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誰からも相手にされず孤独です。27歳女。

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私生活でもSNS上でも誰からも相手にされず孤独でつらいです。

自分はネガティブで、よくSNSでネガティブな発言をしてしまいます。
「死にたい」だとか「私は生きている価値のない人間だ」とか。
前は「大丈夫?」「どうかした?」と聞いてくれる方がいたのですが、
今は誰もいません。相手にされてないんだな、とわかります。
仲良くしていると思っている友達からも何も反応ありません。
自分のせいだとは思うのですが。

普段気分が落ちていない時でも誰も反応をくれません。
自分は誰からも必要とされていないんだと思ってしまいます。
社会からも必要されてないと思ってしまいます。

誰かに話したいけど迷惑だと思って、誰にも相談ができません。
こんな自分死んだ方がマシだと思って、今死にたくてたまりません。

どうしたら良いのか自分でも全くわからなくて
ここで相談させて頂きました。

乱雑な文章で申し訳ありません。

宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そもそもSNS上の言葉なんてなんの意味もない

私も少し前までSNSに依存し、心の支えにしていた愚かなクソ坊主です。自己顕示欲を満たしたいがために投稿し、いいね!やコメント欄を神経質にチェックし、画面の向こうにいる誰かが自分に興味を示してくれていることに安堵していました。mixi、facebook、そしてインスタグラムと媒体は変わっても、そこにあるのは「誰かとつながっていたい」という抽象的なさみしさと、仮初めの安心感、そしてそれが得られないときの孤独感でした。

でも、気づいたんです。
「スマホの中には誰もいない」

いくら自分がなにかを叫んだって、だれかを求めたって、しょせんSNSはSNS。画面の向こうにいるはずの「だれか」は、膨大な情報を持つスマホの画面を義務的にスクロールして、対して内容を見ることもなく、ましてやその裏側にいる人間のことを考えることなんて一切なく、なんとなく いいね! をタップするだけ。

そんな中身のないものにあなたの悩みや絶望を吐露したって、だれも食指は伸ばしません。
仮に誰かが「大丈夫?」とコメントしてくれても、それはただ「友人を心配してあげる私をみて!!!」という自己陶酔でしかなく、本当にあなたを思っているのであれば、直接電話なりなんなりしてくるはずです。SNS上のコメントなんて、一切信じるに値しません。

ということは・・・同じように、あなたの投稿も、相手からすれば「SNSに書けるくらいのもんだろう」としか思われていないのは明白です。本当の悩みや絶望は、なかなか人の前では口にできないもの。親しい友人と二人きりでもなかなか相談できないものです。しかし、それを、不特定多数が閲覧するSNSで吐露してしまうと、「ああ、かまってほしいんだな」と思われても仕方がありません。本当にあなたが悩んでいるなら、中途半端にSNSに書くより、直接友人知人、そしてここにいるお坊さんに聞いてみてください。SNSは、一時の安心はあっても
そのあとに何十倍のむなしさを引き連れてくるものです。

すこし意味合いが変わりますが、中国・筍子が「言いて当たるは知なり、黙して当たるも知なり」(的確なことを言って解決するのも賢いが、時には黙っているのも真実をかたることもある)も言っています。

ようは、「本当に大事なことは軽々しく口にするな」ということですね、時には、沈黙のほうが雄弁にあなたを語ってくれるんですよ。

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有り難し
おきもち

癒しと救い

ああ…
「ウザイ」「お前に何が分かる」「決めつけるな」「同じ気持ちの人としか話さない」
よく言われましたよ。いや、言われますよ今でも。

そりゃあ何を言われようがはじめから聞く気もないのなら、非公開でやるか、チラシの裏にでも書いて冷蔵庫に貼っとけばいいと思う人もいるでしょうから、離れてく人も多いかもしれませんね。
でもSNSで相手をしてもらうことだけが目的ならいくらでも手はあるはずです。

アカウントを作り直したり、ハッシュタグを利用したり、親しまれるようなキャラで臨んだり…

でもそれじゃ結局虚しいのでしょう?満たされないのでしょう?

最後はやはり現実しかないのでしょう。

孤独と向き合う覚悟を持ち、この孤独は私が受けるべきではない不当な扱いだなんて態度でふてくされるのでなく、我が身の事実として孤独と向き合っていく。

その一方では、孤独を超えるために、誰かとつながる努力をすること。それは迎合するのでなく、心を開いていくこと。誰も分かってくれないと嘆くだけでなく、自分も誰のことも分かってなどいないのだと認めること。
そこに同じとか違うとか抜きにして一人ひとりを認め合う世界が開けます。みんな同じようにいただいた人生の中で、いただいたご縁に対し、それぞれの態度で臨んでいるだけなのだと、同志として見出していける世界です。

もちろん現実の世界は思い通りにならないものですので挫折やつまづきもあるでしょう。
その時こそSNSの出番ではないでしょうか。そこには色んなコミュニティがあり、活用すれば癒しとなることでしょう。しかしそれはあくまでも癒しであり救い・根本的解決ではありません。
SNSで力をもらったなら、現実世界でいただいたご縁に対し、またあなたなりの態度を示していくことです。
そこではブロックもできませんし、自分を偽ることもできません。丸ごとのあなたをあなた自身が受け入れ、だからこそ他人のそれをも受け入れる。

自分の世界に閉じこもっていることは楽かもしれませんが本当の満足は得られません。他者との関わりは煩わしいですが認め合える満足感は計り知れません。

人間は楽な方に流れますが、楽な方の行きつく先が極楽とは限らないのです。むしろ苦を受け入れて歩む道こそ、どんな苦がふりかかろうと歩んでいける安楽な道です。そこに救いがあるのではないでしょうか。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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