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他の宗教にはない仏教の良さとは

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有り難し有り難し 55

私は人の価値観や思想、行動に大きな影響を与える「宗教」に興味があり、その中でも仏教の思想が好きなので今まで仏さまを信仰してきました。

しかし、さまざまな意見を見聞きし、調べる中で、どの宗教も一長一短で私にとって良いなぁと思う面もあれば、あんまりだなぁと思う面もあります。そして、仏教にも少し不信感が芽生える時があり、悩んでいます。カルトや新興宗教のようなものは一旦おいておいて仏教について考えたとき、原始仏教は哲学のようですが、現在の仏教は極楽浄土や阿弥陀如来など空想上のものに頼りすぎている気がします。もちろんそれによって私も救われた時がありますし、救われる人も多いのだと思いますがどうしても信じきれません。

キリスト教においても私はイエスの存在を信じきることができずに合わないなぁと感じました。私に仏教は合わない宗教なのでしょうか。また、お坊さん方から見た仏教の良さを教えてください。

2017年11月14日 13:43

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

事実に頷く

仏教にしろ他の宗教にしろ、

何かを私が信じる・信仰する

というならば、それって結局、自分・自分の価値観・自分の都合を信じていることになるのではないでしょうか。

極楽浄土に往けるから阿弥陀仏を信じる、病気が治るから薬師如来を信じる、受験に受かりたいから学問の神を信じる…〇〇は存在すると私が思うから〇〇を信じる

それって神仏を信じているのではなく私を信じているのでしょう。

「明日の降水確率は10%でしょう」という天気予報を聞いて「明日は雨が降らない、晴れだな」と私の感覚・知識で予想する。私の予想に照らして確率が高いから信頼できるというのとあまり変わりません。
その信では、実際明日になって雨だったら「信じてたのに!裏切られた!神も仏もない!」となってしまいます。

そうではなく、今日、いや、今・ここで「今日は晴れやで」と聞いて、実際に晴れの中にいた私が「まさに晴れでございました。疑いようもありません。」とうなずく・頭が下がるのが仏教の信ではないでいしょうか。

言うまでもなく、ここで「晴れ」が指すのは私の生きる理想や都合ではなく、生きるこの身の「事実」です。

あんたら人間はこういう傾向があるんや!こんな風にしがちや!自ら苦しんでるのとちゃうんか!?物事には原因があるんや!勝手な妄想ばっかすな!わからんことはわからんと認めろ!

というような事実という真実を突きつけられるのが仏教かと。私が信じるのでなく、私の事実が言い当てられるのです。
わけわからんものを闇雲に信じる教えではありません。

なお、それは浄土や阿弥陀仏であっても同じことです。それぞれが指し示す事実があるのです。真実を伝えようとするはたらきがどんな手段をとるかで様々な表現があるだけでしょう。
まあ、そのへんは話すとややこしくなりそうなので割愛します。

※なんか力が入ると関西弁になるクセがありますが、これも私の表現の一種です。

2017年11月14日 16:46
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有り難し
おきもち

はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

原始仏教から部派仏教へ、さらに上座部仏教、大乗仏教へと、仏教の教えは時代とともに場所やそこに住む人々とともに移り変わってきました。
その為仏教の教えは八万四千の教えがあると言われるほどたくさんあります。
しかし、仏教徒だからその全てを信じる必要がある、というわけではありません。
あなたが納得できる教えを選び取ればいいのです。
何を選ぶのか、それは人それぞれ、また同じ人でも状況で変わることもあるでしょう。
あなたが今信じることのできる教えを信じたらいいのですよ。

2017年11月14日 20:40
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...

仏教の良さ(拙私見)

琥珀様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「仏の存在性論証」(全知者証明)は、まさに仏教においても一大事でありました。

是非、仏教の認識論・論理学、特にダルマキールティ大師の論著類からも学んで頂けましたらとは存じます。

まずは、「シリーズ大乗仏教 認識論と論理学」(春秋社)からでも。

「他の宗教にはない仏教の良さ」とは、あくまでも拙私見となりますが、

押し付けがましさがない、他を無理に排除しようとしない、相手に応じての配慮、優しさがある、などになるでしょうか。。

結構、宗教は、「自分のところが一番だ」と、他と比べての優位性を主張し、独善的、排他的、攻撃的となりがちなのですが、仏教はそうでないところが良いところなのではないかと思っています。

川口英俊 合掌

2017年11月15日 15:02
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有り難し
おきもち

「現在の仏教は極楽浄土や阿弥陀如来など空想上のものに頼りすぎている気がします。」

キリスト教でも仏教でも、ある境涯に至ると聖霊(キリスト教)あるいは霊応身(仏教)に目覚めて、イエスあるいは阿弥陀如来の臨在を実感します。

したがって実際には空想ではないのですが、単なる教義として空想で語られることが多いですね。

仏教の良さは実感に至るための方法論がある程度はある(妙な表現ですが)、ことではないでしょうか?

