hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

とにかく、死にたい。

回答数回答 4
有り難し有り難し 38

とにかく死にたいのです。
精根尽き果てました。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

現代的な「出家」のすすめ

プロフィールからお悩みのことへの解決策を考えてみました。
ちょっとご家族に縛られ過ぎているのではないかと思います。
やさしくしてくれる人もいないのではないでしょうか。
まずは、何もしない日を、3日、いや2日でも持ってください。一日でもいいです。
死ぬ気があるのでしたら、うちでもお近くのお寺におたずねいただくでもいいです。
電話でも構いません。
その心を一度リセットするべきです。
家族というのはいくら家族であっても距離が近すぎると責務に負われて飲みこまれてしまうものです。
私でさえも、両親と24時間ずーっと一緒にいると参ってしまう事があります。
あなたに必要なのは心の中にしばらく家族も含めた他人様、人がいなくなることです。
誰と一緒に居ても心の中にその人の事が気にかかってずっと心の中で相手にする人がいれば気が滅入ってしまいます。愛し合った夫婦でさえも、上手な距離をたもたなければその人によって苦しまされてしまうことだってあるものです。
もう一度愛すべき家族との、新しい距離感、新しい距離感を構築してください。
それが現代の家族と関わりながらの出家の道です。
僧侶になるという事ではありません。
家に縛られなくなる、という事です。
出家の「家」とは家のルール、家の価値観、自分の中の人間ルール、人間の我を象徴した言葉です。
たとえひと時でもいいですから、早まった行動をする前に「家」から離れて冷静な自分を取り戻して頂けないでしょうか。そんなに家族のルールに縛られなくたっていいのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

気づくのが遅くなってすみません

精根尽き果てましたか。可哀想に。
衣で抱きしめてあげたい。

{{count}}
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

医療機関に相談を

死にたいという思いが長引く場合、「うつ」の可能性ががあります。
是非、心療内科やカウンセラーなどに相談してみてください。
「うつ」になると、実際は可能なことでも「できないに決まってる」「無理に決まってる」と思ってしまう場合があるようです。
忙しくても、病院に行けるはずです。
なんとかなります。
「できない」「無理」が思いこみかも知れないと、自分の感情から距離をおいて考えてみてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

介護や子育て、など一人で抱えていらっしゃるのですね。

一人ですべてこなそうとするととても辛いものがあると思います。旦那さまや親であっても毎日続くと、体力的にも辛くなります。様々な助けを借りて自分の自由な時間を少しでも作ってください。あなたには、すべてから解放される時間が必要です。

市役所などの、福祉関係のところに相談に行かれたらいいヒントがもらえるかもしれません。できるだけ人を頼ってください。楽をしてください。悪いことではありません。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