終活どうすればいいでしょうか
お忙しいところ有難うございます
私自身(40代)の病気が少しずつ進み
終活をしなければ、と思います
どこから手をつければよいのか
分からず、不安です
両親は離婚した事もあり、子どもの頃
お墓参りはほとんど記憶になく。
結婚して、婚家はきちんとお墓があり
初めてお墓参りや法事をさせて
頂けるようになりました
その宗派は浄土真宗で、葬儀やお経を
聞いて、拒否的な感情はなく
ごく自然な気持ちで受け入れられました
私が自分の終活をするのに、
残される夫の負担を少しでも
減らしておきたいと思います
長男ではないので、新たにお墓を
購入する必要があること、
葬儀の形、宗派、お仏壇などについて
少し決めておきたいと考えました
何となく、というだけで宗派は
選んでも良いのでしょうか?
結婚した嫁ぎ先の宗派になるのが
自然なのでしょうか?
婚家のお墓は私営大型霊園で、法事の
たびにお坊さんをお呼びしています
特定のお寺さんなど相談できる場所が
なくて悩みました
私が亡くなったら、子どもたちや夫が
時々お墓に会いに来てくれて
お仏壇に話しかけてくれるといいな
と思います
負担にならないように、でも話したい
時に話せるようにモノの形があれば
安心できるのかな、と感じています
分からないことばかりですみません
教えていただけると嬉しいです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の考えを整理して、家族と話し合いましょう
まずは、エンデイングノートを書いてみたら、いかがでしょうか?本屋さんに行けば、いろんな種類のものが売っています。書くことを通して、まず自分の生きてきた人生を振り返り整理してみましょう。
核家族時代となって、故人が生前どんな人と交友しどんな生活をし。どんな葬儀を希望していたのか?普段遠方に住んでいると、家族と言えども見当つかないことも多い。それ故、エンデイングノート記入の必要性は今後更に高まって行くでしょう。
でも、本来は家族のコミュニケーションの中で伝えられべきだと思います。仕事等で日本中世界中を転勤していくビジネスマンも多い昨今ですから、核家族化は避けて通れません。核家族化が進む社会に居るからこそ、家族のコミュニケーションが必要であり家庭教育が必要なんです。いい高校、いい大学、いい会社という目標に向かって、学校教育に精魂を傾ける。これはいいことですが、学校教育で人生に必要なすべてのことを教えてはくれません。社会での教育、家庭での教育は、これまでも、これからも必要です。
「命は尊く大切なものである」ことには誰も異論無いと思いますが、そのことを教える場は家庭です。家庭教育です。家族親族との会話の中で、自分の命がどのようにしてこの世に誕生できたかを知る。自分の祖先たちがどのような時代を生き抜いて、自分に「命と言うバトン」を伝えてくれたのかを知る。家庭教育の中で、伝えられてきました。そして、実際にそういう会話をする機会は、葬儀であり、法事であり。墓参なのです。
去り逝く人を看病介護するに際しても、臨終に際しても、去り逝く人の思いを受け止めて看取りを行い、弔いを行います。
「自分に残された時間が少ない。」こおさんはそう感じられていますね。それだけに、御家族との会話の時間を大事にしてください。御家族は去り逝く人とこれまでに交わした言葉を思い返し、少しでもその気持ちに寄り添った看取りに努め、亡き人の思いを反映した葬儀を営んでくれると思います。
私のブログに『住職が語る終活講座』という記事を書いております。よろしかったら、参考にしてみてください。
https://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/36378200.html
拠り所
残された方たちのために「迷惑のかからないように」という終活も大事だとは思います。
しかし、本人の思いとは裏腹に残された方は残され方なりに事を運ぶものです。そういう意味ではなるようになっていきます。
ですからある程度話し合い、とりあえずの体裁を整えておく程度で十分なのかなとも思います。あとはお任せしましょう。
もう一つ大事なのは「自分のために」する終活です。自分の人生の意味や、生まれた意義、死を迎える恐怖、先に逝くものとして伝えたい事…そうしたものと自らが向き合う終活です。
残された方たちは、こお様が「どう伝え、どう指示したか」よりも、実際に「どう生き、何を大事にし、何を信じていたか」といった事が心に刻まれるのではないでしょうか。
