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「知足」と「本来無一物」

回答数回答 6
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いつもお世話になっております。
問答では学ばせていただく事が多く、ありがたい毎日です。

私は「知足」と「本来無一物」という言葉が好きです。
生活において物質的にも精神的にも色んな問題を抱えている中、
この言葉に助けてもらいながら生かせてもらっています。
本当に少しずつなのですが、すぅーっと自然と身について、
ちょっとの事でもありがたいなと感じます。

仏教用語はhasunohaにて拝見する度に「うーん、なるほどありがたい~…」と感銘を受け、頷いていますが、恥ずかしい話…難しい文言も多く忘れてしまいます(哀)

お坊さんが好きな(大切な)言葉を教えていただけると嬉しいです。
出来ましたらその言葉の意味・好きな理由等をお聞かせいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一期一会かなあ

 回答僧の中で、どちらかと言えば高齢者の部類に入ります。と言っても、還暦をちょっとすぎた程度です。でも、それなりに年齢を重ねて来たことを実感すると同時に、あと何年生きられるのだろうか、あと何年まともに脳が働き、まともに動けるだろうか、自問自答する回数が増えてきます。

 人様に誇れるような人生を歩んできたとは到底言えません。不器用で、臆病で、小心で、ヘタレで、見栄っ張りな人生を辿ってきたようです。そんな私でも、楽しい仲間と楽しく遊べた。いい仲間と有意義な勉強できた。そういう時もありました。いいことだらけなんてありませんけど、人生そう悪くないもんだと思った時もありました。

 それだけに楽しい時は永遠に続かない。どんなに素晴らしい友や仲間であっても、ずうっと一緒に居られる訳では無い。このように痛感する機会が増えてきました。そう感じる中で、改めて「一期一会」という言葉の重みを瞠目しております。

 残された時間が有るようで、実は少ない。限りある命をどのように燃焼させるのか?残りの人生をどう生きていくのか?一期(自分自身の一生)の中で、一つ一つの機会そして出会いをどうのように生かしていくか、大切に考えてください。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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言葉に振り回されない

言葉により気づくこと確かにあります。しかし、言葉は言葉に過ぎない。ただの道具なんです。
心地よい言葉、ありがたそうな言葉を聞いて、そこで終わりにならないよう、そこでの気づきを実践の中で確信にしていくことが本来の修行と言えるのでしょう。
実物に触れ学ぶ。体験から学ぶのです。旅行に行ったお土産話をいくら聞いても、ビデオで見ても、インターネットで調べて知識を増やしても、実際に行くまで自分が行ったことにはならないのですから。体験と知識は全くちがうものですよね。

と言いつつ私が衝撃を受けた言葉は「無分別」です^ ^
分別することを良しとして学んできた人生。分別することで苦しみに陥っていたことに気づかせて頂きました。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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和顔愛語

私の好きな言葉は和顔愛語(わげんあいご)です。優しい顔と優しい言葉。どんなに辛い時でも笑顔で、どんなに悔しい事があっても優しい言葉で。もちろんいつもそんな風にはできませんが、心がけるようにしています。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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僧に凡聖(ぼんしょう)なく十方(じっぽう)に通会(つうえ)す

偉い↔︎カス、良い↔︎悪い、聖↔︎俗、便利↔︎使えない、好き↔︎嫌い、こんな感じの価値観から離れなさい。価値分別で嫌う心を起こしたり、マイストーリーで他人を嫌わず、全方向にバリアフリーな心でいなさい…という感じの意味です。

お釈迦さまは悟っていないお坊さんに存在価値は無いとは言いませんでした。だって誰でも悟ってないところから始めるんでしょ?当たり前です。戒律だってゼロから始めて少しづつ習慣化していくものです。だからお釈迦さまは出来の悪いお坊さんを否定せず、ただ育てることだけを考えました。

