夜にお線香焚いてもいいですか?
いつも仏教のこと教えてくださって、ありがとうございます。
供養の作法に関して気になることがあってお坊様にお訊きしたいと思いました。もしよかったら、お暇な時に教えてください。
私は帰省するとまず仏壇の前でお線香をあげて手を合わせていました。お線香は仏教式の供養だと思って、実家に着いたのが遅かった時は夜でもお線香をあげていたのですが、夜にお線香を焚くと供養して欲しがっている霊が寄って来るからやめたほうがいいと聞いたことがあるんです。出所のよくわからないお話だし迷信ではないかと思うのだけど、仏教的に夜にお線香はよくない作法なのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それは全く
問題ありませんよ(;^ω^)
お通夜って夜ですよね。夜にお線香を焚いても問題ありません。
さて、お香は仏教において重要なアイテムであり作法です。勉強不足で真偽はわかりませんが釈尊在世時からあったと聞いております。
現代は使用しやすいように線香や抹香となっていますが、それらお焼香の作法は宗派により様々です。
しかし基本的には朝だろうが昼だろうが夜だろうがお勤め(読経)前にはお香を焚くものだと思います。
その意義は、その「場」やこの「身」を香りで浄めるというものです。浄めるというのは霊(など邪悪なもの)がついてるから取り払うということではなく、「煩悩の身を自覚する」ということになるでしょう。
真宗大谷派では作法として焼香のあとに合掌するということになっています。合掌とは仏の掌と私の掌を合わせ、「仏にまみえる(出会う)」ということですが、とてもこのわたしの煩悩にまみれた身のままでは仏にまみえるのが恐れ多いからまずお香で場と身を浄めるという願いが込められていると習いました。
ですからよくドラマなどでは焼香の際にお香をひたいにおしいただき願いを込めているような映像が流されますが、お香はおまじないや(私の)お願い事ではなく、仏にまみえる前の作法としてこの身を自覚するという意義が込められているものであり、真宗大谷派ではお香をおしいただくことはしません。
まあその辺は宗派により様々でありますけどね。
ご家庭でも読経とはいかずともお仏壇で手を合わせる時にはまずお香を焚くことを心がけるとよりその意義が深まるかもしれませんね。(もちろん火の扱いには注意です)
L.Mさんはたくさん仏教の本を読んでいる最中かと思いますが「霊」というワードは出てきましたか?
おそらくほとんど出てこない(=仏教では「霊」ということはあまり言わない)のではないでしょうか。
これから迷信を仏教の智慧にどんどん破っていただきましょう。
またご質問ください。
大慈日誌(05)
もう充分に回答が付いており本来なら私の出る幕ではないが、自衛隊の日報に触発された私は日報風に書いてみることとする。
お香とは古来、実用品である。今日で言えばルームフレグランスや香水、バスオイルの類と言える。
かつて西遊記の三蔵法師のモデルになった僧侶は、灼熱のシルクロードをシャワーも歯磨きも無しに踏破した。その並々ならぬ嗅覚的オーラを、チョウチンアンコウの提灯のように目の前に提げたお香で浄化したのである。日本のお通夜で「線香を夜通し絶やすな」というのも元々はそういうことだ。故人の最後の印象が「臭かった」ではあまりにも哀しい。このような実用品であるがゆえに贈答品に最適とされた。
お香を贈答するのは古今東西に共通であるようだ。西洋でもイエス=キリストの誕生祝に「東方の三博士」から贈られた最高級ギフト三点セットのうち、一点が乳香というお香だそうだ。これが黄金と共に贈られているのだから面白い。今日の日本人の感覚では、誕生祝に線香など贈ろうものなら大顰蹙であろう。「抹香臭い」と僧侶の辛気臭さの象徴のように言われる世の中だ。しかしそれはここ半世紀の日本人のみが持ち合わせる特異な感覚であると思えば、常識とは何であろうかとイエスに愚痴まじりの質問を投稿したくなる。
この贈答という行いを、仏様やご先祖様に対しても「そこにいらっしゃるかのように」行うのが、供養のやり方の1つである。当然ピンキリではあるが、イエスに捧げるに値する逸品であることはよくよく心得たい。それによって霊が集まってくるということは諸師のご指摘のように迷信だ。
