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人生の山と谷について

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よろしくお願いします。
私は、現在20代後半ですが、私の人生なりに山あり谷あり、嬉しいことも辛いことも色々経験してきたつもりでした。

去年、長かった学生生活を終え、夢を実現し、最近になりお金も稼げるようになってきたのでこれまで迷惑をかけてきた親に少しずつでも楽しいことをさせてあげよう、まだ自立できていない兄弟に頭を悩ませている分、私が親を喜ばせようと思って行動していた矢先の出来事でした。
また、長くお付き合いしている彼女ともようやく結婚を意識し始めたところでした。今まで苦い経験をしていた分、まさに人生バラ色などと思い上がっていたところでした。

本当に情けない話なのですが、飲み会の後、睡眠をとりましたが、まだお酒が完全には抜けきっていない状態で運転をしてしまい、事故を起こしました。ローンが残っている愛車は全損してしまったものの、幸いにも誰も傷つけることはなく、自損物損事故だけですみました。もちろん警察には逮捕され、今は調書の裏取りなど捜査が進んでいる状況です。私自身は軽傷だったのでその日からなんとか仕事には復帰していますが今後、同じ職場で仕事を続けられるかは審議されているところです。

親、彼女、友人に今まで苦労をかけた分、これから返していこうと思った矢先に自分の甘さで逆に今まで以上の気苦労をかけてしまっています。

そこで自分の人生を振り返ってみたところ、不幸の先には幸福があるという言葉がありますが、僕の人生の不幸は基本的に自分の甘さからくるものがほとんどで不幸というよりはなるべくしてなった失敗でした。自分は不幸だと嘆いていましたが、自分よりも周りを不幸にしていたことを今になって再認識しました。本当に愚かです。

自分から招く不幸の先には幸福なんて甘いことありませんよね?
自分は周りに迷惑かけられていると思ったことがあまりないので、これではギブアンドテイクが成立せず、自分は迷惑をかけるだけの人間になってしまいます。そう考えると余計情けなくなります。

事故を起こして日が浅いのでまとまらない文章になってしまいすみません。事故直後はそのまま死んだら良かったとおもうほど情けなく辛かったですが、なんとか再起してやろうと思えるようになった私に人生の山と谷、幸福と不幸のバランスについて教えていただければ嬉しいです。
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

誰が幸不幸の審査員でしょうか。

タイトルを一週間かけて毎日、自問自答していれば大きな気づきを得られるでしょう。
まず自分の幸せ・不幸せを図式化しない方がイイと思います。
これは不幸でこれは幸せで、これの後にこういう 幸せが待っている、こういう不幸が待っているとかって、こう言っちゃなんですが全部でたらめです。
自分が頭の中だけで作り上げている持論でしかありません。
たとえば今回答が来た時に、不幸だとか幸せだとかがありましたでしょうか?
今、不幸だとか幸福だとか無かったはずです。
評価よりも、実感を大事にすると良いですよ。
そうすると、そこにない不幸を思い返すこともなく、事前設定の幸せが無くなりますから、いろんなところに幸せを見出せる頭脳になるでしょう。
私は今、松葉づえ無しでは歩けない身体です。
ところが鎮痛剤を飲んだり、誰かのために幸せになれる活動を常に欠かさないので、心は常に善玉菌が溢れています。
歩けない、病人状態なのに笑っちゃってしょうがありません。
不便は不便です。
ですが、裁く私がいない。
だから、この歩けないからだでも、不幸感がありません。
実際の身体はこの様な状態なのですが、何故私は不幸ではないのでしょうか。
それは、裁かない。評価しない。DISらない。ネガティブ思考をしないのです。
どうすればそうなるか。
坐禅です。
坐禅はちゃんとした方の指導の元であれば、思考や想念ファースト頭脳になりません。
事実ファースト頭脳なので、あれこれ脳内スタジオに騒がしいコメンテーターやゲストを呼ばないようなものです。
あなたを今苦しめているのはあなた脳内スタジオに毎回司会者をしている「自分の分身」です。
それを仮にD氏であるとすれば、即日解雇することです。
今日から、これを機会にD氏を解雇して脳内スタジオにもっとさわやか系な司会者をあてがいましょう。
モノをみるのに聞くのに、はじめは評価をしていません。
あとからいちゃもんをつけるあなたの脳内長年ベテラン司会者Dを解雇すればよいのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

他者の命を奪わなくて不幸中の幸いでしたね。
一般的にはよく幸福と不幸はバランスがあると言われますが、それはあくまでも、現状の不幸を乗り越える為の励ましであったり、あるいは、現状の幸福による怠惰や慢心を戒める為であったりします。
しかし仏教的には幸福と不幸のバランスは説かれていないのです。
この世は因縁の理によって成り立っています。
ですから、結果には必ず原因があるのです。
不幸な結果には必ず原因があり、幸福な結果にも必ず原因があるのです。
その原因を突き詰めて、不幸になる原因を取り除く、あるいは解決しなければ、やはり不幸は起きるべくして起きるのです。何度でも、何度でも、不幸の連続です。

今回は①お酒を飲んだこと、②運転したこと、この2つが大きな原因でしょう。
①については、仏教の戒にお酒を飲んではいけない、とあるように、なるべく飲まないようにしましょう。飲んでも理性を保てる範囲にしましょう。まっすぐ歩ける範囲にしましょう。
また、車を運転する予定なら決して飲んではいけません。たとえお酒を飲まないといけない雰囲気でも、たとえ上司や先輩の命令でも、ちゃんと断ることが必要です。

②については、もちろん運転してはいけませんが、それでもいつかは運転する時が来ます。しかし自分の状態は案外自分では分からないものです。ですから、車を運転できるかどうか自分だけで判断せずに、アルコール分解時間を計算するソフトを使って計算してみましょう。
ネットを検索するといろいろ見つかりますよ。
その時間を守ることと、自分の判断の両方を満たすまで待ちましょう。
また念のために、半日は普段よりスピードを落として、車間距離を確保して運転しましょう。
急ぎの時は代行運転でも、タクシーでも使えばいいのです。

今回は本当に運が良かった。幸運でした。次は誰かを殺めることになるでしょう。
これからは同じ過ちを犯さないように、油断せずに努力してくださいね。
なお、お酒だけではないですよ。ドラッグ、風邪薬、睡眠薬などの薬品や、あるいは車の中で友人とはしゃいでいたり、嬉しいことがあって有頂天になっていたり、考え事に夢中になったり、よそ見をしたりと理性を失うことが無いようにハンドルを握ったら気を引き締めましょうね。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

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