お坊さんが出来の良し悪しで否定したり否定されたりする社会では、一般の方々の風当たりはそれ以上になるでしょう。私も学生のころは世間並みに生臭坊主をあげつらうような書き込みをよくしていましたが、攻撃的な言葉をデカい声でバラまいても世の中は良くならない。それは義憤ではなく世の中に悪玉菌を撒き散らすだけなんだと…もっと言えば、生臭坊主認定という俺目線を広めてしまうこと自体が悪玉菌なのだと気付いてる控えることにしました。

それでもついついポロッと出てしまうことはありますし、意図的に使うこともありますけどね。でも、隣の人が分かってなければ、ただ教えてあげればいいんです。「アイツらは分かってないからケシカラン」と煽るのは一言余計なんです。お坊さんはそれで2,3人の熱心な人たちの支持を得たとしても、その陰で7,8人のさほど関心のない人たちに「やっぱり仏教ってのは内部で対立してばっかのナマグサ集団なんだな。だからいつも戦争ばっかしてる宗教なんか無くなっちまった方が良いんだ」と思われ、かえって仏教から遠ざけてしまっている現実を知らねばなりません。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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知足、本来無一物。私もどちらも好きですね。
知足だけで禅を全てを表すとか言うてた偉い僧いましたし。同じ感覚でいうと、私が、ふと、思いついたのは、「好事不如無(こうじもなきにはしかず)」ですね。良い出来事も、なーんも無いことの良さには、かなわない、、、という意味です。楽しいイベントの支度の大変さや終わりの寂しさを思うと、なーんにも無い日常が一番しあわせ。という解釈してます。日々が一番という意味で、なんにもない日常をかみしめることができる、よき言葉だと個人的に大事にしてますねー。

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『宗教はアヘンである』

雅子さん、はじめましてシマダイッセイと申します

hasunohaとは、とても良い出会いをされたのですね
雅子さんのように感謝の言葉を頂けると、私も嬉しいです

さて、私の好きな言葉ですが、資本論やマルクス主義で有名な
カール・ハインリヒ・マルクスの言葉である、

『宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、
 一つには現実の不幸にたいする抗議である。
  宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の
 心情であるとともに精神なき状態の精神である。
  それは民衆のアヘンである』という言葉です

短く『宗教はアヘンである』とも言われます

一般にはアヘンとは、アヘン戦争を引き起こした、ドラッグです。
ですが、ここでいうアヘンはモルヒネの事であって、「鎮痛剤」の意味です

このマルクスの言葉はいろいろな解釈があるのですが、
マルクスの意図するところとしては、

「人々は不幸な事が起きると、宗教の慰めを求める。
 たしかに宗教は、その不幸を説明して、私たちの苦痛を
 和らげてくれるのだ。
 ところが宗教の慰めは、現実の不幸に立ち向かう熱意を
 冷めさせてしまってはいないだろうか」

というような意味のようです

どちらかと言えばマルクスは宗教の「鎮痛剤的な面」でなく
「アヘン的な面」について一般の人が宗教中毒にならないように、
と言っています

 …ですが、私はこの言葉を逆説的に理解しました。

ウラを返せば宗教は、なやめるもののため息であり、
心なき世界の心情であるとともに
精神なき状態の精神であるわけで、

ちょうどhasunohaに集う人のように、
そのアヘンを求める人が居て、求めに応じて、
それが鎮痛剤になるのであれば、

私はそれだけで、胸を張って宗教者として生きてゆけるのです。

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嶋田一成
副住職をしています 敬称略で「いっせいさん」と呼んでください。 カ...
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質問者からのお礼

【邦元 さま】
ご回答いただきありがとうございます。
実際に体験して分かることが大切なのですね。
言葉だけに囚われずにいたいと思いました。

洗い物をしていると手が動くことに感謝、
水道から水が出ることに先人に感謝、
仕事に行けていることに感謝。
ご飯が美味しい、ありがたい。
何てないのですが毎日がそんな感じです。

