回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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半分当たり半分はずれ?
悩み苦しみの原因は煩悩なので、煩悩がなくなれば悩み苦しみは完全になくなります。
煩悩に起因する余計な考えも悩み苦しみの原因なので、余計な妄想雑念を減らせば、悩み苦しみはかなり減ります。
また、妄想雑念をコントロールできれば、悩み苦しみはかなりコントロールできます。
しかし、妄想雑念をコントロールできても、煩悩が完全になくなっていなければ、苦しみはなくなりません。(苦しみの世界=生き物の世界を輪廻転生してしまう。)
さらに、煩悩が完全になくなっても、この世に生きている間は苦しみは皆無にはなりません。
お釈迦様は煩悩を消されたので、死後に再び輪廻転生はしません。
しかし、お釈迦様は亡くなるまで、腰痛や病気の肉体的苦痛がありました。
一方で、お釈迦様は余計な雑念がないから、腰痛や病気に悩むことなく淡々と寿命を全うされたのです。
法華経の考え
仏教といっても教えは千差万別。教えの目的ゴールすら違います。
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法華経でお釈迦様が説かれたことを申し上げるならば、
「今の時代の人々」という条件では、人々は苦しみに堪え忍び決して苦しみから逃げはならない。それが法華経の教えです。
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これを「罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)」といいます。
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仏様は妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十の中でご自身がどうやって仏になったのか成仏したのかを説いています。
『前世での罪を償ってその後に、こうやって仏となったのだ。
どのように罪を償ったかというと
人に笑われ、棒で襲われ、石を投げつけられ、ののしられ。それらをすべて堪え忍ぶ人生を歩んでから私は死んだのだ。
その結果として今私は仏と成った。
罪を償った後に成仏したのだ』
と仰せです。
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法華経の教えは苦しみを堪え忍ぶ生き方をしなさいという教えです。
考えるな、で考えなくなりますか?
別に考えたって、害のない考えだって沢山ありましょう。
もちろん人間は考えによって苦しみます。
厳密には「考え方」によって苦しむ。
考えた内容によって苦しむ。
沸き起こった考えに対して、何を考えるかによって苦しむ。
考え自体は悪いものではないのです。
第一時点において、考えというものは自然出でてきているだけです。
ただし、その直後の本人の扱い方次第で、考えによって苦しみが生まれるのです。
そこのところをよく見て、考えも上手に使えるようになってみてください。
悟りを得たければ、考え、思いが発生している根源をみつめ、考えや思いに自分の善し悪しが付着していないことを見抜いてください。
考えないことはできないでしょう。
考えたり、思ったりする自分という存在は、いったいどんな存在で、思いや考えとは一体何なのかを突き止めることが、救いになります。
思ったり考えたりすることは、実際の生活の中では、毎日行われていることです。しかし、その思いは自分なのかと言うと、自分ではなく自然発生的に起きているだけの現象です。
考えについても、ただの考えであって、問題はないはずです。
事実と考え、思いの区別がしっかりできるようになると、楽に生きることができるでしょう。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
どうやら見当違いだったようですね。仏教には色々な教えがあって混乱します。