罪の償い方
いまだ母の死(いなくなった事)が受け入れられず、これは母を大事にしなさすぎている私に対してのドッキリで、帰ったらまた前みたいに家に居てくれると期待しながら家に帰ったり、目を覚ましたら、また居てくれると、また戻って来てくれると信じて願っています。
でも、家に帰っても目を覚ましても、母の姿は無く、私が母の事を殺したんだからいるわけない、と思う自分もいます。
やりたいこともあって、死にたくないと思いながら、寂しさや苦しみの中死んでいった母の事を思うと、本当に申し訳なくて、毎日位牌とその横で笑う写真に泣きながら謝っています。
寝るときも布団の中で泣きながら謝っています。 「その笑顔も、オカンの人生も全部めちゃくちゃにしてごめんなさい。許してもらおうとは思ってないし、私が行くのは地獄だから、向こうでオカンには会えないけどゴメンね。こんな風に育ってごめんなさい。私が生まれてこないで、生まれてくるはずだった弟か妹が生まれてきてれば、もっと幸せで長生き出来たのに、オカンの事不幸にしてごめんなさい。生まれてきてごめんなさい」と謝っています。
私はアレルギー持ちで母がいたときは、促されて毎日薬を飲んでいましたが、今飲むのを止めています。私のせいで母が苦しんだのに、私が苦しまないのは平等じゃないと思ったからです。母は、私には少しでも体調悪いと思ったら病院行けと言う割に、自分では多分私に遠慮して病院に行くことをしませんでした。ここ最近、痒みと戦っていますが、母の苦しみに比べたら大したことないと自分に言い聞かせています。
私に出来る罪の償いは、謝り続けることと、薬を飲まず痒みと戦うこと、ご飯を作る事以外に何があるでしょうか?
やはり、母が言っていましたが、人を殺したら自分も死ねの教えに従うべきでしょうか?
生まれてくるはずだった弟か妹も、私のせいで死んでしまったのです。(小さいとき、夏にビニールプールに母を無理強いして入れたために、流産したようです。)
私はやはり生まれてくるべきではなかったと思っています。
母と二人暮らしだったのが、母を亡くして独り。苦しんでるのを気づいていたのに早く救急車を呼べばよかった、母を無視したり邪険に扱わなければよかった、その寂しさで母を早死にさせた、私が母の寿命を奪ったんだと毎日思っています。 母の命を縮めた罪は一生消えないと思います。
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償いとは
ケースバイケースですね、としか言いようがないんです。と、これじゃ答えになってない、とお叱りを受けそうですね。
一口に「親不孝」と言っても、いろいろですよ。産んで育ててもらっても、心から親に感謝する人も居れば、「なんで産んだんだよ。頼みもしないのに。」と不貞腐れ悪態をつく人も居ますよね。
「親不孝もの」さんは立派な方ですね。自分自身を「親不孝もの」と名乗るということは、「親孝行が大事だ。」という揺るぎない信念をお持ちだからだと思います。「親孝行が大事だ。」と思うからこそ、自分自身の過去の言動を振り返り、深く反省しているのだと思います。世の中には親不孝な人生を送っている人は相当数居ると思いますが、それらの中で反省も懺悔もしていない人もかなり居ます。本当に親不孝なことをしていても、「親不孝だ。」という自覚の無い人はかなりひどい「親不孝者」ですね。そういう親不孝者に比べれば、あなたなんかまだまだです。(別に競う必要はありませんが)
あなたの場合の償い方は次の2点です。
①、産んでくれたことに感謝して生きること
②、辛いこと、苦しいこともあったが、「良い人生だったなあ。」と感じる人生を生きること。
①②を実践して生きていけば、あなたは立派な「親孝行もの」ですよ。悔やむよりも、償っていきましょう。
親が先に死ぬのは当たり前
親が子供より先に死ぬのは当たり前です。
あなたは、親に依存するのをやめて、大人になりましょう。
償いたいというなら、自分を変えましょう。
いつまでも自分を変えようとしないのでは、償いにはならないでしょう。
自分の悲しみや後悔にばかり気をとられるのではなく、
他人のために何かをやってみましょう。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。母が亡くなってから、二ヶ月になりますが、苦しむ母を見殺しにしてしまった自分が許せません。体調の変化にもっと早く病院へ連れて行ってれば、今も一緒に過ごせていたはずと思うと。母の人生をめちゃくちゃにしました。私は生きる資格がないと思います。母に感謝する感情よりも、産まれてきた事への申し訳なさしかありません。感謝する事が許されるのは、ちゃんと親孝行出来た人が許される感情だと思います。私は何一つ親孝行も看病もしませんでした。そんな私が出来る償いは、一日でも早く地獄に落ちる事ではないでしょうか。