「無分別」という言葉は大切ですね。
昔は何かにつけ白黒ハッキリさせたい時期もありました。
最近はこころに隔てがない方が幸せなんだな、と思います。

今日は空が青く、紅く染まり始めた木々も初夏を思わせるように
キラキラと輝いてみえました。
お言葉、ありがとうございました。

【吉田 俊英 さま】
ご回答いただきありがとうございます。
「一期一会」…素敵です。
友達はおりませんが縁は大切にしたいです。

私も歳を重ね、先の不安が次々湧き出てきています。
一歩一歩、より良く生きていければいいなと思います。

末文にいただいたお言葉には「自分はこれでいいのか?
このままでいいのか?」としみじみと考えさせられました。
お言葉ありがとうございました。

【光禪 さま】
ご回答いただきありがとうございます。
優しい表情と言葉…が「和顔愛語」なのですね。
苦しいことの方が多いですが心掛けたいです。

笑顔でGO!と思ってはいるのですが毎日同じ考え事をしてしまい、
気がつけば難しい顔付きになっています。
そしてダメダメと思い口角を上げる。
歩いていてもコレ↑をよくしますので向い側からくる見知らぬ人に
よく会釈されます(笑)
お忙しい中、いいお言葉をありがとうございました。

本当は切実に相談させていただきたいことがありますが
自己解決の癖が抜けず、今に至っています。

【禅僧むらた さま】
沢山の質問があるにもかかわらず、
ご回答いただき本当にありがとうございます。

「好事不如無」…。
意味を分かりやすく書いて下さっていたので
こんな私にも理解できました。

結局のところ何もない日常が一番安楽なのでしょうかね。

最近になり、20歳くらいに人生の先輩に言われた言葉を思い出しました。
「普通の人生を歩むのが一番難しいのよ」
その時は若さで「え???…普通が一番簡単じゃん、特殊な職業とか、かなりの裕福人間になるのは、そりゃあ難しいだろけど~」てな具合で(笑)
この年になり意味がわかりました。

なるべく日常に感謝しながら生きていきたいと思います。
お言葉ありがとうございました!

【大慈 さま】
ご回答をいただきありがとうございます。

「僧に凡聖なく十方に通会す」(ヨミガナ無ければ読めません汗)

冒頭に「僧に」…とあるのでお坊さまへのお言葉なのですね。
物事のすべては0か100ではないということ、
我見で決めつけてしまうのはよくないことでしょうか。

お釈迦さまより法を頂戴し、お坊さまから伝えていただける私たち。
ありがたく素晴らしいです。本当に。

以前「仏教を義務教育に取り入れたら世の中もっとよくなるのにね」とか
考えたりしました。(モチ無理な話ですが。)

何事にも先入観なしのバリアフリーなこころで接していきたいと思います。
具体的な大変分かりやすいご説明もありがとうございました!
感謝いたします。

【Issei Shimada さま】
ご回答をいただきありがとうございます。

「宗教はアヘンである」
一瞬ハテナがついてしまいました。

「人々は不幸な事が起きると、宗教の慰めを求める。(はい!)
 たしかに宗教は、その不幸を説明して、私たちの苦痛を
 和らげてくれるのだ。 (くれます!)
 ところが宗教の慰めは、現実の不幸に立ち向かう熱意を
 冷めさせてしまってはいないだろうか(…???)」

ここ文末でいうところの「宗教の慰め」と「熱意」、わたしには知識がないので理解に苦しみます。

…あまり深くかんがえずで↓↓↓
わたしは先生の逆説論のほうが好きです。
実際にわたしたち読者は「アヘン」を求めてここhasunohaにやってきています。
効く・効かないは各々だと思いますが鎮痛剤を処方してくださるお坊さま方には感謝に尽きます。
お言葉ありがとうございました!

