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仏教の修行法を教えてください。

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はじめまして。

近頃仏教に興味が湧いてきました。そこで悟りを開くために自分も何か修行しようと思い、どのように修行をすればいいのかを知りたくなりました。
今はまだ出家する気はないので、出家せずにする修行法を教えてください。

スポーツも年々新しい効率的なトレーニング法が考案されますが、仏教にも最新式の修行法などがもしあれば教えていただきたいです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それがただそれ かくのごとし

本来成仏。
この心身に余分な働きを加えなければ本当に成仏。
で、今「オラは悟っていない」とみるのは、考えをおこして眺めているからです。
犯人はそやつ。
考え、思い、思考のマインドでものを眺めるように分析的にみているから悟り状態を否定したり、その考えによって影響され、悟りではない、とラベルを貼る。
力を抜いて、そこにそのまま❝居て❞みてください。
居る ということは、それ以外に何もしないことです。
私は今電車、西武線に揺られていますが、手を休めれば、目はただ物ばかりが映る。
留めようと思っても新しい景色に代わっています。
その通りに今です。
悟りという事も迷いという分断、区分けもなく、そのとおりに、見えて、聞こえています。
これは、万人の真実の姿です。
そこにそれがあれば、それが只そうある。
残り物なく、とどまりもなく、何の坐禅やら仏行やら修行臭いことも持ち込んでいない。
それが無為です。
無為なんて言葉すらいらない。
その通りにただ、そうあるだけ。
ところが多くの人は、考えの上で修行らしいことをやろうとします。
真の剣士は竹刀や刀なしに相手を倒せます。
「私はまだまだそんな境涯ではない」とか思うでしょう。
それもはからい。考え事。理。
本当に、それの通りに過ごしてみてください。
空手にして本源に還る。
持ち物なしに、自分が自分ともしらずに、そこに居る。
居るなんて認識すらない。
悟った老師はよくこう言っておられました。
「本当になンもせんで居られるようになりなさい」
良寛も似たような言葉を残しています。
「観音さまに五眼あるとな?真・清浄・広大智慧・慈・悲の観。まったくツマランものじゃ。無観こそ最も好観だのに。」
世間では、そういうかまえ事や、それらしい修行法をありがたがるものですが、わたしゃ電車に揺られながら、そうしていながら最高じゃ、ということです。
ガタンゴトン。
それがただそれ。そこで完結です。
事があれば、ただそのことあるのみ。
思いが出たらただ出たというだけ。
そこにワタクシする思いが無くんば、ただそれがただそれ。
坐禅というオスワリのをするのではない。
こころが外の事にも内なる思いにも、向かって、ただ、そうあるだけになって「ただ居られる」ことこそ活きた悟りなのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

他に何かをすればいいということではない

釈迦さまもそうであったように、自分のほかに何かを求め、「これをすれば悟りが開ける」といったことはありません。
すでに、ご自分のありようは、悟りの世界です。ご自分を研究追求していくことが、悟りの道です。考え方の世界でもありません。
私は禅宗の僧侶ですので、坐禅をお勧めします。禅とは何かを学ぶことがいいと思います。禅に関する本はたくさん出ています。片っ端から読むのもいいです。とにかくどんなものが禅なのか学んでください。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

「音楽念仏三昧の修行効果って?」世界最新かどうかはわかりませんが、"こんなのもありますよ"、というご参考までに。(ちなみに参加者は、ほとんどが一般の方です) http://taosangha.com/what-a-experience/nenbutuhi/  

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僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、タイ、バングラデシュで活動する指圧師、作家、音楽家。タオサンガ・インターナショナル代表。京都浄土宗和田寺の僧侶。タオ療法、タオ指圧、気心道の創始者。著書は数カ国語に翻訳され世界各地で出版されている。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%96%A8%E5%8F%8A が実は、元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。現在は、浄土宗和田寺の住職で、一般の人が気軽に修行できる場として、京都と東京に道場を作りました。(道場はその他、世界各地にもあります) なので、修行したい方、人のために涙する方、楽しいことが好きな方はぜひ来て来てください。あなたを歓迎します。 ※毎週、法話を配信しています。書き起こされた法話は、下記でご覧いただくことができます。 http://taosangha.com

戒・定・慧の三学

戒(五戒)を守り、
定(禅定、精神集中の修行)、
慧(智慧、観察、ありのままに観る修行)
を行うのが、仏教の基本です。
慧(観察)については、例えば、
日本テーラワーダ仏教協会のホームページにヴィパッサナー瞑想というのが載っています。
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html
同ホームページに出ている慈悲の瞑想は、
定(禅定)の修行に該当するようです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

胡座をかいて、目を閉じて、一分間なにも考えないというのをやってみました。坐禅の仕方はこれであってますか?これを毎日やればいいのでしょうか?

丹下覚元和尚。

回答を何度も読んでみました。

ようするにすでに私は悟ってるから、そのことに気づいて、アクセク座禅したり修行したりする必要はない。という理解でいいですか?

丹下覚元和尚。

回答を何度も読んでみました。

ようするにすでに私は悟ってるから、そのことに気づいて、アクセク座禅したり修行したりする必要はない。という理解でいいですか?

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