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葬儀屋で働きはじめて

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昨年から葬儀屋で電話応対をしています。この春からは参列されたかたの案内や、焼香台の準備、仕上膳の配膳もするようになりました。

私はお別れに立ち会えて素晴らしいお仕事だと思っているのですが、身内からは「葬式で儲けるなんて」「縁起が悪い。他の仕事についたほうが良い」と言われることもあります。

お寺様は職業に関して、他の方からいろいろと言われることはございますか?そのような言葉を聞き流すにはどうすればよいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ご縁の中で考えて

2日前にご質問を拝見した時に引っかかった部分がありましたが、今見ても引っかかります。「お別れに立ち会えて素晴らしいお仕事」の部分です。これって自分目線ですよね?自分がお別れに立ち会えるから素晴らしい。これでは伝わりませんよ。

赤の他人ならともかく、親い身内の言葉を聞き流し続けることは現実的ではありません。やはり理解を得ることを考えたほうが良いです。そのために伝え方というものを考えねばなりません。

本来、人は悲しんでいる時はそっとしておいて欲しいものです。自分が泣いているところも見られたいものではありません。葬儀の段取りの相談を持ちかけられるなんて真っ平御免です。放っておいてくれ!!強く深い悲しみであるお別れに立ち会うことは、本来『野暮ったい』ことなんです。「お別れに立ち会えて素晴らしいお仕事」という自分目線は違うと私は思います。

でも、野暮なのに、ご当家から望んで必ず呼んでくださる…何故か?そこにご遺族の目線から見た我々の意義があるんです。

なぜ呼んでいただけるのか?そこをまずは自分が見出し、そしてお身内に伝えましょう。お坊さんから聞きかじって伝言したところでお身内の方々の心に響きはしません。ご遺族と向き合う体験の中で見出してください。

お坊さんへの評価はけっこう極端なので、言われる時はゲシゲシ言われます。でも、誰かがやらねばならない仕事を見下す人間は愚かだと思っていますから、気にしません。ぶっちゃけ、人がやりたがらない仕事を見下す方向性の先に身分制度や職業差別というものがあったのですから、あの手の発想は社会を後退させる毒です。人の不幸でお金儲けをしてはいけないというのも同様です。社会を花形職業だけで回せると思っているなら何歳であろうとお子ちゃまです。いい歳してお互い様や感謝の心が当たり前でないということは、情けないことです。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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人の人生の大切な節目に関わる大切なお仕事です

案内係のなかがわさんこんにちは、葬儀屋のお仕事て本当に大切なお仕事ですよ。確かにあなたが書かれているように人のご不幸での商売的な誤解も含めての見方をする人はいると思います。お坊さんも坊主丸儲けとか葬式仏教とかいう人もいます。でもそういった方々も大切な人を亡くされ葬儀に関わったとき心のこもった葬儀屋さんや関連業種の方々のお世話になり、さらに全身全霊にてその大切な方をお送りし、ご遺族に対し共に寄り添えるお坊さんのご葬儀に立ち会うこうとが出来たならその見方も変わると思うんです。昔「おくりびと」と言う映画が評判になりましたよね、舞台は山形の葬儀屋さんで特に納棺師さんの仕事でしたがその重要性が人々の心を打った作品でした。あれで少なくとも地元では少し葬儀屋さんに対するイメージが変わりました。私はよくセレモールホールや火葬場で職員さんとお話しをしますが、みなさんともご遺族の方の深い悲しみの中でのお別れの一時を出来るだけ心安らかにそして精一杯にお別れをしていただきたいとの思いを私と同じように持っておられます。このお仕事をごちゃごちゃ言う方には改めて「おくりびと」のDVDを観てもらいたいし、あなたも人の人生の大切な節目に関わる大切なお仕事をさせてもらっているというお気持ちを誇りと共に改めてお持ちいただければと願います。お坊さんとご遺族だけではお送りできません、あなた達のご協力をいただいてこそ故人様を仏さまの浄土へとお送りいただけるし、遺族も慰められるのです。

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長くサラリーマンをしていて、16年前先代の跡を継ぎました。住職となって改め...
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私が言われたとしたら

「葬式で儲けるなんて」
その通りなんです。やはり私達お坊さんは人の不幸で金儲けしてはならないのです。ただ、昔家族を亡くした経験のある私は、同じ境遇のご遺族に少しでも寄り添い、共感して、仏教の力を借りて励ましたい、そのような気持ちで勤めているのです。

「縁起が悪い。他の仕事についたほうが良い」
私は浄土宗ですから、必ずしも死は縁起が悪いわけではないのです。なぜなら死後に極楽浄土に行くことができると信じているからです。極楽浄土では死別した人達とまた会える。阿弥陀様のお力で仏になるように修行できる。そのような苦しみの無い、楽しみな所なのです。
そのご縁をいただけるのはとても有難いことなのです。
もちろん状況によっては今後他の仕事をすることもあるかもしれません。しかし今はこの仕事に専念したいと思っています。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

光永寺 憲章 様
圓常寺 聖章 様
大慈 様

みなさまのお言葉を何度も読み返しました。仕事をする中で親族様や会葬の方々とどう向き合うか、私が身内に仕事のことをどう伝えていくか。今後も考え続けていきたいと思いました。

そもそも幼い子供2人を保育園に預けてまでやる必要のあることなのか?子供を夫に預けて日曜出勤してまでやることなのか?という疑問が、自分の中にあります。その感情を押し込めるように、自分が仕事をする「意味」を求めているのかもしれません。

回答ありがとうございました。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