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お墓参りはちょくちょく行っても構わないんですよ。
お盆とお彼岸は由来が別々ですから、
時期が近いのはたまたまです。
クリスマスプレゼントを渡したのに、
1週間後にお年玉を渡さなければならないのと同じです。
もし可能ならば、
どうぞ毎月お墓参りしてください。
字数制限のためかけ足での説明をお許しください
こんにちは。
まずお盆ですが、これは、お釈迦さまの弟子の目連尊者が、亡くなった母の様子を神通力で探したところ、母は骨と皮ばかりにやせ衰えており、何かを食べようとしても食べ物が口のところで火に変わってしまい食べることが出来ない状態になっていた。目連は、お釈迦さまの処へ相談した所、お釈迦さまは、目連の母は我が子への愛情が自己中心的となった罪過があまりに深いからであったとおっしゃり、たくさんの食べ物を、安居(集中的に修行をする期間)が終わった(旧暦7月15日頃今の暦で8月15日頃)修行僧に供養するように言いました。母親はその功徳により救われたという話しがあり、それに基づきます。
本来は僧侶に供養することでご先祖さまの供養になるという話ですが、現在は、「ご先祖さまが帰ってくる日」として、お墓参りをし、迎え火を焚く習俗がありますね。
次に彼岸ですが、「彼岸」という言葉には、実は「昼夜の時間が一緒」とか「お墓参りをする日」という意味はありません。
「彼岸」という言葉は、昔のインドの言葉「パーラミター」からきています。「パーラミター」は、「完全・最高」という意味です。
中国の人は、「完全、最高」という言葉を、「到彼岸」=「彼の岸に到る」と意味の言葉に訳しました。 中国では「彼の岸」を「悟りの世界」「最高の世界」と考え、対するこちらの世界を此岸といい、悩みと迷いの世界と考えていたのでしょう。
じゃあなんで、この秋分・春分の時期が「お墓参りの時期」となったのか?
これは、日本人が、春と秋の年二回、この気候がよく過ごしやすい時期に、「悟りの世界」「最高の世界」に渡るための修行期間にしましょう、ということで、春分の日や秋分の日のあたりを「彼岸」と名付けたからのようです。
ここでは字数制限の為「悟りの世界に渡るための修行の内容」については詳しく書きませんが、「六波羅蜜」という6つの行いがあります。ネットなどで調べてみましょう。
ここからは想像ですが、昔の人はこの「六波羅蜜」を実践するのに、先祖供養がいちばん手っ取り早いと考え、お墓参りをはじめたのではないのでしょうか。
このふたつの行事がたまたま近かったというのが、ご質問の答えになります。
一方で、お墓参りはいつ行っても良いですよ。
お盆は亡き人やご先祖様が家に帰ってきて一緒に過ごす期間です。その為に、迎え火(または灯籠)でお迎えして、お供え物を召し上がってもらい、送り火(または灯籠)で見送るのですね。お盆にお墓参りするのは、帰ってくるご先祖様にお墓をちゃんと守っている姿を見てもらい喜んでもらう意味もあると思います。
また、お彼岸は仏道修行の期間です。この一週間は六波羅蜜という仏道修行をいつもより意識して励むのですね。ですから、御墓参りもただお供え物をするだけではなく、亡き人やご先祖様から学ばせていただくことも大切なのです。何を学ばせていただくのかといいますと、この世の無常と無我なのです。無常とはこの世は全て移り変わるということ、目の前のご先祖様が既に亡くなっているように、あなた達の命もいつかは終わりが来るということ。だからこそ、1日1日を大切に精一杯生きないといけないということを学ばせていただくのです。
また、無我とはこの世は全て単独では存在しないということ、目の前のご先祖様のお陰であなた達も存在しているということ。さらには、周りの多くの人達の支えによってあなた達が存在しているということ。だからこそ、あなた達は周りの人達とお互いに支え合って生きないといけないということを学ばせていただくのです。
時期が近いのはたまたまなのです。気候や農作業の関係もありますし、暦が変わった時にお盆が7月から8月に移った関係もあります。
また、お彼岸の中日は浄土宗では夕日(極楽浄土)が真西に見える為にいつも以上に念仏を唱えるという意味もあります。