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今本当に怖いです

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最近俳優の阿藤快さんが亡くなりました。阿藤快さんは寝ながらなくなったそうです。そして僕はこのまま寝たら死ぬんじゃないか、など今本当に死が怖いです。どうしたらいいかわかりません。死が怖いのを克服したいです。
どうしたらいいでしょうか??


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死の怖さは、死と向き合っている証拠

お釈迦さまもこの苦しみから逃れようと、修行されたわけです。
生老病死の苦しみからの解脱は誰もが願うことであると思います。多くに人は、自分には関係の無いことのように考え、向き合うこともしません。しかし、誰もに訪れることが、「死」なのです。
生まれることと同じように、差別なく誰もが死にます。そのことだけ考えても特別なことではないことは分かります。

多くの人がやってしまっている、生まれること=善 死ぬこと=悪 と決めつけた思考は、やめた方がいいです。

これはあくまで思考です。事実ではありません。恋人や友達家族を亡くせば、それはさみしいことだと思います。しかし、決して悪いことではありません。明日の命すら保障されていないことは間違えの無い事実です。しかし、おびえる必要はありません。事実は、今生きているということです。
事実に生きれば、思考に騙されることはありません。無駄に恐怖を感じることもありません。握りしめている、こだわりを手放し、しっかりと生きていけば、良いのです。そこに後悔もありません。きちんと死ねます。そして生きることができます。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

古今東西、みな同じ

こんばんは。他人のことを見て、自らに引きつけて想像したり考えられるのは、とても人間らしいと感じます。そして、その気持ちをそのまま表明できること、素晴らしいと思います。
さて、私は浄土宗なのですが、お念仏する宗派です。「南無阿弥陀仏と言う」宗派。心細いほどシンプルです。その教えの中に、
「寝る前にはお念仏を称えなさい。翌朝首尾よく起きられたら、お念仏の功徳を積めて良かったね。もし起きられなかったら、お念仏をした功徳で極楽へ行けますよ」というのがあります。この話で大事なのは、「朝、起きられたならば、そのありがたさを感じなさい」ということではないかと思います。
よく、お年寄りは言います。「今朝も起きられて良かった」と。この、人生の年輪を重ねなければ普通は至れない境地に、あなたはすでに到達しているのです。
何日か、やってごらんなさい。気持ちに対して、言葉を知ることでコントロールすることは、ほぼできません。テスト前に漫画を読まないようにするためには、硬く決意するよりも、箱にしまってしまう方が良いのです。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

あなたが恐れているのは死ではなく死への思い

「寝ておきたら死んでいたらどうしよう?」
それを思うのは今現在のあなたの心。
あなたの心が、死に対する二次的なイメージをふくらましただけに過ぎません。
まだ、死んでいません。
この世には、誰一人として、死んだことのある人はいません。
死んだらああなるこうなる…、の、で・は・な・い・か?
死後の世界は、みんな生きている人が、生きているうちに考えた空想に過ぎません。
死んだ先のことは、実体験ができませんし、死んだ人から体験談は聴けませんし、臨死体験は意見がバラバラで当てになりませんし、宗教者は死んでもいないくせにホラふいてますから、信ずるに値しません。
本当に信ずるべきは、理知的な教え。
空想ではなく「成程、確かに」が無ければ、クーソー、せいぜいファンタジーの為の頭の肥やしです。
あなたは、自分の空想に脅かされていたのだと思うのはどうでしょう。
それが、理知的なものの眺めです。
ああ、自分が恐れていたのは、死ではなかった。
死におびえていたかと思っていた。
ところが、厳密には、あたかも閲覧注意なキモ画像を観る時に、瞬時に二次的に表れる、自分の中のそのものに対するセルフなイメージにこそ怖れていたのだ、と気づいてください。
いくら閲覧注意な画像でも、平気な人は平気なもの。
死に対してもそれは同じ。
葬儀者さん、医師、僧侶は、死に対して毎日のように触れている。何故彼らが恐れないのか。
それは、死を、死という事実としてみているからであって、死という事実に対して二次的に表れてくるイメージの方に影響を受けない在り方で処しているからである。
ものの根本の道理を見抜いてください。
自分が恐れていたものは、死そのものではない。
死に対してオプション的に付随された、二次的なイメージ、自己内のセカンドインパクトで面食らっていたのだと気づいてください。これは、私の私論ですが、確かなものです。
坐禅をしない人にはピンと来ないかもしれませんが、ウソ偽りない真実です。
自分が自分の二次的MADマックスなイメージにビビっていたことが明らかになれば、毎日枕をベイマックスにして安らかに寝られます。

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お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

考えすぎて死にそう

ただいまこの瞬間、飛行機が自宅に墜落し死んでもおかしくはないんですが、そんなことも思わずにこうして回答している訳です。
私も回答に頭悩ませたりして死んでしまいそうです。
はい、死ぬときは死ぬ。
でも人間、死ねないようにできているから
ご安心ください。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

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