きっかけ
きっかけ
私は仏教のおしえにひかれているのと、お坊さんという職業に
漠然とあこがれを抱いています。
皆さんはどのような縁でおぼうさんになられたのでしょうか?
参考までに教えていただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
阿弥陀さまの おはからいであろうか、不思議に思う時があります
今でも 不思議に思うのです〜
在家であり、浄土真宗の教えの中 育ちました。両親と同じように、幼児教育に携わりたくて 先生になりました。子ども達との毎日は、とても充実していて、一生続けたいと考えていました。
それが 夫と知り合い、お寺へ嫁いだことで、環境はガラリと変わりました。。。
どちらの経験も、今の私を支える力になっています◎
それでも、衣をきて 皆さんの前に立つと、ご縁であろうか、 阿弥陀さまの おはからいであろうか、不思議に思う時があります(*^^*)
教師も、お坊さまも、いろんなタイプの方がおられます。
様々な人との関わりで、自身が育つのですものね〜
良い出会いを◎
悩み坊さまへ
こんばんは。
20代という事は同世代ですね(^ ^)
私は寺院で生まれ育ったので父や母の姿を見ていましたので、高校2年でお得度させて頂きました。
2人姉妹の長女ということもあり周りからも「継ぐんやで」と刷り込まれ、自分でも
そう思っていましたが、大学受験期に「お寺イヤイヤ期」が到来し宗門校の中では
ありますが、仏教系ではない学科を選択しました。
宗門校の中ですので何かと触れるご縁が重なり、今は前向きにお寺の事を考えられますが、
10代の頃は正直重荷だと思っていました。
ご縁が重なればこんな私にでも、有難いと思わせてくれる教えってすごいなとつくづく思って
います。
初めは勘違いでした
悩み坊さん、こんにちは。
お坊さんという職業にあこがれ、、、ということは将来、僧侶になりたいということでしょうか。それならば大変喜ばしいことです。
私自身は、サラリーマン家庭の次男に生まれ、お気楽な学生生活を歩んでおりました。
将来の夢は映画監督、作家、TVプロデューサー…。
自分の妄想を世間に発表することが究極の目標だと思っておりました。そんな時、「それならばあなたが発信基地になればいいではないか」と当時の師僧(現在は鬼籍に入りました)に誘われ、僧侶になった次第です。
高邁な理想が無くて申し訳ございません。しかし、師僧の言ったことは本当で、現在お寺のHPを作ったり、瓦版を書いたり、自分のやりたかったことを日々実践させていただいております。
以下、ご参考までに。
今、僧侶として、また寺院住職として、日々の勤めをこなす日々のうち、いかに自分が勘違いしていたかを思い知らされております。僧侶とは発信ではなく受信すべき人格です。
私が思うに、僧侶とは「人と向き合うこと」を生業とするものです。自分の妄想を発信するどころか、自分の浅はかな固定観念を壊し続ける日々です。ちなみに僧侶を志した方のうち、初志貫徹する方は2割といいます。確かに私の同期もみんな辞めてしまいました…。もちろん、2割に入ることに自信があり、目指しているのでしたら、大いに歓迎いたします。それでは!
ご縁です。
悩み坊さま
はじめまして増田と申します。私も“あこがれ”から今、僧侶の道を歩んであります。今のお師匠さんのようになりたくてお坊さんになりました。なので、私自身はこの“あこがれ”というのは大切なご縁だと思っております。なのでそのあこがれを是非大切にしていただければと思います。
今もこの“お師匠さんのよういなりたい”という思いがあるからこそまだまだ追いつけないお師匠さんへのあこがれと向上心を持ち続けることが出来ているのではないかと思っております。なので悩み坊さんもこのあこがれを大切にしていただきたいと思っています。 合掌
成り行き?
