妹の死
昨年に妹が自分で自分の命を絶ちました。その数日後には家族で食事をする予定もあり、他にも旅行の予約も取っていて本人も楽しみにしていました。突発性だったのか…と思います。危ない状態とは知っていたのに未然に防ぐことが出来なかったのが悔しいです。予定もたくさんあったので油断してしまっていました。
確か妹は亡くなりましたが、私はまだ生きています。両親も姉も生きています。まだ全てを失ったわけではないですが、生きるのが辛いです。妹がいない現実を受け入れられない。仕事も休みがちになり、朝起きるのが億劫です。 このまま寝て目が覚めなければいいのにと思います。それでも家族や友人を悲しませることはしたくないと矛盾した考えがぐるぐる回ってます。
以前はやりたいこと、やりたい仕事もありましたが、今は何もする気が起こりません。時間が解決するといいますが、辛すぎます。どう生きていけばいいのかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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失われでもあっても失わせないよう
こころは愛する人を失うとどこへ行っていいかわかりません。
寄り掛かろうと思ってもその存在がありません。悲しいことですね。
どうすればよいのでしょう。
私は「心を失いに向かわせないように」しています。
人は人の人生の無限のシーンの中のたった一コマ「亡くなってしまった」シーンだけに焦点を合わせてしまっています。
亡くなられてしまったことだけに気持ちがどうしても向かってしまうものですが、本当は思い起こせることは亡くなってしまったことばかりではありません。
確かに妹さんの存在は残念ながらこの世には生きた存在として感じることはできません。
ですが、その妹さんの存在は今どうなっているかと言いますと、心をより良い方向にお導きするためにあえて申し上げますと、単に「亡くなられてしまった」という一大事実があるだけなのです。亡くなられたことに、人によってはいろいろな「思い方」をしてしまいます。
取り残された気持ちや、失われ、喪失感、申し訳ない気落ち、後ろめたい気持ち、何とか代わってあげたい…心が独り歩きするのです。この心の独り歩きが始まることで向かう先によっては本当に悲しい、苦しいだけの心にとどまってしまうのです。仏教で祖師と言われる方々もみな愛する人たちを亡くされました。その後は供養として、菩提を弔うために仏道に身を投じられた方もいます。まさに菩提道を歩まれ、悟りを求める中で利他の行に勤められ、無為無我に目覚められ、もって報恩の行とされたのです。心は愛する人の亡き後、きちんとした方向へ向かいませんと彷徨います。生きながらに生きた心地すらしない場合もあります。
だから仏教では亡くなった人のためにも、生きている人のためにも心を苦しみや悲しみに向かわせない為にも、仏法を学ぶべきことを説いています。
「私の妹が私の中では本当はこうであって欲しかったんだけど死んでしまった。」
人間はどうしても「私・自分」越しにモノを考えます。この狭い私という窓越しにしかものを見られないからこそ活路を見出せないままなのです。
家族間、兄弟の間では強い繋がりがありますから、相手が命を失うことは大きな衝撃、大きな悲しみであろうと思います。
だからこそ、心を失い・悲しみにとどめるままにせず、生前妹さんと話した事を思い起こして心の向かい先、導き先をお互いが安楽になれる「仏心」に向かわせてあげてください。
お悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
やはり時間は必要です。
私も弟を亡くして7〜8年間は思い出す度に涙がこぼれました。
当時は私は会社員でしたが、弟のことを考え無いようにする為、少し無理してたくさんの仕事に打ち込んで、気を紛らわせていたことを覚えています。
浄土宗ならお寺さんから話を聞いたでしょうか。
極楽浄土で再会できるのです。
極楽浄土には病も苦しみも無いのです。
ですから、あなたの妹さんの事は心配しないでくださいね。
たくさんのご先祖様、そして阿弥陀様や観音菩薩様、勢至菩薩様が導いてくれていますからね。
いつかまた会える。
そのことを信じて、妹さんの分まで生きてくださいね。
悲しみに沈んでいては、極楽浄土から見ている妹さんが心配しますよ。
どうか妹さんを安心させてあげてくださいね。
泣きたい時は立ち止まって思いっきり泣いていいですからね。涙が止まったらまた歩き出してくださいね。
南無阿弥陀仏
妹の分まで生きること。
アンさん、こんにちは。
妹さんが亡くなられたのですね。仲が良かったのですね。辛いですね。お悔やみ申し上げます。私も、あなた以上にご両親の苦しみを同じ親として感じます。
何が原因かはわかりませんが、元気であっても命は突然として消えることこがあります。人生の苦しみの一つです。生きる事は難しいのです。でもあなたは生きています。あなたまで亡くなったらご両親の悲しみははかりしれないでしょう。あなたは妹の分まで元気に、そして幸せに生きなければなりません。あなたが妹さんへの供養を通して、自分は幸せに生きてることが、霊界の妹さんも幸せに思うことなのです。あなたが幸せに生きることが、妹さんの生きた証にもなるのです。あなたと妹はもう一心同体なのです。あなたが苦しめば妹も苦しみます。あなたが楽しめば妹も幸せになっています。
是非、妹さんのためにもあなたの生き方を充実してください。幸せな生活を目指してください。それがあなたの姉としての愛情なのです。がんばって!合掌
質問者からのお礼
丹下覚元様、お返事ありがとうございます。”心を失いに向かわせないように”と言う言葉、スッと入ってきました。妹が亡くなってからずっと心を悲しいままにし、亡くなってしまった事ばかり焦点を合わしていました。丹下覚元様のおっしゃる通りで、妹との事は悲しい事だけではなく、それ以上に楽しかった思い出がたくさんあります。時間はかかると思いますが、妹と一緒に楽しい時を過ごした事を思い出して、心をより良い方向に向けて行ければいいと思います。
三宅聖章様、お返事ありがとうございます。弟様の事お悔やみ申し上げます。三宅聖章様の”立ち止まってもいい””極楽浄土で再会できる””たくさんのご先祖様、そして阿弥陀様や観音菩薩様、勢至菩薩様が導いてくれています”聞いて安心しました。姉の私がずっと悲しいままだったら心配しますよね…。また会える、その事を信じて生きていこうと思います。
染川智勇様、お返事ありがとうございます。タイトルの”妹の分まで生きること”を見て、涙が溢れてきました。本当に仲が良かったのでその分悲しみでいっぱいです。妹はもう現実にはいてないですが、私が生きることが妹がの生きた証…そうですね、妹の為にも人生を充実させて幸せになります!頑張ります!!