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動けない自分が嫌です。

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初めて質問させて頂きます。
現在高校3年生の者です。
今年の夏の初めから不登校だったのですが、10月に学校に復帰しまして、何とか二学期を終えました。

しかし焦っています。クラスは受験一色で自分一人が遅れている状況です。仕方ないと割り切る他ありませんが...中々辛いです。誰かと話すのにも気後れする日々です。

不登校の間は学業を放棄していたので、勉強の方はまるで駄目ですが、大学へ進学したいので動かなくてはなりません。

とにかく動けば変わる。例えば問題集を片っ端から解いていく、予備校に入る、など今からでも出来ることはいくらでもあります。
今まで辛くてもがむしゃらに足掻いてきました。なんとか道を進めてこれました。

努力すれば力はついていくのに、
それを分かっているのに動けないのです。どうしても...動けないのです。

言葉だけで行動を伴っていない自分が嫌になります。頭では分かっているのに行動に移せない自分が本当に苦痛です。

そもそも何処に足を踏み出せばよいのか、
どう動けばいいのか、
...正直に言うとそれもわからないです。
自分の何処を変えてゆけばよいのでしょうか...

拙い文章ですが、
どうかご回答よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仕方がないと割り切るしかないことを辛いと思うことはない

亀山純史と申します。
受験一色の中で、自分だけが取り残されているという思い、それを仕方がないと割り切るしかないことが辛いということ。これがあなたの行動を鈍らせている原因ではないでしょうか。

人生において、正解も不正解もありません。あるのは、ある人がどのような人生を歩んだか、という事実だけです。それを正解と見るのも、不正解と見るのも、その人の、あるいはその人を評価する人の価値観によるだけです。ですから、不登校においても、正解も不正解もありません。今は受験勉強に自分一人遅れている、ということで、不登校を不正解と感じているかもしれません。でも、将来、自分が不登校になったことが自分自身を逞しくするエネルギーになるかもしれません。不登校になった人にしかわからない苦しみを、将来のあなたの人生に生かせるかもしれません。そう考えれば、今、自分一人だけが取り残されているという思いも、そこにあるのは自分一人だけ取り残されているという事実だけで、それを仕方がないと割り切るしかないことを辛いと思うことはないのです。

どの人にとっても、志望する大学へ進学できるかどうかは、やってみないとわかりません。そして、第一志望の大学に進学できたから正解でもないし、浪人することになったとしても、あるいは専門学校への進学になったとしても、それらが直ちに不正解ではないのです。

最後に、私の好きな仏典の言葉を、さくらもちさんへの励ましの言葉として送ります。
「過去を追うな。未来を願うな。 過去はすでに捨てられた。そして未来はまだやってこない。 だから現在のことがらをそれがあるところにおいて観察し、 揺らぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践せよ。 ただ今日なすべきことを熱心になせ。(「中部経典」より)」

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

取り残されているなんてことはない

それは、友達と比べて、友達が理解している問題がわからないということでしょうか。
人と比べれば、誰でも大小数の違いはあっても、全く同じ知識というわけではありません。人と違って当たり前。自分のペースで学習していけばいいでしょう。わからないところがあったら、友達や先生に聞けばいいでしょう。タダそれだけ。シンプルに考えることが大切です。
「受験」という言葉に自分勝手な価値観をくっつけて、「これは大変だ何かをしなくては」
と焦っても意味がありません。他に何かをしようとするのではなく、あなたが今学ばなければならないことに集中し、学ぶ他ないでしょう。
受験一色という学校の雰囲気というのも、自分の捉え方次第で、どうとでもなるわけです。机、椅子、黒板、ノート、ペン、消しゴム、先生、友達全て特別な意味はくっついてないでしょう。そこに存在しているだけ。雰囲気を自分で作り上げないようにすることが大切です。
リラックスして、目の前のことをしっかりやることが、何より力になります。
他を見ない比べない、思いに負けない。それが大切です。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

男なら腹をくくれ

勝ち癖をつける。
わかる問題からやっつける。
自分を追い込む。
笑われるバカにされる自分をイメージする。
不登校から人生の成功者になる自分をイメージする。
原因には必ず結果があり
結果には必ず原因がある
と気持を奮い立たせる。
男なら腹をくくるのです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

亀山純史様

物事を好転出来るように考えるのも自分ですね。
未来は知り得ないし、過去は過ぎ去ったもの...
今出来る事から始めたいと思います。

けんしょう様

胸がすく強さです。自分もあなたのような人間になりたい。
ひとつひとつ、また始めてみます。つまらないものに負けないように。

邦元様

おっしゃる通り、自分の作った幻想のようなものに負けていました。
シンプルも

最後に皆様、年末年始のお忙しい中、ご回答ありがとうございました。

邦元様へのお礼で抜け落ちてる部分があったので。追記します。

シンプルも忘れないように取り組んでみます。

以上です。
失礼致しました。

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