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みんなの幸せを願う。仏様に甘えちゃいけないってことですか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 9

 いつもお世話になっております。
 もう当面は例の法要会にいけそうにないので、仏事の質問は
ここでさせていただきたく存じます。
              *
 仏は誰かを傷つけよう、陥れようとする願い、それから自分の
欲求だけを満たそうとする願いは聞いてくれない。
 皆さんの願いと一緒に、わたしのお願いも聞いてくださいと
願うのが正しいお願いの仕方だとお話をいただきました。
              *
 ですが私自身も難儀を抱えており、
愛し守ってくれる親も無し、お不動様や阿弥陀様を父母と思い、
 慕い縋って生活している次第でございます。
              *
 私自身、人のために願い事をして、その人に裏切られるのが
恐い、という思いがあります。一度成功しましたが…
 大祭などでお札を奉安するときも「信徒安全」と書きますが
基本的に普段はご本尊様の前で自分の感じる辛さを吐露して
時には涙すらこぼします。
              *
 でも普段の生活においては赤ちゃんに笑いかける、席を譲る
、お礼とねぎらいの言葉を忘れないなど多々気を付けています。
              *
 私のやり方は間違っていますか。
 どうかお教えいただきたく存じます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

世俗的な幸せと勝義的な幸せ

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

みんなの幸せを願う、祈る、あるいは、そのための実践は、誠に大切なことです。

しかし、それが、「世俗的な幸せ」というものであるならば、やはり仏教ではいずれ捨て去るべきものとして扱わないといけないものとなります。

仏教における「みんなの幸せ」とは、「迷い苦しみの輪廻から解脱すること」、つまり、皆が、「悟り・涅槃へと至れる」という究極的、勝義的な幸せであるべきとなります。

ですので、皆を悟り・涅槃へと至らしむるために、自分は悟り・涅槃を得たいとして仏道に励むあり方が正しい心掛け(菩提心)となります。

もちろん、普段日常における世俗的な利他の行いも、相手にとって、幸せに繋がることもあり得ますが、しかし、その幸せは、世俗的なものであるのか、あるいは、皆を悟り・涅槃へと向かわしめれる勝義的なものであるのか、その見極めも大切なことになります。

凡夫・凡俗なる身による利他の行いは、おおよその場合は、前者となりますが、しかし、それでも、それはやがて皆を悟り・涅槃へと導くために、自分が如来・仏陀となるために必要な功徳となっていく可能性はございます。

まあ、とにかく、完全円満なる利他の行いができるようになるためには、何よりも自分が如来・仏陀とならなければいけません。

そのために仏道を確かに進めていくことが求められるものとなります。

また、願い、祈りも動機として大切ですが、何よりも、その動機を基とした実践が必要なことにもなります。少しそのことも意識なさられて頂けましたら有り難いことでございます。

少し難しいことを申しましたが、また今後の参考として頂けましたら幸いに存じます。

川口英俊 合掌

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三休さん
二休みも三休みもしてしまう怠け者。三休です。 最新の仏教論考はこちら...
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正直になれば良いんです

あなたは間違っていません。

…と、言ってほしいですか?

それとも「それはダメ」とか言ってほしいですか?

お願いの「仕方」が正しいかどうか よりも

「抱いた願いがあなたにとって偽り無いものかどうか」

これで十分です。

ひたむきなお気持ちでお参り等をなされておられるご様子、伝わってまいりますよ。

既にご自身の中では、信念があるのではないですか?

自分を信じて。大丈夫ですよ。

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おきもち


現代は実に「背負い込んでる」人が多いと思う。 別に自分が背負い込まなくて...
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質問者からのお礼

【TAIKEN(FDN) 先生】
ご回答ありがとうございます。
ひたむきな気持ち、こんな拙い文章から
おわかりいたたげるなんて。
でも、その信念とやらが自分の中では
わからないのです。
✳︎
【川口 英俊 先生】
ご回答ありがとうございます。
皆を悟り、涅槃に至らしめるために自分
が…ですか。そんな事を言う資格、
私にあるのかな……。

「仏教全般」問答一覧

奉仕活動で解脱を目指すこと

私はバガヴァッド・ギーターというインドの聖典が大好きで、その中に「奉仕活動によって解脱ができる。それは行よりも有効な手段」という記述があります。私の夢は解脱とみんなが幸せな世界であり、そのためにボランティア、人助け、世界のためになる選択肢を選ぶことが大好きです。 しかし、達磨大師はこう言われました。功徳(つまり私でいう、解脱を目的としていること)のために寺を建築したり写経したりしても新たな煩悩を生むだけであり無功徳であると。これは、解脱という利己的な目的を持って人を助けたり救ったところで自分は何も得られるものがない、ということなのでしょうか。 奉仕活動によって解脱を目指すというのはシク教やヒンドゥー教的な考え方のはずで、確かに私は若い頃にいっぱい罪を犯したためその分、誰かを助けたり誰かの役に立ったりよりよい世界を作るために努力することは損得を抜きとして心から大好きです。しかし、その先で自分も解脱したいという利己的な抱きがあるのもまた事実です。 私のしていることは、解脱を目指す上で無駄なのでしょうか? 私の行いで誰かが喜びを味わったり救われたりしているので、それは決して無駄なことではないのは確かなはずです。しかし、やはり達磨大師のおっしゃられたことにも一理あるので、そこがずっと引っかかっているのです。例え自分に得が無くとも、奉仕活動自体は好きなのでそのスタンスは崩さないつもりです。 私はちゃんと正しい方向へ進めているでしょうか? よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 31
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