般若心経の訳を読んでもよく分からない
般若心経をの訳を読んでもモヤッと書かれていてよくわかりませんでした。
苦しいことは永遠に続かないよ、としたら幸せも永遠に続かないよ、と解釈したのですが幸せを維持するために頑張るのは当たり前だけどそれが壊れるのを恐れちゃいけないよって考えてOKでしょうか?
てことはどうしても湧いてくる恐れはどうしたらなくなるの?とかぐるぐる考えてしまいます。
般若心経を分かりやすく教えて頂きたいです。もしくは分かりやすい訳が載っている本を教えて頂きたいです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本質を見抜く力。
ハシビロコウさん、こんにちは。
般若心経は、大乗仏教の核心を突いた、真理を説いた教えである故に、いろんな問題についての解釈ができるので、今、ハシビロコウさんが、どの考えを当てはめているのか、わからないのですが、
私が良く使う例えに、コップをあげます。
これが何ですか?と尋ねられれば、たぶんハシビロコウさんは、コップと答えると思います。当然と思いますよね。でも花が好きな人によっては花瓶として使うこともあります。あるいはペン立てに使う人もいる。夫婦喧嘩している人ならば相手に投げる武器にもなります(笑)。
つまりコップなのに、人の味方、使い方によっていろんなアイテムになるわけです。自分がこうだと決めつけていることは、実はあっていない場合があるのです。自分がこうだと決めつけると見方によって間違いが起こります。これは何が本質かと見極めるということは非常に難しいということです。その実体にとらわれずに本質を見極める力を、色即是空(形にとらわれず本質を見極め)、空即是色(本質から形の意味を知る)というのです。だから色即是空の「色」と空即是色の「色」は、同じモノを指しているのにまったく価値が違うのです。先ほどの同じコップの違いのことです。
同じように、あなたに現れた苦しみも、あなたは苦しいと思うかも知れませんが、実は違う意味を持っている可能性があります。なぜその苦しみが自分に起こるのか、本質を見極めると、もしかしてその苦しみは、ただ自分を苦しめるものだけでなく、自分を鍛えるためのシグナルかも知れません。苦しみの表面だけにとらわれず、その苦しみの本質を見極める必要があります。するとその苦しみは実は幸せの裏返しかも知れないのです。
般若心経は、仏の智慧を持って本質を見極めるお経という意味です。これが私の般若心経の味方です。そしてこれに法華経の教えが加わると、本質の答えが仏さまのお慈悲になるので、すべての現象は、なぜ仏さまのお慈悲なのかという逆の計算をしなければなりません(笑)。
今出先での回答のため、私がお勧めする本は、紹介できませんが、是非、数冊はいろんな方の解釈を読んで、自分のあった般若心経の答えを見つけてください。あなたにあった答えは一つではないかも知れません。本を探すのも修行のうちです(笑)。合掌
般若心経の真意
世の般若心経の解説本は大半がみな推測で書いているものだから訳せる人がいないということではないでしょうか。
仏教書というものは書く人によっては実に詐欺まがいの本が横行していると感じます。
たとえば学生時代に読んでいた本で大法輪閣というところから出ていた本で「さとりとは何か」という本がありました。先日読み返してみると要は「この人たちは誰も悟っていないのに悟りについて文書を書いているだけ」だったのです。学生時代は分からなかったのです。偉い先生が書いてるから大丈夫だろうと思っていたのでしょう。妄信というものです。
悟りは悟っていない人が論ずると推測にしかなりませんよ。
色即是空 空即是色
みんなあやふやなことばかり書いている本が多いと思いませんか。
物質の変化的なことなら小学校の理科で十分分かる知識です。
私の疑問は「はたしてお釈迦様はその程度の人だったのか」という疑問でした。
さて、ちょいとだけ般若心経の真意を記しておきます。
なぜ真意かと言うと「解釈」では百人が解釈すると意味が分かれます。それは商売・ビジネスです。俺は般若心経をこう解釈したぞ、と金儲けする人は人を救うことを目的としません。自分が新しい斬新な論で注目を浴びようとしたり定説をつくがえすことが目的なのでしょう。
では、救われる内容としての心経は何を言っているのかといいますと…
この身がモノ・コトに触れた時、こちら側にそれを操作する人がいない禅定状態・般若波羅蜜を行じている時、一切のものは「誰のものでもない」ままに作用するということが説かれています。
外で事件があっても、この身がそれを感知しなければ何も生じません。
この身心というディスプレイに現われる出来事の一切が、、、その現れ方として本当に大・1秒にも満たないくらいの一瞬の出来事の連続として体感され続けているのが空です。一切を空じているのが身心の本当のあり様だということです。
既に冒頭の文字やタイトルも眼には映っていません。聞こえる音も香りも味も感覚も、その時限りその場限りで終わり果てています。
この全自動天然浄化機能、一切を常に透過させている素晴らしい身心の働きを自覚し、その働きのままに生きていくところこだわりどころか、迷いも苦しみも生じないということです。文字の関係上この辺で。過去のQ&Aもご覧ください。
本は飯田トウ隠 井上義衍 という方がお勧めです。
「顛倒夢想」にあるがゆえに・・
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「般若心経を読んでもよくわからない」というのは、当然に仕方のないことでございます。
それこそ、般若心経の中に「顛倒夢想」と出て参りますように、普通の私たちのモノの見方が真理とは逆さまな誤った見方に陥ってしまっていることに、なかなか気付かないからであります。
焦らずに、その間違ったモノの見方を、仏教を通して、正しいモノの見方に調えて参りたいものとなります。
正しいモノの見方が少しずつでも調えることができて参りましたら、般若心経の内容も自ずと理解できるようになってくることでしょう。
また、下記拙論も少し参考になさられて頂けましたら幸いでございます。
『般若心経における「空」について』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます
道は険しい。。。(´・ω・`)
川口様 ありがとうございます
焦らず実感できていけばなと思います
ありがとうございましたm(__)m
丹下様
ひとつ分かったことは私は般若心経に救いを求めていたことです。
ありがとうございました。