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神様・仏様って本当にいるんですか?

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私の母は子供の頃に説法をよく聞かされたため、生きること自体が修行で、嫌なことも沢山あるが正しい行いをしていれば、神様・仏様は見ていてくれている。

きっと悪い人間にはバチが当たるから、日頃から清い人間であるよう、心がけなさい。
辛いことは神様・仏様が与えた試練だから我慢しない。

と、よく言われます。
このような場で言うのも大変申し訳ありませんが、私は無宗教で神様・仏様も全く信じていないため、そうは思わず、私が職場などで嫌な事があったときに少しでも愚痴を言うと、必ずその話が出るため、最近はそういう相談はしないようにしています。

よく神様・仏様は見ていると言いますが、結局は要領の良い人が得をし、要領の悪い人間が損をする世の中だと思っています。
実際に職場でも働かず大半を悪口ばかり言って過ごしている人間の方が、待遇や周りの評価なども良い状態(立ち回りが上手い)ですし、真面目にやっている人間は評価されず…いじめだってただ他人と少し違うだけでターゲットにされ、結局罪のない方が自ら命を絶ち、いじめていた人間達がのこのこと生きている。そんな世の中です。

理不尽な事ばかりなので、仮に神様・仏様は居たとして、絶対に見てないでしょって思ってしまっているのが現状です。

大変失礼な質問かも知れませんが、お坊さんから見て神様・仏様とは一体何でしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

前提により問うのでなく、前提から問う

ご相談拝読しました。
「私は無宗教で神様・仏様も全く信じていない」と言う人ほど実はある意味で「神仏」の存在を認めている、あるいは期待しているという面があるかもしれませんね。
そしてその時の「神仏」とは往々にして「自分の思う神仏」であって、その前提を疑わない。そしてその自分の握った前提と合わないこの現実の方を「神仏のせい」とか「神も仏もない」と嘆いたりする。
まずは「自分の思う神仏」理解はそのままにその前提にのっかって「神仏って本当にいるの?」と問うのでなく、「神仏って何なのだろう?」と自分の前提を疑ってみるところから真摯な問いが始まります。

是非過去の類似質問もご参考に。

「仏様っている?」
http://hasunoha.jp/questions/17372

「犯罪について」
https://hasunoha.jp/questions/23238

「一度神仏を否定しました。こんな私に・・・」
https://hasunoha.jp/questions/27198

「神や仏の存在とは?」
https://hasunoha.jp/questions/26462

世の中には色々な宗教がありますから、あなたのおっしゃるような「常に見ていてくれる神」の存在を認め、「あらゆる物事には神の意思が働いている」と考える宗教もあるでしょう。その「神の意志」が吉凶禍福であり、それを恐れる心が人間にはある。

でもそれは実は逆で、吉凶禍福をおそれる人間の心こそが神を想定させ、それによって人は迷っているのだと「事実と言う真実」に目覚めたのがゴータマ・シッダールタという一人の「人間」であり、人間が目覚めて仏と成りました。

「事実」とは何かというと「人間が考えたものではない」ということです。考える以前からそうなっているものです。そ子に目覚めたのが仏様です。だから仏教とは仏様が「考えた(作った)教え」ではありません。すでにあるものに目覚めたものです。

たとえばリンゴの木からリンゴが落ちるのを見て目には見えない重力が「発見」されたように、仏様はこの生きる現実にある苦しみを見つめてその苦しみの原因を「発見」し、目覚めた。

あなたの疑問の原因が誤った神仏観ならばそこに目覚めて対処しなさいと教えてくれるのも仏様です。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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神仏は深読みしてこそ、ためになる

そう、そこが大切。
↓の続編として書きますが必読ではありません。単独で読んでも大丈夫です。
https://hasunoha.jp/questions/4497

仏教(と言うかインド哲学)には「因果応報」という世界観があります。あらゆる結果には必ず原因がある。善いことをすると善い結果があり、悪いことをすると悪い結果がある。逆に悪い原因を無くせば悪い結果がなくなるし、善い原因をなくせば善い結果もなくなってしまう。そういう考え方です。

