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お寺の正しい参り方

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先日、母が交通事故に遭い、京都の薬師如来様をお祀りしているお寺で祈祷していただきました。以前から疑問に思っていたのですが、神社は二礼二柏手一礼と知っていますが、お寺は同じではないのでは?と思いました。そもそも神道と仏教という事点で違いますよね?お寺の正しい参り方をお教えいただけませんでしょうか、また母の見舞いに行ったとき、すがる思いで薬師如来様の真言唱えているのですが、厳しい修行を積んだお坊さんでもないのに口にしていいものでしょうか。いろいろと無知で申し訳ありません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご心配なく( ´・ᴗ・` )

お寺でお参り→合掌低頭
お宮でお詣り→柏手参詣

正確には上記となりますね。ですが、ここにあまり拘りを持たないでください。間違ってるのか合ってるのか、そんなことより神仏の前に貴方が足を運びお越しになった事そのものが一番大事。一心に手を合わす姿、神々しくすらあります。だから私は、寧ろやり方なんてオマケ程度に覚えてくれたら充分だと思っています。

真言?どんどん唱えてください。悪いものじゃなし減るもんじゃなし。お坊さんだけの独占アイテムにて限定配布されたお経とか、そんなものはありませんよ。むしろこの世の皆様の為に有るもの。使っていただいて何よりです。

神様と仏様、実はかなり密接不可分な存在として大昔から存在し扱われてきた歴史があります。インドでも、中国でも、もちろんここ日本でも。この事についての説明は難しいし長くなるのでここでは敢えて避けます。ご興味ございましたらどうぞネットやら書籍やらにて。ちょっと調べればすぐ分かってきますよ!

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おきもち

現代は実に「背負い込んでる」人が多いと思う。 別に自分が背負い込まなくて...
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こんにちは。

 お母様がお怪我をなさったのこと、大変ですね。

 お寺のお参りの方法ですが、
 まず、まず三門(山門・正門)から入ります。お寺に住んでいる人や出入りの業者さんが使う通用口があり、そこを使うと近道になりますが、お参りの時はきちんと正門から境内に入りましょう。
 本堂までの通路に仏像があったら、仏像に向き軽く合掌して通りましょう。
 本堂の前に来たら、お賽銭をする場合はまずお賽銭をします。大きな鈴(ガランガランっていうの)が付いていたら鳴らします。そして柏手は打たずに手を合わせます。合掌は人差し指の先が鼻の高さになるようにします。鼻と手の間はこぶし一個分くらい離します。

 ご真言はお唱えして良いですよ。私の寺では、年に2回薬師如来のおまつりがありますが、檀信徒のみなさんと薬師真言をお唱えします。一方でお見舞いの時、本人に向かって真言を唱えるという作法は、私は聞いたことがありませんね。唱えて悪いということではありませんが、本来は仏さまに向かってお唱えするものと思います。

 なお、お母様の前では、(意識のある/なしにかかわらず)是非楽しいお話をしてあげてください。
 村上春樹さんの小説「1Q84」の中でこんな話があります。
 意識のない父親を看病している主人公天吾に対し、看護婦はこう言います。
 「看護婦になる教育を受けているときにひとつ教わったことがあります。明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせるということです。明るい言葉には明るい振動があります。その内容が相手に理解されてもされなくても、鼓膜が物理的に明るく震えることにかわりはありません。だから私たちは患者さんに聞こえても聞こえなくても、とにかく大きな声で明るいことを話しかけなさいと教えられます。理屈はどうであれ、それはきっと役に立つことだからです。経験的にもそう思います」

 ご相談からはお母様の意識の有無がわかりませんが、是非いろいろな話をはなしかけてみると良いと思います。きっと聞こえています。鼓膜をやさしく震わせています。

 お母様のご回復をお祈り申し上げます。

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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心配すると心が折れますよ

御質問有難うございます。自分は浄土真宗本願寺派の住職ですが、おっしゃるように神社は二礼二柏手一礼を行いますし、私たちの浄土真宗本願寺派は 合掌 礼拝でお参りさせて頂きます。お母さまが事故に遭われて本当にお気の毒でございますが、浄土真宗の教えではこの事を宿縁と申します。お母さまが事故に遭う事は決して予想もしない中で偶然事故に遭われましたが、たまたまその場所に行かれて事故という御縁に逢われましたが、もしその時少しでも早かったり、遅かったりしたら事故に遭わなかったのではないかと思います。この事故に遭われた事で少しでも楽になりたいという思いこそが、煩悩でございますし迷いの世界であり、生きている上で苦しみを避ける事が出来ないのが実状です。少し教えが違っているかもしれませんが、京都の薬師如来様をお祀りしているお寺でお参りされたのであればそれも正しい事だと思いますし、真言を唱える事は良いかと思いますが、少しでも浄土真宗の教えを知って頂きたく思います。合掌

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おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

何より心から手を合わせることが大事なのですね。自分の母の事だけではぬく、同じように苦しんでいる方の為にも毎日手合わせることを続けようと思います、ありがとうございました。

「お参りの仕方」問答一覧

家で出来るお参りの方法

よろしくお願いします。私(主婦52歳)の実父は約40年前、実母は4年前にそれぞれ他界しました。 私の実家は車で約4〜5時間ほどの距離にあります。父母そして祖父母(父方の)のお骨を実家から車で20分くらいの所にあるお寺(真宗)の納骨堂におさめています。 事情があり私は現在実家には帰る事ができません。母が亡くなったときは私が喪主でお葬式をして納骨をしましたが、初盆も3回忌も私の事情で行いませんでした。それでも親戚が何か言ってくるというわけでもなく、むしろ、そのほうが良かったようです(皆、高齢で面倒だということで)。納骨堂の管理費も私とは全く付き合いのない父方の兄弟がずっと未払いだったようなのですが、母を納骨する時に私が支払う事にして、未払い分は免除していただき引き続き納骨堂にお骨をおさめさせていただけるようになりました。 ただ私がそこにお参りにいくのがちょっと困難で、なかなか行けない事が心苦しくて仕方ないのです。実家に住んでいたときはお彼岸お盆などには必ずお参りをし、県外に出ても実家に帰った時は必ずお参りしていました。心の中では先祖を敬う気持ちはいつも持っているつもりです。けれど今は形で表せてないのでダメなんじゃないかと。。。今住んでいる家に仏壇などなく、また仏壇を置くにはそれなりの儀式が必要なのでは、と思っているのですが、主婦なので金銭的にも状況的にも出来る事が限られます。私の出来る範囲で、例えば時々見かける小さなモダンなお仏壇を購入してきて部屋の一角に置き、お線香とかご飯とか備えるだけなどというのは、意味がない(お坊様にお経とか上げてもらわないといけない)とかあるのでしょうか。出来れば子供にも先祖に手を合わせる事を目に見える形で習慣付けたいというのもあります。お知恵をお貸しいただけましたらありがたく存じます。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