質に合わせた方法を突き詰めて、パターン化したところに宗派というものがあります。その意味で、仏をどう深読みするによって宗派が分かれていると言っても過言では無いでしょう。

はしもと様は仏教のライフステージが一歩進む機縁が満ちて来ているのでしょうね。その混乱は悪いことではありません。善いことです。情操教育のようなそれとなく教わるイメージの集合体から、具体的な道として仏教を知るべき時期が来ているということです。
色んなお坊さんが色んな切り口を持っています。はしもと様に適ったご縁に恵まれますよう、お祈り申し上げます。

回答僧

圓常寺

聖章

仏様はいますよ

仏様はいますよ。
仏様とは覚った人のことです。
(覚るは悟るとも書きます)

例えばお釈迦様(釈迦牟尼仏)です。
今から2500年前の人です。覚りに至る為のたくさんの教えを説いて残されました。今あるお経は全てその教えが元になっています。あなたがお釈迦様に手を合わせ敬い教えに従う時、あなたから苦しみが遠ざかるでしょう。機会があれば「ブッダの真理のことば、感興のことば」岩波文庫(中村元訳)などを読んでお釈迦様の教えに触れてみてください。

また阿弥陀様(阿弥陀仏)がいます。
この世で覚りに至ることができない人を救う仏様です。極楽浄土という国をつくり、望む人すべてを、その人の命が尽きた時に受け入れてくれます。そこで修行して覚りに至る、つまり仏になるのです。
宗派によって信仰する所しない所がありますが、私は信仰しています。
極楽浄土に往く為に、日頃から南無阿弥陀仏と念仏を唱えています。

そして、あなたのご先祖様がいます。
現世で、あるいは極楽浄土で修行して既に仏様になられたであろう、あなたのご先祖様がたくさんおられるのです。あなたが仏壇や位牌やお墓に手を合わせ祈る時、ご先祖様達はあなたの声をちゃんと聞いているのです。あなたを導いてくださるのです。

どのように導くのかというと、あなたの心の中の仏性(仏の種)に働きかけるのです。仏様を信仰するように。悪いことをしないように。良いことをするように。もしあなたが何か良いことをしたなら、それはご先祖様からあなたの仏性への働きかけなのです。

また、日本人は他者と挨拶する時にお互いに頭を下げますね。それはお互いに仏性を持つから、お互いに未来の仏様だからなのです。

他にもたくさん仏様はいます。
たくさん居すぎて混乱しちゃいますね。
どうかこれからも仏様を信じてくれることを願っています。

見仏・授記・自灯明法灯明

はしもと様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

大乗仏教では、成仏に際しての見仏、授記という考え方がございます。

これは、成仏には、実際に悟っている仏様とお会いして、その仏様から教えを受け、そして、「貴方はこれから〇〇の修行に精進して、将来は〇〇という名前の仏となるでしょう」という確約を与えられることが必要と考えられています。

しかし、お釈迦様が入滅なさられまして以来、現在、この世界(仏国土・三千大千世界、とんでもなく広大な世界です)において、私たち凡夫でも会いまみえることができるお姿としての如来・仏様(最勝応身)は不在となってしまっております。(もちろん、お姿は無くても有り難い仏法は残っています。)

但し、56億7千万年後には、弥勒菩薩様が如来となって、またこの世界には応身の仏様が現れられるとされてはいます。

でも、このままで56億7千万年間は、見仏、授記できる仏様が不在であれば、誰も成仏できないことになってしまいます。

そこで、成仏のためには、他の仏国土へと往生することにより、見仏し、授記を頂きにいかなければならない事態となってしまっており、そのため、仏様のいらっしゃられる極楽浄土の阿弥陀如来様、あるいは、密厳浄土の大日如来様や霊山浄土の釈迦如来様のところへの往生を目指す必要があるのでございます。

ただ、現在、この仏様不在の世界でも、授記を頂ける方法はございます。それは密教の灌頂という方法となります。

灌頂においては、しかるべくに本尊(如来・仏様)と一体となられた導師により、色々な指導と共に授記を受けることができます。

と・・以上は、少し難しい話となりましたが、仏教はとにかく「自灯明 法灯明」です。

仏様は不在でも、有り難く尊くにも残っている仏典・仏法を拠りどころとして、自分自身のありようを調えていくことが望まれるものとなります。

それは、信じたから、祈ったから、願ったから、うまくいくというようなものではなく、もちろん、信・祈・願も大切ですが、それも基として、仏法を頼りとして、自らのありようを現実に即して、より善き因縁(原因と条件)に調えていくことにより、より善き結果へと向かって参りたいものとなります。

是非、そのより善き因縁を調えるための方法を、更に仏法から学び実践して頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

回答僧

鳳林寺

光禪

実はあなた自身が仏さまなのですよ

こんにちは。

 ご質問を整理してみて気がついたのですが、「仏さま」とひとことで言っても、いろいろな「仏さま」がいるなぁって思いました。

 おおざっぱに言うと2つに分類されるのではないでしょうか。「内なる仏さま」と「外なる仏さま」がいる、という事です。
 「内なる仏さま」とは、「感謝の心を持つ」事とか「ものごとは原因と結果なんだ」と気がついたりする、あなたの心の中で起こっている事です。
 「外なる仏さま」とは、「祈ったら病気が治る」とか「写経していた時に曾祖母様が亡くなった」的な外からかかった不思議な力、また、あなたに手を合わせることや写経を勧めてくれたお祖母様の存在。

 仏教の教えは、あなたの中に仏さまがいますよ、という教えです。物事には原因と結果があるんだ。今の問題をどう解決し、どのように考えるべきか、実在のお釈迦様の考えに照らし合わせて、自分の心の中にいる仏さまの存在に気づき、善い行いをしていくことです。
 また、例えば曾祖母さまの死をご縁に般若心経に出会えたのは、因果のはたらきです。これは外なる仏さまと認められるでしょう。
 残った「祈ると病気が治る」の考えには、私はそのような考えは尊重しますが、否定的です。仏教的にも否定的だと考えて良いと思います。仏教では因果を説きますが、そのような不思議因果には否定的です。尚、写経中に曾祖母さまが亡くなったのは偶然と考えますが、あなたのお経の力に見送られ、きっと幸せな最期だったと思いますよ。

 これからもあなたの心の中の仏さまに気づき、感謝の心で手を合わせることを忘れず、仏教の教えの内容をよく理解しそれに沿った生き方をしてくださいね。仏さまっているの?実はあなた自身が仏さまなのですよ。


質問者からの有り難し - お礼

たくさんのご回答ありがとうございました。
お礼が遅くなり申し訳ありません。
仏教、まだまだ難しいです。
でも少しわかったような気がします。
もっと深く知りたいと思いました!
仏様は私の中にもちゃんとおられるんですね。
これからも仏様を信じ、大切に生きて生きていこうと思います。ありがとうございました!!

関連する問答
このページの先頭へ