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仏教は

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有り難し有り難し 54

仏教は、人が苦しむのはあれこれ考えるからで、解決策として何も考えなければ苦しみはないよという教えなのですか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

半分当たり半分はずれ?

悩み苦しみの原因は煩悩なので、煩悩がなくなれば悩み苦しみは完全になくなります。
煩悩に起因する余計な考えも悩み苦しみの原因なので、余計な妄想雑念を減らせば、悩み苦しみはかなり減ります。
また、妄想雑念をコントロールできれば、悩み苦しみはかなりコントロールできます。
しかし、妄想雑念をコントロールできても、煩悩が完全になくなっていなければ、苦しみはなくなりません。(苦しみの世界=生き物の世界を輪廻転生してしまう。)
さらに、煩悩が完全になくなっても、この世に生きている間は苦しみは皆無にはなりません。
お釈迦様は煩悩を消されたので、死後に再び輪廻転生はしません。
しかし、お釈迦様は亡くなるまで、腰痛や病気の肉体的苦痛がありました。
一方で、お釈迦様は余計な雑念がないから、腰痛や病気に悩むことなく淡々と寿命を全うされたのです。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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法華経の考え

仏教といっても教えは千差万別。教えの目的ゴールすら違います。
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法華経でお釈迦様が説かれたことを申し上げるならば、
「今の時代の人々」という条件では、人々は苦しみに堪え忍び決して苦しみから逃げはならない。それが法華経の教えです。
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これを「罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)」といいます。
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仏様は妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十の中でご自身がどうやって仏になったのか成仏したのかを説いています。
『前世での罪を償ってその後に、こうやって仏となったのだ。
どのように罪を償ったかというと
人に笑われ、棒で襲われ、石を投げつけられ、ののしられ。それらをすべて堪え忍ぶ人生を歩んでから私は死んだのだ。
その結果として今私は仏と成った。
罪を償った後に成仏したのだ』
と仰せです。
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法華経の教えは苦しみを堪え忍ぶ生き方をしなさいという教えです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...
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考えるな、で考えなくなりますか?

別に考えたって、害のない考えだって沢山ありましょう。
もちろん人間は考えによって苦しみます。
厳密には「考え方」によって苦しむ。
考えた内容によって苦しむ。
沸き起こった考えに対して、何を考えるかによって苦しむ。
考え自体は悪いものではないのです。
第一時点において、考えというものは自然出でてきているだけです。
ただし、その直後の本人の扱い方次第で、考えによって苦しみが生まれるのです。
そこのところをよく見て、考えも上手に使えるようになってみてください。
悟りを得たければ、考え、思いが発生している根源をみつめ、考えや思いに自分の善し悪しが付着していないことを見抜いてください。

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有り難し
おきもち

考えないことはできないでしょう。

考えたり、思ったりする自分という存在は、いったいどんな存在で、思いや考えとは一体何なのかを突き止めることが、救いになります。
思ったり考えたりすることは、実際の生活の中では、毎日行われていることです。しかし、その思いは自分なのかと言うと、自分ではなく自然発生的に起きているだけの現象です。
考えについても、ただの考えであって、問題はないはずです。
事実と考え、思いの区別がしっかりできるようになると、楽に生きることができるでしょう。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

どうやら見当違いだったようですね。仏教には色々な教えがあって混乱します。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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