皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

自殺した人は成仏できるのでしょうか

いつも読ませて頂いております。
いくつもいくつも聞きたいことがありますが、今度は自殺についてお訪ねします。

身近な人が、自殺しました。
あれから10年近く経ちますが、未だに時々思いだしては泣けてしまいます。

何故自殺したのか。
いくつか原因は思い当たることがあります。
あくまで想像になってしまいますが、体のこと、お金のことです。

何かしてあげられなかったのかなといまだに悔やまれます。
今更ですよね。
でも、ずっとずっと考えてしまいます。

自殺した人は、成仏できないと言いますよね。
この世で生きるというのは、修行だと。
それを自らの手で終わらせるというのは、仏教の考えでは罪になるのでしょうか。

また、自殺した人に対して私はどう考えていけば良いのでしょうか。
あの人が自殺したあの日あの時間から、時が止まっているように感じるときがあって、思い出したらその瞬間に引き戻されるような悲しみに襲われるときがあって、苦しいです。

身近な人の死
有り難し 26
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

それはキリスト教と混同していますね。仏教ではどのような形で命を終えても必ずいつかは仏様に成ると考えています。
宗派によって違いが有りますが、例えば浄土宗では、例え自死であっても阿弥陀仏の救いにより極楽浄土に行き生まれ、そこで仏道修行の後に仏様に成ると解釈しているのです。
あなたの身近な人も、今頃は浄土で仏様に成るよう修行されていることでしょう。
ですから、あなたは阿弥陀仏に対してその人を導いてあげてくださいと祈り、さらに、その人に対して仏様と成ってあなた達を見守ってくださいと祈るのがいいと思います。
南無阿弥陀仏

死に方は来世におよそ関係ありません

「成仏」は悟りを開くことで、生きてる間に修行しないで死んだら「仏になる」ってのは無理です。世間で「成仏」というのは「良い生命に生まれ変わる」の意味だと思います。

 死んでも心の流れは止まらないので、何かに生まれ変わってまた何かの生を生きないといけません。輪廻です。

「輪廻はちょっと信じられない」と思っても構いませんが、輪廻しないでいるのは、悟らない限りは無理です。死ぬときに、どうしても誰でも悟っていない限りは、「いやだ。終わりたくない。まだ生きたい」と心で強く思ってしまうのです。本能(煩悩)です。だからまだ生きてしまいます。しかし体がもう使えないので、別の体を取って生きるのです。それを生まれ変わりとか輪廻と言っています。

 人間や畜生に生まれるときは母と父の細胞がくっつくときに「ここだ」と、心が飛び込むのです。天人や幽霊には、自分の心だけで霞のような体を作って勝手に生まれられます。

 心は「死にたくない。まだ生きたい」と強く願って何かにまた生まれます。老衰で穏やかに死ぬときさえそうです。事故のときは「しまった」と後悔しながら?自殺のときは「やれやれ、これでこの苦しい生は終わりだ」と安心しながら? 

 でもどうせ、「しまった。こんどはうまくやるのに」とか、「この苦しみから逃げて別の楽な生き方になりたい」と本能で願ってしまうのです死ぬまさにそのときに。だから必ず生まれ変わります。

 何に生まれ変わるかは、それまでの生き方、業によります。心が清らかか汚れているかによるのです。死に方も生き方の一つですが、あくまで一つにすぎません。

 死ぬときにそれまでの人生すべてを振り返ってみると、「ああ、この体が壊れて死んで、心がこの生き方で続くとしたら、次は天人だろうなあ」とか「嫉妬ばかりだから次は幽霊だろうなあ」などと、自分でも何となく推測できるのではないでしょうか。

 誰でも良いこと(心)も悪いこと(心)もたくさん積み重ねています。死ぬときでさえ、感謝や他人の幸せを願う良い心で死ぬか後悔や嫉妬や怒りなどの悪い心で死ぬか、人によります。

 生き方や死に方ではなく、生きているときの、死ぬときの、心の中身が問題なので、自殺だからと決め付けるのは早計です。生き方のトータルで見てください。

供養

まりも様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自死なされてしまわれた身近な方のことを10年を経ても思って頂けておりまして、誠に有り難いことでございます。

しっかりと、その方がしかるべきご仏縁がおありにて、悟りへと向けた浄土などの善き赴きへと参られていますようにと、ご供養申し上げることが大切なこととなります。

何事もそうなのですが、浄土へ往生するのも、成仏する、つまり、悟るためにも、そのための因縁(原因と条件)が必要となります。

「因縁無くして結果無し」でございます。

成仏・悟りへと至るために調えるべき善き因縁をお説き示めしになられましたのが、お釈迦様となります。

また、亡くなった者、あるいは全ての衆生たちにも、どのようにして、その因縁を及ぼしていくべきであるのかということ、つまり、追善、回向などの供養についてもご説示なさられておられます。

是非、そのお方も含めて、皆がいずれ悟りへと至れるようにとして、仏教の修習に努めて頂けましたら有り難くに存じます。

自殺(自死)が罪(業)となるかは、ケース・バイ・ケースと言えます。どうしょうにもやむを得ない自死の場合では、何も罪にはならない、ニュートラルなものとなったり、あるいは、他を助けるためという利他の自死の場合では、罪どころか、悟りへと向かうための善業となったりと、その者の自死へと至る因縁次第においても異なるということになります。

いずれにせよ、そのお方も、自分自身も、そして、皆が、しかるべき善き赴きへと向かえるための因縁の一助となるような、供(とも)に仏教を養う(実践する)という「供養」をなさって頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌


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