キリスト教だろうと仏教だろうと哲学だろうと実感がなければ、学問または思い込みに過ぎないですしね。

2017年11月15日 9:40
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有り難し
おきもち

遠藤喨及
僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、...

質問者からのお礼

吉武文法さん、ご回答ありがとうございます。なかなかに難しいですね。私が何か予想するような曖昧なものではなく、そのまま事実を教えてくださっているということでしょうか...。もっと勉強します。ありがとうございました。

三宅 聖章さん、ご回答ありがとうございます。確かに調べてみると本当にいろんな宗派や種類がありますね。自分なりに納得できる教えを探してみます。ありがとうございました!

遠藤喨及さん、ご回答ありがとうございます。仏教と学問的な考えを混合していたのかなぁと思います。いつか私も仏さまの臨在を実感したいです。ありがとうございました。

川口英俊さん、ご回答ありがとうございます。確かに仏教は他の宗教よりも暖かく全てを受け入れてくれている感じがします。紹介してくださった本、読んでみます。ありがとうございました!

「宗教について」問答一覧

宗教、神道、スピリチュアル

今の世の中は情報で溢れています。 スマホって簡単にいろいろ調べることができて、情報で溢れかえっています。 心がツライときや精神的にしんどいときに、 精神的に弱く強くなりたいなぁ 傷つきやすい性格を変えたいなぁと思い、 検索魔になって検索すると、 あれやこれやいろいろ出てきて、 何が良くて何が悪いわけではないと理解していますが、情報が多すぎて、よくわからなくなってきます。 何がホントなのか?何を信じていいのか? きっと私意外にも藁をもすがる思いで、いろいろ検索する人もいると思います。 (確固たる宗教など崇拝してる方は、このような迷いはないかと思いますが…) 信じたいことだけ信じてればいいのでしょうか? 仏教的な目線は下記のことはどのように思われますか? 全ての出来事は引き寄せ? 出会う人や出来事は偶然?必然? 自分に起こる出来事は必ず必要? 乗り越えられない試練はない? 健康に問題があるときは暗示? 仏様にお願い?神様にお願い? 宇宙に任せる? 自分の胸にすーっと収まった言葉こそがご縁があり、その時に、ん?なんか腑に落ちないなって思う言葉は受け入れなければいいのでしょうか? そのような言葉でも後から受け入れるようになるかもしれませんが… 私自身、家に仏壇もあり仏教ですが、正直、意識するときはお墓まいりや法事の時だけです。ですが、今度はお墓があるお寺に仏教講座があるので、参加しようと思っています。 自分勝手な考え、散文、お許し下さい。 お手数お掛けします。よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 19
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信仰ってなんだろう

私は、信仰するということの概念について悩んでいます。何故なら、私は、神様や仏様の存在を信じてはいるのですが、それは人間の心の内にある概念に過ぎず、形而下で捕捉できるものではないと思っており、この考え方が取っ払えない以上は心底から神仏を信仰することは叶わないのではという疑念を抱いているからです。 私がこのような考え方をもったきっかけは、遠藤周作さんによる著書「沈黙」を読んだことです。ご存知でない方に簡単にあらすじを説明しますと、キリスト教の弾圧があった江戸時代に、ある宣教師が拷問の末に棄教したという報を受けてその弟子が真相を求めて来日し、救いを求める弱い隠れキリシタンや彼らを拷問にかける大名と出会いながら、仏教との相違や絶対神の是非について考え、葛藤するというものです。 私がこの小説で衝撃を受けたのは、諸行無常の考えを礎とした仏教を信仰しているはずの大名が、キリシタンだというだけで農民の魔女狩りを行い、キリスト教の弾圧に執心していたことです。 宗教というのは、固まった思想を提示することで人々の心を安定させたり、民衆を統制させる側面があるとは思うのですが、劇中のように政の道具としての扱いにとどまったり、科学が普及した現在において金稼ぎのダシに成り下がってしまったりする宗教文化を多々見ると、もしかして心の底から神仏の存在を信仰することは最早なり得ないのではないか、という疑念を感じずにはいられません。 こうした疑念に輪をかけるのが、自然の脅威です。現在猛威を振るうコロナウイルスや、台風、地震などといった災害は、私たちにとっては害悪でしかなく、早期の収束や撲滅を願われるばかりですが、それらの現象は我々の嘆願とは関係なくただ事実として存在するのみであり、これらを既成の宗教概念によって説明するには限界が生じるのではないかと思います。それを考慮すると、我々に都合の良い神仏への疑念が益々助長されるばかりです。 私は、目的によっては多少の方便は許されても良いと思っていますが、神仏を本気で現実のものと信じている方々のことを考えるとどうしても後ろめたいものを感じます。こうしたことについて、僧侶の皆様はどう思われるのでしょうか。冒涜と思われるのでしょうか。それとも、これも信仰と思われるのでしょうか。 大変無礼な質問であると承知しておりますが、何卒宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 27
回答数回答 3

