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法然上人と 日蓮聖人

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有り難し有り難し 57

日蓮聖人は 法華経は 五逆謗法も成仏できると 説かれている と 

法然上人は 法華経は 難解だから 自分は 三学の器ではない と 善導大師の念仏に救いを 見出だされた

その法然上人のお気持ちは いろんな育ちや 生まれ、環境、心情、人間関係、時代、経済、
複雑に絡み合っている中での 私達が 罪をおかさないことを また 罪を犯しても 内省し更生できることを 教えとしてくれたのだと思います。

日蓮聖人も また 同じようなことを色読されご自分の南無妙法蓮華経を確立されたのだと思います。

念仏か 題目か で 悩みます。

日蓮聖人は どうして あんなに念仏を破伏したのか と 残念です。

法華経の 一乗のお心で見れば 全てが 一乗のお釈迦様の教えにみえるんじゃないか とも思います。

日蓮聖人の曼荼羅を破って捨ててしまったことから、五逆謗法になるのではないか 罪障消滅したい と 思い 日蓮聖人の題目と 法然上人の念仏で 悩みました。

相反するようですが どうしても ひとつにしぼりきれずに ふたつを考えてしまいます。

どうしたらいいでしょうか

悩んだまま 頑張らなくてはいけないのでしょうか


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

朝題目に夕念仏

「朝題目に夕念仏」とは朝は法華経を中心に、夕は阿弥陀経を中心に読む天台宗のお勤めから転じて、「定まりの無い」とか「節操のない」という意味の言葉があったりもしますが…

大事な事は「念仏か 題目か」ではなく「あなたが救われるか 救われないか」です。

お念仏があなたの救いとなり、お念仏申すのにお題目を捨て去ってしまうことが弊害となるならばお題目をしながらお念仏申せばよいでしょう。その逆も然りです。

私がどちらかを選ぶというよりも、お念仏やお題目を申し、その教えをたずねる生活の中でどちらからかあなたが選ばれるということがあるのかもしれません。

今は急いで決め過ぎず、両方してもかまいませんし、悩んで苦しむくらいなら両方手放すのも道です。

釈尊はあなたを救いたいと思って法を説きました。頑張り過ぎず力を抜いてください。

今は「朝題目に夕念仏」でもいいじゃあありませんか。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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他宗派の事は詳しくないのですが、私が思うに日蓮聖人は念仏を否定したのでは無く、念仏を唱えない者は救われないという偏った思想を否定したのだと思います。
また、法然上人も法華経を捨てたわけではありません。ただ当時、読み書きもできない多くの人々、戦や飢饉や病で家族を亡くし悲しむ人々に対して、法華経を説く事よりも念仏を唱える中で生活する事の方が人々の為になると考えたからだと思います。
また、五逆罪の者も救われる事は法然上人がオススメした観無量寿経にも書いています。
お二方が目指したのは国の平安や人々の安心だったのでしょう。
南無阿弥陀仏
南無妙法蓮華経

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。

題目か 念仏か ではなく お釈迦様の教えを学ぶことに 感謝します。

日本の歴史をみると 仏教国だなぁ と思います。キリスト教も ザビエルさんは 日本の大日如来の信仰を 神で 表現しようと されたと 本で 読んだことがあります。

神道は 教えはないけど 中身は 道徳だと思います。

お釈迦様の教えの 五戒を守り 過去の言動による罪障に くじけず がんばって 誠意のある生活をするように 努力し 他人を どんな罪障があっても 尊重でき 親切にできる自分になりたいです。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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