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仕事とは

私は8年程販売職をしています。
最初は契約社員として好きな美容の仕事をし、給料面を考えて昇格試験を受け、3年前から家庭用品で働くようになりました。昨年からリーダー職を任されています。

接客で人の笑顔を見るのは楽しいし、やりがいもあるのですが
このままでいいのかなという気持ちが常に漠然とあります。
接客以外の仕事についてみたい。
でもはっきり何がやりたいのか見えていない。このままやりたいことが見つからないまま終わるのかと思うとゾッとします。
仕事とは、本来どのような心で臨むものでしょうか。今置かれている場所で、もっと努力した方が良いのでしょうか。

学校・会社・働く
有り難し 99
回答 5

質問投稿日: 2016年1月7日 20:01

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

大慈

「治生産業もとより布施に非ざること無し」(『修証義』第4章)

仕事とは本来、布施です。布施とは何か?「相手に寄り添うこと」です。ちょっと分かりづらいですね。はるか昔の仕事を想像してみましょう。人間がムラを作り始めた時代です。さぁ、どうやって食っていきます?どうやって家を作ります?どうやって服を作ります?

テレビのサバイバル企画みたいにポーンと放り出され、1日のうちに歩き回って、魚とって、家っぽいもの作れますか?まぁ無理ではないかもしれませんが、それで出来ることはたかが知れてますよね。単純に焼いただけの魚食って、天然の穴っぽい所に葉っぱや枝で風雨を凌いでる(?)感じにして…たかが知れてます。

じゃあどうするか?「とりあえず俺魚とってくるぜ!」「じゃあ俺、家作っとくわ。」「うーん、じゃあ俺は編み物する道具を作ってみるかな」そうやって分業し、専門化し、それぞれにそれぞれのノウハウを積むことで効率化してムラ全体を発展させたのが『仕事』です。

ここで大切なのが必ず「需要ありきの職探し」なのですよ。「自分が何をしたいか」ではないのです。そういう意味で冒頭のお経の一節を引用しました。本来の仕事は「私の希望」ではなく「みんなの必要性」から生まれました。
この辺が現代の教育の矛盾ではないかと思います。小学校から高校まで一貫して自分の夢を描かせるばかりで、需要なんかこれっぽっちも教えません。それで成功した時代が有るのかと…だから現実と教育とのギャップに打ちのめされる人が後を絶たない。それじゃ幸せな社会に繋がらんのです。

起業して成功した人たちは皆、自分がしたいことをしたというより、明確なビジネスチャンスを見出して起業していますよ。つまり不特定多数ながら需要を察知し、態度は様々ながら「相手に寄り添う」ことをしているわけです。そこが失敗する人と違う所。

寄り添うとは自分から相手の方へ寄って行かせてもらうことです。まずはれん様の周囲をよくよく観察しましょう。顧客だけでなく、ノウハウや扱っている商品、関連業者、ありとあらゆる方向を。その上でやるべき事が見えたなら、きっと転職しても相乗効果が得られるでしょう。転職しない覚悟ができたならそれはそれで万々歳です。

自分ばかりを向いていれば、不安になって当たり前です。自分の中からは判断材料など生まれませんから。それで前向きになれるならただの根拠の無い楽天家です。自分の外に判断基準を置きましょう。

2年9ヶ月前

その中で他の人も食べていけるスキルを教えてあげる

まずは自分のスキル、売り上げの安定です。
ある程度軌道にのったら今度はその技術を他の人にも伝授し他の人も食べていけるようになるまでしてあげることです。
あるお保険屋さんは保険の売り込み女王様でした。
お葬儀の際にそれは沢山沢山弔問に参られました。
来ている人は義理とか何とかではなく本当にその人に感謝していたのです。
何故なら、食べていける方法をその人は多くの人に教えてあげた方だったからです。
実際に参列に来ていた方々は、その人から保険の売り方を教わった方ばかりでした。
自分を利益(りやく)し、顧客を満足させて利益し、そして教え子を利益する。
そうすると大きな乗り物になるのです。
自分も幸せ、お客さんも幸せ、教わる人も幸せ、その家族も食べさせてもらえて幸せ。
仕事においてこんなに素晴らしい事はありません。
何をするかが大事なのではなく、その仕事に於いて誰を幸せにして差し上げられるかが大切なのではないでしょうか。

2年9ヶ月前
回答僧

立正寺

常在

給仕之事

給仕之事
これを仕事といいます。
お給仕は、お仕えし給うの意味。
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即ち仙人に随って所須を供給し、
果を採り、水を汲み、薪を拾い、
食を設け、乃至身を以て状座と作せしに、
身心倦きことなかりき。時に奉事すること
千歳を経て、法の為の故に精勤し
給侍して、乏しき所なからしめき
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法華経提婆達多品という教えにあるように、身を粉にして会社に尽くすことであり、そのことに何ら不満を持たないということが「仕事」だと説かれています。
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目の前の仕事に集中し、会社が期待する以上の仕事をする。その努力があなたの実力と自信を引き上げることは間違いありません。
100回叩いて壊れる壁を前に99回でやめてしまうのか。
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やれる!限界を超えろ!
能力以上の力を絞り出す努力をした者にしか見えない境地がある。

2年9ヶ月前
回答僧

願誉浄史

能力に応じた仕事

仕事は、自分の能力に余る仕事だとお客(雇い主も自分の労働力を買ってくれるお客)に迷惑がかかます。
ですから、できる仕事をして、それで暮らせているのなら、仕事として合格ではないでしょうか?
竜の尻尾になるより蛇の頭になれ、という考え方もあります。
ハリウッドでエキストラより、日本の地方番組で主役で出続ける方が、仕事としては良い(その舞台で貢献できている)のです。

とはいえ、色んな可能性を試してみたい気持ちもわかります。
具体的なプロセス(何歳までにかなえられないなら諦めるとかまで)をイメージして挑戦してみるのもよいですね。
本やネットで、色んな人の仕事を調べてみましょう。
考えたこともない仕事や資格が世の中にはありますし。
あとは、仕事とは別に、趣味的なもので技術を磨くとかもありますね。
美顔、顔ヨガのインストラクターなんてできれば、町の公民館とかママさんサークルの講師に呼ばれたりするかも。

2年9ヶ月前
回答僧

円通寺

邦元

勤め始めて8年とのこと、私もそうですが、勤めて仕事に慣れ始めると、このままでいいのかな、なんて考える時期が来るようです。
今のお仕事にやりがいも楽しみも見出せているなら、それも良いと思います。

他の仕事には他の仕事の良さがあるかもしれませんが、仕事を趣味のようにして生活するより、仕事は生活のためにする(楽しみも感じつつ^_^)
趣味は他の休日などにする。といったように生活したらどうでしょう。楽しみは仕事以外でも作るといいかもしれませんね。

2年9ヶ月前

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