だが仮に霊が集まって来たとして、それは贈答品としてお香がそれだけ魅力的だったということであろう。むしろドヤ顔で誇るべきことではあるまいか。それにお香はシルクロードを踏破した並々ならぬ嗅覚的オーラを浄化するほどの力を持つ。集まった霊も芳しく浄化されるに違いない。しかも仏壇の仏様のお相伴にあずかる名誉ではないか。それで霊に祟られる筋合いはない。感謝しろ。そんな常識の無い霊は出禁だ。
このような実用品を我が家では子供のオムツ交換の残り香への事後的処置に用いる。その効果は、「素晴らしい」の一言だ。焚いて十数秒で悪臭ただよう部屋はリラックス空間へと浄化された。もちろん夜泣きの激しかった頃はよく深夜に焚いたものだ。それが原因と特定された心霊体験は、今のところ無い。
香十徳
お香を焚くと気持ちが良いです。
私も気分転換の時などに香を焚くことがあります。
お線香を買ってくると「香十徳」と書かれたしおりが入っています。
こうあります。
感格鬼神
清淨心身
能除汚穢
能覺睡眠
静中成友
塵裏偸閑
多而不厭
寡而為足
久蔵不朽
常用無障
北宋の詩人、黄庭堅の作詩だそうです。
梅薫堂さんのホームページに以下のように説明がありました。
1. 感覚を研ぎ澄まし
2. 心身を清らかにし
3. よく穢れを取り除き
4. よく眠りを覚まし
5. 静けさの中に安らぎをもたらし
6. 忙しい時にも心を和ませる
7. 多くても邪魔にならず
8. 少なくても十分に足りる
9. 年月を経ても朽ちず
10. 常に用いても障りはない
4番目に「よく眠りを覚まし」とありますね(笑)目が覚めちゃうみたいですし、他のお坊様の回答にもある通り、火災の心配もあるので寝るときはやめた方がよさそうですね。
10番目に「常に用いても障りはない」とあります。いつ焚いても良いと思います。
「食香(じきこう)」という言葉があります。亡くなった方は、香りを召し上がるとも言われます。ですから、昼でも夜でも、お香を焚けば、亡くなった方がお香の香りを召し上がりにいらっしゃるかもしれません。でも香をたいたあなたにお礼をする事があってもたたる事はないでしょう。ですから安心してお香を焚いて下さい。
焚きまくりましょう(笑)
LMさん、こんにちは。
他のハスノハ先達さんが、お答えされたように、線香は焚いた方がいいのですよ。仏壇だけでなく、いろんなところでお香を楽しんでください。
そのためには、安い線香は匂いが悪いです。値段は少しかかりますが、良いお線香、もっと良いお線香を買っておきましょう。日ごろは良いお線香で香りを楽しみ、ちょっとした時はもっと良いお線香で香りを楽しむ。
部屋が気持ち良い香りに包まれますよ。私もしています。合掌
香を焚くのは昔インドでは上の立場の人に会うときは、香で身の匂いを消して会うことが礼儀となっていたことも関係しています。
今の日本のように毎日お風呂に入って体を洗っていない文化ですから、そのような習慣が生まれたのでしょうね。
香にも焚く香もあれば、手や服に擦り付ける塗香というものもありますしね。
ところで、夜にお勤めする時はもちろん香を焚きますが、何分、火は危険なものです。仏壇のろうそくの火が原因で火事になることもあります。
線香くらいなら問題無いとは思いますが、それでも火事になる危険はありますから、お勤めする間で燃え尽きる長さの線香を使うのがいいと思います。もし長い線香を使ってしまった場合は、火が付いている手前で折って、炉の中に横向きでいいので置いてくださいね。
もしかしたら、あなたの地域では過去に仏壇のろうそくか線香が原因で火事になった家があって、それが迷信として話に尾びれがついて伝わっているのかもしれないですね。
質問者からのお礼
吉武文法先生、
質問してよかったです。ほぼ迷信だと思っていたけれど実はよくわからなくて、きちんとしたお坊様に「大丈夫」とお墨付きを頂いて安心したかったんです。お墨付きだけでなく説明もしてくださって、ありがとうございます。それに合掌の意味も学べたし(前から何だろうと思っていました)、文法先生は説明が詳しくて学校の先生みたいだと思います。
仏教を勉強し始めた頃、神がいない、どうなっているんだろう?と混乱したのを覚えています。私は小さい頃神が世界を創ったという聖書物語をわくわくして読んでいたけれど、仏教では世界が存在しているという事実をありのままに見つめているのですね。
