クソ世界で自己満足したい生きる意味を知りたい
人間が絶滅したら図書館の本もインターネットの情報も残らないらしいです。文明作るのになんで人類は必死に頑張ってバカじゃね?と思うのです。
1生物学でわかるように子孫を残す意味はないようです。遺伝子の乗り物だ!というドーキンス。子孫繁栄に目的もなくゴールのない遺伝子競争が行われていて。そして死ぬ。肉体すら骨すらも最終的に残らない。まさに俺たちは死刑囚と同じ。明日死ぬかもしれない。けどなんの意味もない。
物理、数学でも真理はなくノイマンもアインシュタインも世界の答えはわからなかった。結局クソ天才でさえ意味不明なこの世界で答えもわからず死んだ。ips細胞より凄い細胞ができても人類は滅ぶし太陽系は無くなり、星間ガスがなくなれば宇宙自体が存在しなくなるらしいです。つまり生物が永続することは100%ないです。苦しみながら老いて孤独にゴミのように死んでいきます。
2また今みんなが必死に頑張ってるこの文明や人間社会も茶番で必死にみんな頑張ってるのに貴方のお寺も誰かの会社や学校も無くなるし100年後にはみんなが努力して頑張った物もなんの意味も無くなる、社会は必死にバカ真面目に理不尽な思いをしながら勉強して仕事して搾取されて資本主義を実践しても未来には何も残らない。バカらしくなりますよね。現代に残るのは格差と理不尽だけ。
3私が必死に優秀な人になるために頑張ってもなんの意味もなく、すごい天才がいて、その天才の上に天才がいてその天才の生きる意味すらなくてその人が何かを生み出してもどうせ死にます。
ニーチェ的に相対論で人は死ぬけど人生は自己満足だ!楽しめ!と思いこむとします。
でもそれらは満足できる人の為のものでしょ?やはり何にでも序列がつけられてるし、その序列のトップになれない人が大半です。それで面白くないなあと思う人がいて、またそのトップもどうせ死ぬのです。好きな仕事もできる人、できない人がいるし。元スポーツ選手で下半身不随の人は自己満足できるのでしょうか?
意味がなくても生きてるよ!とか言う人がいますが、そんな人も大半が真面目に社会参加してます。私のように大学を休学したりしてない。みんな社会に価値があると思ってる。人に会おうとするし何かやろうとする。毎日壁を見つめるなんてことはしない。
生きる意味は放棄して自己満足できらばいいんだよ!という思考にどうやったらなるのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おしい! もう一声!
savantさん。
色々と勉強されているようですね。
そしてそれをここでぶつけてくれている。
そう、そうやって一つずつ確かめていけばいいと思います。
思考が完成したと思った瞬間に、停滞は始まります。(仏教的には「増上慢」といいますが)
お気を付けください。
さて、savantさんのご質問にお答えします。
直観的に返答しようとしたら、タイトルのようになりました。
何の意味もない、あとには何も残らない。
ならば、誰が優れているとか、評価されないとか、愛されないとか、そういうことも全て幻想ですよね?
物事を相対的に見ることを突き詰めれば、確かに「価値」は何も残りません。
ただ、そこにある現象だけが見えてきます。
では、あなたには何の感覚も、感情もありませんか?
感覚的な、環境的な、社会的な刺激に出会ったときに、何の反応もしませんか?
それも幻想、と切り捨てることも自由です。
ただ、幻想を抱く自分はそこにいるかもしれません。
「Cogito ergo sum」です。
いまのモヤモヤを突破するのに必要なのは、「言葉」ではなく、「経験」や「感覚」かもしれません。
savantさんの学びから得た相対的なまなざしをもっと徹底して、価値判断をすべて捨てて、自分自身に起こることを詳細に観察してみましょう。
思考や行動や感情や生理現象まで、じっくり、ゆっくり観察してみてください。
「あぁ、これも自分がそう捉えている幻想かもしれんなぁ」などと思いながら。
ちなみに、貴方の文章からはカモフラージュとしての攻撃性と、その奥の「助けて」のメッセージが感じられます。
これも、私が勝手に感じた妄想ですが、その妄想に対する反応として、文字をつづりたい、伝えたいという思いが湧いてきました。
そのように刺激してくれて、ありがとうございます。
生きる意味は、空であり縁起なるもの
savant様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
仏教では、死後にも続いていく、輪廻における心相続の問題を扱うことになります。
その輪廻における心相続を清らかに、安らかに、悟り・涅槃へ向けて調えていくために説かれておりますのが、仏教であり、輪廻を繰り返す原因としての煩悩、無明(根本的な無知)を対治していく必要がございます。
また、仏教では、この地球一つ、この宇宙一つにおける次元の問題だけを扱うものでもないとお考え下さいませ。もっと空間的にも、時間的にも、想像を超える次元を扱うことにもなります。
無記(議論しても仕方のない)なこともございますが、とにかく、迷い苦しみの原因は、願誉様もおっしゃられていますように、煩悩、そして、無明にあります。
無明は、実体への囚われから生じます。
生きる意味も、実体としてはありません。空です。しかし、何も無いというわけでもなく、ただ、因縁(原因や条件)により(縁起として)あり得るものということになります。
良い因縁により、良い意味合いを見い出して参りたいものとなります。
是非、これを機会に仏教を学び進めて頂けましたらと存じます。
川口英俊 合掌
生きる意味を知りたいと思うのはなぜ?
生きる意味を知ってどうされるのでしょうか。
釈尊は人間がいくら考えても、努力しても分からなことは、そのままにしておけばいいと考えられました。
生ずれば滅す。すべてのものがそうです。すべてのものが滅すのなら、最初から生じなければいいと思われますか?
あなたは永遠の命を与えると言われたら、どうしますか?私はお断りです。終わることのない人生なんて、まっぴら御免です。
生きる意味は、自分の置かれている状況によって何度も変わります。それでいいのです。人間は独り生まれ、独り死ぬのです。
悩み苦しみの原因は煩悩
あなたには、何らかの悩み苦しみがあるようですね。
その悩み苦しみの原因は、煩悩なのです。
煩悩を制御できれば、悩み苦しみを制御できます。
仏教は、煩悩を制御するテクニックを教えてくれます。
つまり、平気で生きて平気で死んでいけるようになるテクニックの集合体が仏教なのです。
仏教を学んでみてください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
人生に絶望してるのは消えませんがこの世が無意味なら苦しみも幻想だと気づけました。
これから色々経験して何かに気づきたいと思います。