「心構え・生きる智慧」問答一覧

家族ってなんだろう

家族ってなんだろうと思います。 私は4人家族で父母、私、4つ離れた弟がいます。 今悩んでいるのは弟のことです。 弟は20歳くらいから、いつもは普通なのにある1人に固執したり、自分に嫌なことがあると私含め家族や親しい知人に対面ではなく、ラインやSMSなどですごく攻撃的になる節がありました。 最近は落ち着いていたのですが、どうやら年明けから弟の仕事上でいろいろトラブルがあったらしく(話を母から聞く限り弟も悪いところがあり、どっちもどっちのような感じ)年度末で退職したようです。 私は離れて暮らしている為何があったのか詳細は知らず、4月はじめにそのことを聞きました。 今現在は弟は新しい仕事を2つくらいしているみたいなのですが、仕事上でいやなことが有る度でしょうが、すごく攻撃的なことばが矢次端に来ます。 「自分が苦しい時に姉のくせに何にもしてくれなかった。あんたは家族じゃない。姉でもない。自分の生活さえよければ家族が苦しんでいてもいいのか。ほんとに自己中な人間だ。あり得ない。」 「(私は既婚で離れて暮らしていて、弟も1人ぐらしなのですが、地元のスポーツクラブに行っている為週1くらいは実家に帰省しているようです)実家にもお前は帰ってこないで自己中すぎる。あり得ない」 などなど、1部ですがこのような言葉を浴びせられます。 もちろん母や周りの人にもです。 そういう時は何をいっても否定されるため、何も返さないようにしていると、「無視?逃げるんだ」などと言われます。 正直弟の仕事の状況は後から知りましたし、親はまだしも20代後半にもなる大人の仕事事情に姉が介入するのも冷静に考えてもおかしいと思います。 そのような攻撃的な言葉が来るたびにもうほんとに嫌になり、今は携帯に近づくことやバイブ音を聞くことさえ苦しいです。 私事ですがもうすぐ結婚式を控えておりますが、それにも最近いきなり出席しないから!と来ました。 毎日疲弊してしまします。 姉ってなんでしょう。家族ってなんでしょう。 父母のことは好きなのですが、今の弟は私にとってはっきりいって恐怖です。 私はどうしたらよいのでしょうか。

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楽しかった過去を思い出してしまい苦しい

初めて相談させて頂きます。 文章の構成などめちゃくちゃだと思いますがご容赦ください。 私は20代、社会人の男です。 タイトルにある通り、楽しかった過去を定期的に思い出してしまいその度に苦しくなってしまいます。 きっかけはいろいろあるのですが、昔の友人から連絡があった時や、ふと過去の写真を見つけた時、はたまた仕事で辛いことや受け止め切れないことが起きた時などにそうなることが多いです。 前者であればまだ「あの時はいろんなことがあったなぁ」とポジティブに懐かしむことができるのですが、後者の場合(仕事で辛いことがあった時など)が非常に厄介です。 もともと私は要領が良い方ではなく0から物事を考えることも苦手なのですが、今の仕事では覚えることや考えることが非常に多く、いつも上司に怒られてしまいます。 いつも迷惑をかけてしまっているな、と落ち込む毎日です。 普段はなんとか自分なりに前向きに取り組み心もリカバリーできるのですが、 自分の中で限界になると「昔は楽しかったなあ」などと現実逃避してしまいます。 それがタイトルにも書かせていただいた状態であり、今まさに陥っている状況です。 こうなると目の前の物事に向き合う事も難しく、具体的には過去のメッセージのやりとりや写真などいろいろ漁ることに夢中になってしまいます。 しまいには、「なんとかあの頃にもう一度戻れないだろうか」と本気で考えてしまいます。それは絶対に無理だとわかっているからこそ、とても苦しくなるのです。 結婚しており趣味も楽しめているため、プライベートは充実していないわけでは決してないと思うのですが、どうしても仕事で辛い状態が続くとそういったドツボにハマってしまいます。 こういったときに私はどう向き合うべきなのでしょうか? 人間誰しも過去を懐かしむことはあると思うのですが、皆様はどう向き合っているのでしょうか? 今は将来どころか目の前も見えず、ただ過去に固執してしまっている状況です。