この因果関係は拡散し、蓄積します。ココがポイント。
例えば私が謂わゆる『バカッター』だったとします。コンビニでアイスの冷凍庫の上に寝そべった画像をアップ!それで解雇されるのは私ですし、経済的損失が出るのはお店です。でも全然関係ない日本列島の反対側の人も不快になり、記憶に残りますね。そうして悪行の『影響力が拡散』します。

私も最初は誰も気に留めないような些細なツイートだったのでしょう。でも、悪い方向の行為を繰り返しているうちに少しづつ面白さの感覚が常識から外れていき、善悪の価値観が壊れていき、その行き着いた先が冷凍庫での悪行。。。そのように悪行の『習慣が蓄積』します。

その影響力と習慣のことを「業」と言います。

この業の考え方を①子供向けに②学校等の教育を受けておらず、理屈・論理アレルギーの人向け(江戸時代や戦前までは結構いらっしゃったのです)に、平たく言ったのが「神仏が見ている」という表現です。
本当はライフステージに応じて理解と表現を深めていかないといけないし、お坊さんもいつまでも学校教育が無かった時代の布教方法に胡座かいてたらダメなんですよね…

>そんな世の中です。

これも社会的な業がそんな方向に向いてしまっているということです。今、世界的に高齢化とか移民政策が問題になっていますね。アレは戦争で人口ピラミッドが崩壊した影響と蓄積です。それと同じ。後々まで響くからみんな『後世に恥じない生き方』をしないといけない。それが仏教や業の『教え』なのですが、無宗教化とカルトの流行によって「宗教=信じ込むこと」と思われているのは、21世紀前半のうちに解決すべき課題です。

ちなみに「神=無償の愛」というのはキリスト教みたいな一神教の感覚です。多神教の神々は普通に拗ねたり荒ぶったりします。しかも人間臭い、クッソどうでもイイ動機で。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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仏(ブッダ=仏陀)は実在した人物

2600年ほど前に仏教を開いたゴータマ・シッダールタという人物が、地球上に実在した仏様(ブッダ)です。
ブッダとは、真理に目覚めた者という意味です。
つまり、仏(ブッダ)とは、ゴータマさんのニックネームだったのです。
ゴータマさんは、釈迦族の王家出身なので、「お釈迦様」とか「釈尊」とも呼ばれます。
ゴータマさん(お釈迦様)は、80歳で亡くなりましたが、お釈迦様が説いた教え(法)は、現在まで生き続けています。

仏教の教えは、煩悩が悩み苦しみの原因だと考えます。
悪いことをすると、自分の煩悩を増やすトレーニングになるので、悩み苦しみやすい性格、嫌な気分になりやすい性格になっていくので、不幸になります。
逆に、自分の煩悩を弱めるトレーニング(善い行い、修行)をすれば、煩悩が減るから、嫌な気分になりにくい性格になるので、幸せになります。

悪いことをすると、他人は見てなくても、原因と結果の法則上、自分で自分を不幸になりやすい人格に変えてしまいます。
ある意味「神仏が見ている」とも言えますね。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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人の心の中には誰しも仏性があります。仏様の種、あるいは良心といってもいいでしょう。
誰も見ていないからといって悪いことをしても、自分自身の心の中の仏性が見ているのです。そして、結局は自分の心の中の仏性によって自分自身が苦しむことになるのです。
また、人知れず世の為人の為に苦労している時、誰も見ていないようでも自分自身の中の仏性が見ているのです。その仏性によって、自らに楽しみを感じることができるのです。更に、その行為は仏性を育てることにもなります。仏性が育っていくと、仏様(人格の完成者)になるのです。
ですから、たとえあなたが無宗教であっても、仏教的には、あなたの中にも仏性があり、あなたは未来の仏様なのです。
あなたが存在するなら、仏様は存在するということです。
もし人知れず苦労している人を見かけたら、いつもありがとうございます、と一言声をかけてあげてくださいね。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