釈尊の教えは釈尊が悟った真実で、神ではなくそこには事実がある - ああとうとう言ってしまった、自分が信じていたものからどんどん離れていくみたいで怖くなります。でも色々なことがわかっていく度に感動します。わかり易く教えてくださってありがとうございます。
三宅聖章先生、
お香の歴史的背景や火の取り扱いの助言をありがとうございます。私の頭は一度にたくさん入らないのが難点だけど、本を読んだりここで教えていただいたりして少しずつ学んでいます。
迷信って、もとになる何かがあったのかもしれないけれど変なお話になって伝わるものですね。成仏していない知らない人の霊がお線香の煙で上(天国、浄土?)へ上がろうとしてすがってくるというお話でした。私は魂の存在を肯定していますが、それでも今まで学んだ仏教の考えでいうと、霊がさまよっていると思って怖がってその状態にしてしまうのも生きている人間ということになるのではないかと思います。
仏教を勉強していると、一つ一つ真実に光を照らしていくような感じがします。
光禪先生、
亡くなった人は香りを召し上がるなんて、趣がありますね。お香のすごく詳しいご説明、ありがとうございます。さすがお坊様だと思います。
私は今までお線香をあげると父の供養になると思って焚いていたのですが、実は仏様を目の前にして身や場を清める為だったのですね。それなら私のほうが煙を全身に浴びなくてはいけません。でも、父の仏壇に向かうと私は急に別人みたいな優しい気持ちになれるんです。普段の生活に戻ると共感のない人間に戻ってしまうけど、父のことを思い出すと普段何があっても絶対に出てこない涙が出て来るし、心が99パーセント悪だとしても残り1パーセントの良心が勝つ瞬間です。信仰で行動を抑えていても本性が悪くてどうにもならないのに、仏様になった父と向き合うと良心が甦るのだから仏様最強ですね。
染川智勇先生、こんばんは。お香をお勧めしてくださってありがとうございます。これだけ多くのお坊様に太鼓判を押されたのだから、もう大丈夫です(迷信だと思うと言いながら、やっぱり少し怖いかもという気持ちがありました)。
実家には色々な人から送られてきたお線香があって実は私が買ったものは一箱もないのですが、どれもみな東洋的な落ち着いた良い香りがします。人がくれたものを値踏みするのはよくないけれど、みなさんそれなりに心を込めて良い物を送ってくれたんだと思います。父の生前の行いの結果だと思います。私は仏様になった父と向き合う時だけ自分の中にほんのわずかな良心と罪悪感を感じることができるので、これからも、実家に帰れない時でも手を合わせていきます。いつも明るく励ましてくださってありがとうございます!合掌
われらが大慈先生、
お坊様のご回答は一人でもありがたいし、たくさんいただいてもういらないなんていうことはありません。力強い後押しと面白い日記をありがとうございます。貴重なお香を焚いているのに祟る霊には出禁、に吹き出しました。
大慈先生は例えが独特で面白いと思います。成仏の質問をして初めて説明していただいてグーグル地図の縮小に例えられた時、何だろうと思って頭の中がぐるぐる回ったのを覚えています。やっと今は何となく想像できるようになりました。
幼子イエスのへの贈り物、乳香はおむつの臭い消しだったのかななんて今ちょっと考えてしまいました。聖書物語にはオリーブ油とかぶどう酒とかよく登場します。頭に塗るとか傷口に塗るとか....それで思い出したけど、私は善きサマリア人のお話が好きです(追いはぎに遭って倒れていた旅人が自分の国の人には無視されて敵の国の人に助けられるお話)。
お香の話からキリスト教のお話になってしまってすみません。神がいないなんて背骨を抜かれたみたいな気になって確かにショックだったけど、仏教を勉強し始めてよかったです。キリスト教では基本的に亡くなった人は神のようには拝まれないのだけど、仏様になった父と出会い直しなんて素晴らしい考えだと思います。私は普段共感とか罪悪感がないのに、あるかのように行動させてきたのが今までの信仰(こうしましょうとか、これはいけないとかいう教え)でした。でも根本的に悪い心は健在です。仏は元人間だから神ほど偉大ではないとある人が私に言いましたが、偉大さは置いておいて、私が良心を取り戻すことができるのは仏になったお父さんと向き合う時だということは事実です。