神を信じているはずなのに~相談します。

私は神の実在を信じています。でも、各宗教の説く信仰の世界になじめず、ひとりでさまよっています。 私の煩悩は「自殺したい」とか「神よ私を速やかに殺してください」と願うことです。 自殺すると仏教で言う「無間地獄」に堕ちると信じるので、具体的にはあの世で自殺霊・地縛霊になり、救われることはないと信じるため、怖くて実行できません。 そんな人生否定の感情や死後の恐怖から生きるとしたら、なんと消極的で暗い、マイナスの人生観・生活観でしょうか? 私は人生の初期に親から新興宗教の経典を読まされ、神棚の前に正座して「人生は苦悩なり」という経文を唱えさせられていたことが、そもそもの間違いの始まりだったのではないか?と思います。 小学生のころから「人生は苦悩なり」と権威をもって教え込まれるのではなく、夢や希望や「わくわくすること」を追いかけてがんばり、その夢をつかむよう教えられるべきだったのでは?と思います。 小中学校時代、その新興宗教の夏季合宿に必ず参加させられていました。 中学に進学したとき無意識に友達の前で「あ~死にたい!」と口にして嫌われました。そのころそんなことを言う子は一人もいませんでした。 高校時代は「自分は不幸だ」と友達に告げて「じゃあ、なぜ自殺しないのか?」と問われました。 大学時代、変な宗教に強引に勧誘され「早く過ぎ去れ、青春よ~!」という歌を歌わされました。 大学卒業後は自殺未遂をして精神科に入院することになり、絶望のどん底でした。 3年後、父の死をきっかけに退院して新聞配達や肖像画制作をしてがんばり、登山までするようになったのですが、15年ほどで体力が衰え、失職してひきこもりになり、医師の診断通り「統合失調症」ということを受け入れざるを得なくなりました。幻覚も妄想もない統合失調症患者もいるということですが、私もそのひとりなのだと思います。 症状は「疲れやすさ」「意欲の低下」「睡眠障害」の3つです。 神への信仰、医療に頼っていますが、仏教文化も私には必要で、多くの影響を色濃く受けています。「般若心経」「観音経」「白隠禅師和讃」を仏前であげることもあります。CD集『ひろさちやの感動するお経』全8巻も繰り返し聴いています。 障害年金で暮らし、身近に相談相手もいない私は母亡き後果たして生きて行けるのか心配と不安で夜も眠れないほど悩んでいます。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

キリスト教か仏教か。

いつも、相談にのっていただきありがとうございます。 ストレートで申し訳ないのですが、キリスト教を信仰するか、仏教を信仰するか、迷っています。 キリスト教の教会は10年ほど前ですが、通っていました。信仰告白もして、あとは洗礼を受けるだけ…という所までいったのですが、別れた主人が浄土真宗のお寺の孫でキリスト教なんてとんでもない!と激怒され、そこから疎遠になってしまいました。 仏教はお経を今、私なりの言葉でわかりやすく訳していて、お釈迦様や阿弥陀如来の智慧に向き合う度に泣くほど感動することもあって、とても心を惹かれています。 幸い、わからないことがあったら聞いてくださいねと言っていただける僧侶の方とも出会うことが出来て、何度か質問もしました。 その僧侶の方の人となりだと思うのですが、終始、仏様を信じられたらいいですね。と言ってくれます。 私は仏様を信じたいと思っていますし、お経から導かれたこのご縁を大事にしたいとも考えています。 ただ、どうしたらいいのかわからないのです。キリスト教の時は日曜日の礼拝から始まり、聖書の勉強会を定期的にすることで 信仰を深めて行くことが出来たのですが、仏教は敷居が高いと言うか、私の住んでいる地域では勉強会もないですし、法話会もこのご時世なのでやっていない所も多く、やっていても都合が合わなかったりでなかなか信仰が深められません。 そんな時にクリスチャンの友人からまた、教会に行かない?と誘われました。 私の気持ちは仏教に傾いているので、教会に行く気持ちはないのですが、正直揺らいでいるのも事実です。 どうしたら、今ご縁がある僧侶の方に仏教を信じたい!仏教の勉強がしたい!という私の気持ちが伝わるのでしょうか? 仏教の勉強が出来るサイトや学校みたいな所も見つけたのですが、お金がそこそこかかるようでカツカツで暮らしている今の現状では厳しく…。 内容が前後して申し訳ないのですが、ご縁があった僧侶の方には信じたいということも、もっと勉強したいということも伝えています。それでも、返ってくる言葉は「信じられたらいいですね〜」という感じで、最近は私と関わってしまったことを面倒臭く感じているのでは?と思うことしきりです。 長文駄文失礼しました。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 30
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