生きるとは
わたしはサラリーマンとして働いていますが、
小さい頃から我が強く、中学生位から対人恐怖、劣等感等でずっとなやみっぱなしでした。正直今でも生きるのが辛いのです。そしていずれ老いて、病気になって死んでしまうのかと思うと、生を厭う他ありません。
歴史上も、人間は戦争、飢餓、貧困、自然災害、病気の流行等、多くの人が圧政、侵略、理不尽に苦しみ、そして、死んでいったのでしょう。
そして現代の資本主義社会では強いものが勝り、弱きものは犠牲になります。豊かさとは何なのでしょうか?物質的なゆたかさ?はたまた心の平安?
生まれも選べない、容姿も才能も、環境も全て理不尽です。
悩みの大小はあれ、人生は圧倒的に理不尽すぎます。
また、単なる生物として遺伝子を残すためだけの存在ならばなぜ、人間は高度な意識を持っているのでしょうか。神は信じていませんが、単なる自然淘汰の産物だとは思いたくありません。
生きることに意味があると思いたいのです。生きていくにはそうして辛いことに目をふさいで自己欺瞞を積み重ね、社会という牢獄につながれた囚人として生きていくほかないのだという絶望も受け入れたく
は無いですが、受けいれざるをえません。
どのような生き方が正しい生き方といえるのでしょうか?
囚人として生きるか、死という自由を迎えるか
支離滅裂で済みませんが、何か生きるヒントをください。
お坊さんからの回答 7件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
だから仏教がある
正しい生き方。そんなものは無い!
…うたかたさん、急に強い口調でゴメンなさい m(_ _)m
なごみ庵の浦上哲也と申します。
お釈迦さまも、きっとそんな悩みをお持ちだったのだと思います。
老い、病み、死ぬのは嫌だ。
シャカ族の王子として生まれ、豊かな暮らしをしていても、いずれ老い、病み、死ぬ。
なんの為に生まれてきたのか、なぜ生きなければならないのか。
そして辿り着いたものが、仏教として2500年もの間、伝わっています。
私たちの人生は、苦しみと悩みに満ちています。
だから、仏教があるのではないか、と思います。
以前こんな問答がありました。
「人間は何のために生きるのか」http://hasunoha.jp/questions/36
参考になりますでしょうか。
引用が続きますが、ビートたけしさんの詩をご紹介します。
「騙されるな」
人は何か一つくらい誇れるもの持っている
何でもいい、それを見つけなさい
勉強が駄目だったら、運動がある
両方駄目だったら、君には優しさがある
夢をもて、目的をもて、やれば出来る
こんな言葉に騙されるな、何も無くてもいいんだ
人は生まれて、生きて、死ぬ
これだけでたいしたもんだ
前半は人を励ます言葉ですが、私は後半が気に入っています。
私たちはこの世に生まれ、そして生きているだけでも大したものだ、と存在を丸ごと認めてくれる言葉に、私は安心感を覚えます。
永遠のはてなが答えです
うたかたさんが生きるのが辛いと思われる理由をたくさんあげていただきました。どれもその通りだと私も思います。気持ちが沈んでいるときは、食事をするのも辛いし、友達と話をしたって辛い。“生きることは辛いこと”、これは真理です。
ですから、もし正しい生き方があるとすれば、正しく辛いと感じることではないでしょうか。そしてそれぞれの方に、それぞれのいい加減(よい塩梅)があるように、うかたかさんにはうたかたさんの正しい生き方があるのでしょう。
そのことが分かればそれでいいのです。
円周率に終わりが無いように、正しさの追求に終わりはありません。円周率をπ(パイ)としたように、その問いの答えを永遠の?(はてな)と定義して、ケリを付けましょう。
ケリを付けたらあとは、他人の人生ではなく自分自身の人生を歩んでまいりましょう。
「生きている」が状態なら「生きる」は意志です。
無目的に歩んでいる日々に「歩む」という意志をちょっぴり足して毎日を過ごせたらいいなと、私自身思っています。
正法こそ法にかなった正しい生き方である
正しい生き方はあります。
「正伝の仏法」正しく伝わってきた仏法というものがあるじゃないですか。
「我に正法眼蔵 涅槃妙心あり」 釈尊
こういう言葉が仏教の中にも存在するということ自体、2500年も昔から「ただしい生き方」として、ちゃんと立証、証明されているのです。
正しい生き方の川の流れに身を任せれば、誰でもおのずから心底安心して「ああ、本当だ、確かにこれが正しいあり方だ」と実感ができるのです。それこそが仏法。
では正しくない生き方なんてあるのか。
もちろんあります。
「毒を毒と知らずして糧として服するが如し」
あなたが嫌うように、正しからざる生き方こそはあなたが抱えられているように「苦しみしみを起こすような生き方」です。
お釈迦様はそういう生き方を選択されてはいません。
川の流れに逆らうこと自体が人間としての生き方を間違っている故に現に今あなたも苦しみが生じている、と考えるべきです。
苦しみとは、この心身が間違った生き方をしている時に「そうじゃないよ、そんなことしてはいけない」と命のSOS信号を送ってくれているんです。それが苦しみ、という人間本来備わっている正しい方角へ導いてくれる羅針盤作用なのです。
では、たとえば料理の上での正しさとは何か。
本当においしい和食作りを求めてあちこちの門を叩いたとしても中華料理屋に入門したら、だしも、調味料も異なるのです。ではそれは間違っているのか?
