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無一物

無一物の意味がいまいち理解できません。
何ものにも囚われるなという意味のようですが、仕事とかあるし、囚われない自由な生き方なんて出来ないと思うのですが…
そういう意味じゃないんですかね??

どこ読んでも小難しくわかりずらかったので端的にわかりやすく教えて頂ければ幸いです。

仏教
有り難し 22
回答 2
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

大慈

無とはあるがまま

そこに魚がいる。それだけ。
あれは錦鯉だから良い魚。これはイワシだから安い魚って価値観の上塗りをしない。
魚がいる。それだけ。

あそこに鳥がいる。それだけ。
あれはキジだから立派な鳥。あれはカラスだから不吉の鳥とか勝手に見なさない。
鳥がいる。それだけ。

それが無一物。

世界には「良いもの・悪いもの」、「好きなもの・嫌いなもの」なんて存在しません。それらはすべて自分の頭がレッテルを貼っています。仏教ではそのレッテル貼りが苦の原因とされています。
そのレッテル貼りをしなければ心の中の苦生産工場が動かない。

仕事は仕事で頑張りましょう。でも仕事する中で自分勝手に選り好みしたり自分ルールを作っている自分に気付くと、仕事が楽になるでしょう。

そんな感じです。無とは「何もしない・何もないnothingのことだ!」と書いてる解説は仏教の解説になっていない俗論なのでスルーしましょう。

「全ては、縁起し空である」

あか様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「無一物」とは、端的には、「全てのモノ・コトには実体が無い」、「空」ということの一表現であると解しております。

「全ては、縁起し空である」

まあ、因縁(原因と条件)が調えばあり得ているものであるものの、因縁次第で変化し、生滅するもので、永久永遠に変わらない独立自存としての何かがあるわけではないというところになります。

そして、よく勘違いされるのが般若心経にもよく出て参ります「無」を「絶無」、「虚無」と捉えてしまうことです。

あくまでも仏教が否定するのは、「実体」であり、存在しているそのものまで、何もないのだと否定しているわけではないのであります。

拙生も、あか様も、今、現に存在しています。存在していますが、それは、色々な因縁、他に依ることによって存在できているものでしかない、ということなのであります。

モノも、因縁により持てるものになっているにしか過ぎず、因縁次第では持てなくなることも当然にあり得るのですよ、という感じです。

是非、「空」や「縁起」ということについても学んで頂けましたらと存じます。


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