亡くなった後は生前のように言葉をかけることはできませんが、こお様が生きた姿勢・大事にしていた事を思いだし手を合わせる中で、残された方たちは「無言の言葉」を受け取り続けていくことでしょう。
お墓や仏壇というのはそういう「言葉なき対話」ができる場所かもしれません。生きているものは生きている人には聞けないのに、不思議と亡くなった方にものを尋ねたくなる瞬間があるものです。そういう時に先に逝ったこお様が残された方たちを導くのでしょう。
そのためにもまずは自分が拠り所となるものに出会い、しっかりと生ききり、やがて来るその時を迎えることが大事なのでしょう。
(私は浄土真宗ということもありますが)せっかく婚家様を通じて浄土真宗にご縁をお持ちいただいたのならそこから当たってみてはいかがでしょうか。婚家様のご葬儀をお勤めされたご寺院をご紹介いただくなど…。
最後にこお様の終活(自分の生き、そして死にゆくいのちの拠り所となる教えを求めるという意味での)にあたり、私なりのオススメ書籍を紹介させていただきます。
『縁起に生きる』小川一乗著 法蔵館
※Amazonなどでも購入可能
『南無阿弥陀仏の葬儀』藤場俊基著 サンガ伝道叢書
http://samgha.shop-pro.jp/?pid=117407484
浄土真宗に限らず、こお様が依るべき教えに出会うことを念じております。
念仏を唱えましょう
私は浄土宗ということもあり、終活で一番大切なことは、南無阿弥陀仏と念仏を唱えることとお伝えしています。
阿弥陀経や無量寿経を読まれたことがあるでしょうか?
そこには極楽浄土という国があり、その国を作ったのが阿弥陀仏と呼ばれる仏様であると書かれています。
阿弥陀仏は、極楽浄土に行くことを願って私の名を呼ぶ者は誰でもその人の命が尽きる時に迎えに行くと誓われています。
極楽浄土に行った者は、そこでたくさんの菩薩様仏様に会うことができ、その中にはたくさんのご先祖様もおり、そして先に極楽浄土に行かれた家族とも共に会うことができると書いてあるのです。
つまり、あなた達が極楽浄土に行けば、いつかはご家族と再び会うことができるのです。
そして、極楽浄土に行く方法は、南無阿弥陀仏とたった一言でも唱えること。たった一言でも唱えたら叶うのですから、たくさん唱えたなら完璧ですね。
ですから、生きている間に、一言でも多く唱えてくれたらと思います。
ある時はお一人で、またある時はご家族ご一緒に唱えたらいいですね。
そして、死後のことは阿弥陀仏にお任せして、お墓などのことは夫達にお任せして、今は、ご家族でこの世でしか作れない思い出を一つでもたくさん作ってくれたらと思います。
今これからも共に
拝読させて頂きました。
前のご質問と同様ではありますが、
どうか今ひと時ひと時をあなた自身一生懸命に生き抜いて下さい。
そしてあなたの思いを素直なお気持ちでお子様やご家族の皆さんにしっかりとお伝えなさり、
出来るだけ多くのお時間を共に過ごして下さいね。
あなたの思いは必ずお子様やご家族の皆さんが受け止めて下さいます。
そしてその思いはこれからもお子様やご家族の皆さんの中でいきづいていくのです。
死は人のご縁を分かつものではありません。
あなたはこれからもお子様やご家族の皆さんと生きていくのです。
病い或は老いによって肉体は死していきますが、あなたの魂、心は生きていくのです。
仏様のお導きを受けて一切の苦しみから解放されて安心してご成仏なさり、
そしてその後もお子様やご家族の皆さんを優しく支え守り続けていくのです。
南無阿弥陀仏
どうかお念仏おとなえなさりながらこれからの事を仏様に願い安心なさって下さいね。
南無阿弥陀仏
そしてご家族様と大切な時間を共に過ごして下さいね。
あなたとお子様やご家族の皆さんとのご縁はこれからも永遠に続くのですからね。
あなたがこれからもお子様やご家族の皆さんと共に心から健やかに幸せに豊かに毎日をお過ごしなさっていかれます様心からご祈念申し上げます。
質問者からのお礼
ご回答、有難うございます
心から感謝いたします
読んでいるうちに涙が出てきて
しまいました
温かいお言葉、心に沁みました
私が全て心配するのではなく
家族に甘えて任せても良いのですね
少しほっとしました
それよりも私がどう生きたか、を
家族の心に残せるのかということ、
私自身が満足できる生き方を
考えてみます
具体的なお寺やお仏壇などのことは
少しずつ夫と相談して考えてみます
本当に有難うございました