それでも「おいしい」ということは作り出せる!
それが正しさです。各宗派、みな味が違っても、目指す最高の味は、美味しい!ということ。
それが味覚ではなく心の部門であれば、悟りという絶妙な味を心底嘗め尽くさなければ「うん、ウマかった、納得した」と合点がいかないの無理はありません。
私がここで申し上げる正しさとは、人間万人に通じる、誰もが安心、安楽になれる生き方です。
この正しさとは、一般的な正しさでもなければ、サンデル教授の正義論の正義、正しさでもありません、
何故なら一般的な正義論には、自分にとってというエゴ、自我が介入します。正義の名のもとに戦争すらします。
埼玉でしたら一度は当山の坐禅会にお越しください。かならずあなたを納得なさるまで一方的に話を押し付けずお話をお伺いいたしましょう。お待ちしてします。
実は私も20代の時同じことを考えていました。
いいね!私も20代の時同じことを考えていましたよ。被害妄想、ネガティブ思考、後ろ向きなんて色々周りから言われました。でもね。これが色々な局面にさらされると良い方向に働くこともあるのよ。
対人恐怖、劣等感いいことですね。人からどう思われるか考えながら行動するから、対人恐怖になるのよ。としたら、人に対する慎重な姿勢(信用できるかどうか)は大人になればなるほど必要になる。下手したら心が見抜けるようになるかも。『霊能力者 小田霧響子の嘘』という石原さとみ主演のドラマをちょっとだけ、見てみて下さい。あなたと同じような性格のヒロインが活躍してますから。
この悩みは永遠に持っていてください。私はこのような悩みを人、時間、本、テレビなど、様々な出会いで解決してきました。どこで解答がえられるか私には解りません。
『正法眼蔵随聞記』に「桃を見て悟りを開いた僧侶もいる。竹の音を聞いて悟りを開いた僧侶もいるが皆がみんな桃や竹で悟りを開くわけではない・・・。」と説いている。本当にその通りで何が切っ掛けで物事が上手くいくかは分からない。ですから、その疑問、悩みはず----ッと持ち続けましょう。
いつか解決する日を・・・合掌。
「生きる」ではなく「生きている」という視点。
頭の中ではいろいろと考えてしまうのですが、なぜ今まで『生きてこれた』のでしょうか。
髪の毛や爪は切り落とされ、命をいただくと言って食べたご飯もトイレで流れてしまう。
(食事中の方すいません。)
そうやって、別れゆくものもあるのに、「生きてこれた秘訣」ご存知でしょうか。
今ここまで、生きてこれて、このhasunohaで遇えたのは「生きる意味」を知らなくてもご自身が成しえたことですよね。
自然淘汰の産物かもしれない、劣等感や生き辛さも持ち合わせている自分が、この瞬間まで生きてこれた秘訣は何だったのでしょうか。
まずそのあたりの整理が解決のまず一歩かと思います。
つい忘れがちな、ありきたりの日々にヒントがあるかもしれません。
人生は理不尽です
うたかた様へ
人生は理不尽です。
そういう中で生きていくことに意味があり、人は強くなっていくのだと思っています。
そういうことがあるkとで、他者を思いやったりすることができるのではないでしょうか。
生きていることには大いに意味はあります。
その意味を考えながら生きてください。
浦上様がおっしゃっているように
正しい生き方はありません。
ただ自分が正しいと思えるように生きてください。合掌
「生きる意味」
うたかた様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
「生きる意味」に関するご質問につきましては、下記一覧における皆様のご回答も少しく参考となるかもしれません。
http://hasunoha.jp/questions?tag=生きる意味
http://hasunoha.jp/questions/185
http://hasunoha.jp/questions/165
http://hasunoha.jp/questions/93
http://hasunoha.jp/questions/36
「生きる意味」・・恐らく考えても「これだ」という明確な答えは出ない、永遠の命題のような気もします。
むしろ、かつての拙回答内では、「もし、生きる意味があるならば、生きる意味がない」として下記のようにも回答をさせて頂きました。
http://hasunoha.jp/questions/93
かと言って、では生きる意味を考えることに意味は無いのか、考えないようにすればよいのか、としてもそれも少し極端なこととなります。
私たちの世界における様々なモノ・コトは、「縁」次第によりて生滅していくものであり、「意味」もそのようなものにしか過ぎず、もしも、善い「意味」を生じさせたいとするのであれば、善い「縁」を得れるように精進努力していくことが必要なこととして、そのためにも善い行い(善徳行)を積むことが大切となるのではないかとは存じております。
確かに私たちは代表的な苦しみとして八苦(生・老・病・死の四苦、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦と併せて、八苦)にさいなまれて迷い苦しむ存在であります。
この悩み苦しみを超えていくためには、「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意」を基本として、以下の拙回答のように仏道を歩むことが望まれることになると述べさせて頂いております。
http://hasunoha.jp/questions/203
釈尊は、四聖諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)という真理の教えにより、迷い苦しみを超えていくための中道をお説きになられました。
どうぞ、この機会を是非、本格的に仏教の学びを始められるきっかけとして頂けましたら幸いに存じております。
川口英俊 合掌