悩み坊さま
なごみ庵の浦上哲也と申します。
先日「迷い坊」さんという方から質問が来ていたので、同じ方かと思ってしまいました。
http://hasunoha.jp/questions/229
さて、最初に揚げ足を取ると(ゴメンなさい m(_ _)m)、私は僧侶は「職業」と思っていません。職業と言うと生活のためにやっていることというイメージがあり、私にとって僧侶は「生き方の選択」だからです。
今現在は生き方として僧侶であり、また頂いたお布施の中から給料をもらっています。けどもし縁があって他の職業に就いて生活費を得ることになっても、私は生き方としての僧侶であり続けるでしょう。
悩み坊さんは「仏教のおしえにひかれ」「僧侶に漠然とあこがれ」と仰っているので、無用な話だったと思います。
で、私の場合です。私は一般家庭出身で、一般大学を出て、一般企業に就職しました。
その後退職をしていた時期に、親戚のお寺から「お坊さんにならないか」と誘われました。子どもの頃から実家の仏壇掃除や、お釈迦さまのお話しなどが好きだったのですが、まさか僧侶になることなど考えていなかったので1ヶ月ほど悩み…お受けすることにいたしました。
14年が経ち、そのお寺を離れて色々活動していますが、私を導いてくれた親戚寺の住職には感謝をしています。
最初に立派な志などがあったわけではなく、自分では成り行きに近い状況だと思っています。ご参考には…あまりならないかもしれませんね (^_^;)
カッコよく言えば 使命感
映画「極道の妻たち」のワンシーンに「ホレた男がたまたま極道だっただけや」というシーンがありました。
うちも「たまたま生まれた家がお寺だっただけだっただけ」です。
といってしまえば元も子もありません、ね。(^<^)
私は次男坊だったので、お寺業界に入らなくてもよかったのでしょうが、何となく親の敷かれたワナ?の上を歩まされているうちに洗脳されてしまったようです。
今でも時々中華料理屋さんか、ミュージシャンになりたいという気持ちもあります(^<^)
大学3年の時、宗教、哲学にはまり、頭がおかしくなって?悟りを開いたような心境になりました。
その時、万人が救われるような方法論を見出したような、啓示を受けたような感覚でした。
それまで意味不明だった大学の講義の般若心経が理論的にはスラスラわかるようになりました。
それまで抱えていたものが、しょい込む必要がなくなったから大きな心境の変化があったのだと思います。
「人は悩む苦しむ。だからその悩みを根本から解決しなきゃ幸せになれない。その解決方法は…、それを求めるのが菩提心だ、修行道場に行けばきっともっと経典以上に確かな答えがあるかもしれない。よし、決心がついた。」
そんな流れで修行道場で10年。求めた結果、それは空間的場所にあるのでもなく、お経の中にあるのでもなく、無上菩提・悟りに導ける正師に出会って、悟りの確かさを確信し自分の内側にそれを見出すこと。
万巻の経を読むより、自分自身が心底、矛盾・疑問を解決することができるのです。
そうでなくちゃ僧であっても怒り、不安、悩みのトリコです。誰を救うことなんてできましょうか。
自分も相手も救われる心の周波数、心のあり方があります。その時人はお坊さんでなくともお坊さんです。
そうでなければお坊さんでもお坊さんじゃない。
そのやすらぎ周波数を広めることがお坊さんの使命だと思っています。
そうでなくちゃ世の中、上っ面ばかりよくなっても根本から良くならないですからね(^<^)
お坊さんにあこがれるより、あなたがあなた自身から救われる生き方(正覚)を成就するべきです。
世襲です。
悩み坊様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
下記問いの拙回答内でも述べさせて頂いておりますが、拙生が僧職となりましたのは「世襲」によるところが大きくございます。
http://hasunoha.jp/questions/229
もちろん、小さな頃より仏教的なことには色々と触れておりましたので、興味があるにはありましたが、高校・大学と進学する中で、当時は仏教よりも政治・法律の道の方へと進みたいという希望が強くありました。
修行へと行く(正直には行かざるを得なくなった)最大のきっかけとなったのは、父である住職の病気であり、急遽、大学を休学して禅専門道場へと行くこととなりました。
実は、その修行へと参る前年、大学二回生の終わりの時には、当然に薄々いずれ僧侶にならないといけないだろうことは十分にも分かっていたので、大学は休学か、退学も覚悟で、天台宗・比叡山延暦寺で第一期目の僧職過程一般公募(現在はもう既に廃止されているかもしれません)の論文・面接試験を受けたのですが、残念ながらにも落ちてしまっておりました。(拙寺は単立寺院にて、基本的には宗旨宗派の選択がある程度自由にはございます。現在、拙生の仏教の学びはチベット仏教を中心として進めさせて頂いております。)
色々と仏縁、法縁によって、現在は、このhasunohaにてもご回答をさせて頂いております立場となってはございますが、まだまだの浅学菲才の未熟者でございます。日常の寺務・法務・作務と平行して、学ぶべきこと、修するべきことが、山のように控えてございます。とにかく日々猛省しながら一歩一歩できる限りに前へと存じております。
僧侶になるためには、宗派によって色々と手続き・要件・資格過程が必要になるかと存じますので、興味のある宗派の本山・各宗務庁・各宗務所にお問い合わせなさられるのがよいかと存じております。
また、下記各問いの皆様のご回答も色々と参考になるのではないかと存じております。
http://hasunoha.jp/questions?tag=お坊さんになるには
もちろん、僧侶になる機縁に恵まれずに在家のままであろうが仏道を歩めないことは全くございません。
是非、共に頑張って仏道を歩んで参りましょう。
川口英俊 合掌
私も仏縁です
悩み坊様へ
結果的には世襲でございますが
父である師僧より道を示されたこともありませんし
小さいときはむしろあまり興味がありませんでした。
自分の職業選択、夢の中には正直ありませんでした。
それがしらずしらずのうちに
今になってみれば仏縁というものがあり
この道を歩んでおります。
今では誇りさえ感じております。合掌
質問者からのお礼
皆様ありがとうございました。
参考にさせていただきます。