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床に落としてしまって落ち込んでおります。

以前ご質問させていただいた後日、お寺に行き、愛染明王様のご真言や梵字が書かれた金色のカードと愛染明王様が描かれた金の護符(守護札?)の計2枚が入っているものを購入し、愛染明王様にお会いしてお参りさせていただきました。 その後、毎日それらを携帯ケースに入れて持ち歩き、最近では、お家で朝や寝る前にそれらを両手で持ちながら感謝申し上げたり悩みを聞いていただいたりご真言を唱えたりしております。 そのようななか、本日、外出時に焦っていた際に携帯ケースからそのカードと護符がするりと抜けて床に落ちてしまいました。 愛染明王様をお慕いしている者として、落としてしまったことがショックです。 落としてしまった護符とご真言や梵字のカードには、もう愛染明王様やそのお力やお心は宿らなくなってしまったのではないか、愛染明王様に失礼なことをしてしまったので、もうご加護をいただけないんじゃないか、というエゴな悩みで情けないのですが、その悩みに対する答えをどうか教えていただけないでしょうか。 また、私はそのお寺で塗香も購入しており、床に落としてしまったそれらを塗香で清めることは有効か、また他にも良い方法はあるのかということについても教えていただけないでしょうか。 愛染明王様がいつも見守っていてくださっているということが心強く、充実した日々を過ごしていた最中でしたので、少しショックです。 護符やご真言や梵字をもっと大事にしたいという戒めにもなりましたが。 このような質問で恐縮ですが、ご回答宜しくお願い申し上げます。

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染みついたマイナス思考

はじめまして 会社員の20代男性です 一度投稿したものを消してしまったので再投稿です マイナス思考が染み付いてしまって、どうすればいいのか分かりません 以前数年間お付き合いしていた方が少し精神的にデリケートで、自分を傷つけたり、卑下したりする事が多い人でした 普段は明るくて優しい人で、少しでも元気になってほしくて、彼氏としてできる事はなんでもしようと思っていました しかし最後は結局私の方が抱えきれなくなってしまって、5年ほど前の私が就職する直前に別れてしまいました 弱っている人を見捨ててしまったと罪悪感を感じていましたが、数ヶ月後に連絡がきて、付き合っていた時に私が本当に支えだったと感謝を気持ちを伝えてくれました ただ、私自信が私を許す事ができずに今日まで来てしまいました 未練というのとも違い、自分自身の事が許せない、最低な人間だと思えて仕方ありません 夢だった職業にも就けて、上司や先輩に私を評価していただいても、「本当の自分は最低な人間で、周りの人を騙している」と感じてしまいます こういった感じなので、人からよく思われる事がすこし怖いと感じます みんなが優しくしてくれるのはみんなが良い人だから。 自分が何かいい結果を残せたのは周りのおかげ。 そう考えてしまいます 趣味を楽しむにしても、自分のような人間が…と思い好きだった事もだんだんと熱中できなくなりました 自分の夢を叶えたいという気持ちも無くなってきました 人並みの幸せも諦めて、自分と関わった人がみんな健康で幸せでいてくれて、自分はたまに美味しいものが食べられたらそれでいいと思ってこの数年は生きてきました なんで生きてるんだろう?と思う事もありました ただ最近、もう少し自分の幸せを大事にしようと思ってはじめてみたアプリをはじめてみました 何人かお会いしたりもしましたが、こんな自分を相手に気を使わせてしまっているような気がして申し訳ない気持ちでいっぱいです 以前お付き合いしてた人のせいして、今の自分を正当化したいという訳ではなく、ただただ自分が許せないのです ずっと誰にも話しておらず、実はこの事を誰かに聞いてもらうのも初めてです でも今後の人生の分岐点が今年は多いような気がして、何かを変えないとと思い相談させていただきました 長文大変失礼しました ご回答いただけますと幸いです

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