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妄想と不安から克服するためには。

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最近、すぐに不安になります。不安のタネが原因というよりかは、そのタネからいろいろなネガティヴな妄想をしてしまい、不安におちいることが度々あります。
いっそうのこと、不安のタネを忘れたいのですが、なかなかそうもいきません。
この場合、どうすればよいのでしょうか。ご意見をお聞かせください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

セカンド・インパクトを無くす

エヴァンゲリオンというアニメに「セカンド・インパクト」という言葉が出てきます。
それが引き起こされる事によって大きな影響が及ぼされる。
人間誰にとっての「ファースト・インパクト」はいつでも向っている事、出会っている事、思い浮かばれたことです。
どっかーん!ちゅどーん。ゴゴゴゴゴ。
ただ、それが起こった。
その通りにそうなった。
例・ベッキー&ゲスの極み
それ自体には何の罪もないのです。
「ばか!」「なにやってんだ!」「え!お弁当売り切れ!?」「え?(DVD)また、借りられている?」「その半額のお惣菜、僕が買おうと思ったのにィ!」
第一次の出来事。
それは人類共通の避けがたい真実。
今もモノに目が映る音が聞こえる。感覚が生じる。
これが人間の永遠のファーストインパクトです。
そこには何の罪も良し悪しもついていません。
無垢清浄なのです。
ただ、それがそうあっただけ。
ここに住していれば我々は安楽なのです。
ところが人間は、アダムの知恵のリンゴをかじり善悪が生まれた。
この自分を「ワタクシ」だと認めることにより自己中心的な餓鬼ビジョンが生まれた。
「よくもこの僕に向かってバカだなんて…」「あんないい方しなくたって…」「せっかく楽しみにしてたカレーパン…」「だれが一体延長しているんだ!」「せっかくの半額が…!」
そして、彼ら(わたしたち)は、ともに天界、楽園、浄土を追放されてしまったのです。
それは人間の知恵の眼で物事・世界を観ているからです。
よいわるい、好き嫌いの評価、ジャッジを脳内で白黒つけてどちらかに住しようとするからです。
その結果「ベッキー=ゲスの極み」と揶揄される。それが人間世界のセカンド・3rd・4thインパクト。
元々は、タネである出来事や思いがポンと生まれた。
それは種というよりファイルなだけ。何も全部開かずにそっとしておけばいいのです。
そのままにしておけば、あなたは楽園に住するままになる。
セカンドインパクト(二次災害)が起こらずに、そのままで問題が無くなる。
思いなんて、考えたくなくてもポンポン出てきてしまうものなんです。
それを厭う心自体がすでにセカンド・インパクトを引き起こしているのです。
これを読んで、何言ってんだこの坊主と思う人もいる。
それがその人の心の中のセカンド・インパクトなのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

そのタネ自体は問題ない。

あなたはよくご自分を観察されていますね。
物事に触れると、その触れたもののみで生活しているはずです。(タネ)
しかし、その後思いを付け足し、不安になります。(妄想)
タネだけで生活できれば問題はないはず。

車を運転していると、上り下り2車線ずつ4車線の道路をお年寄りが渡っていることがありました。横断歩道までの距離があったためだと思いますが、ゆっくりとわたっていました。
私は車のブレーキを踏み車を停止させお年寄りを渡らせました。

この時の事実(タネ)はただお年寄りが渡っているだけです。何の問題もありません。考えを加えれば様々な考えが出てくるでしょうが、その状況を認識した時には、その通りそのまんまです。

思いの付けたし(妄想)はその後、「なんでこんなところを渡っているのだ」「あぶない!じゃまだ!」「くそ〇〇い!」などと思うことです。
その付け足しの方にとらわれないことです。その前の状況のまま生活することが、不安を抱えて生活することから逃れることになります。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

決着をつける

気になることはひとつひとつ決着をつける。
出掛けに玄関の鍵を掛けたか不安になったら確認に戻る。そんな簡単に決着がつくものもあれば、考えても考えても決着が付かない人間関係などのような不安もあります。
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しかし、徹底的に考え抜くことではじめて「考えても仕方がない、神仏にお任せ、なる様にしかならない」
と覚悟を決めることができるのであってその時にそれまでの不安から解放されるのです。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました。

考えても考えても決着が着かない不安は、確かに考えても仕方ありませんね。

神仏にお任せする

失礼しました!途中で投稿ボタンを押してしまいました。

先ほどの続きですが、「神仏にお任せする」という考えに、なるほど、確かにその通りだと思いました。このことをしっかり頭に入れて高度しようと思います。

本当にありがとうございました。

邦元様へ
回答ありがとうございます。
付け足しに方にとらわれないようにすることは、私にとっては骨が折れそうなことですが(汗)、これに成功すると、強くなれそうですね!
頑張ってみます!

丹下様へ
ご回答ありがとうございます。まさかお坊さんへの質問サイトでエヴァの話が出てくるとは思いませんでした(笑)好きなアニメなのでビックリしました(笑)面白いですね。
不安=セカンドインパクトという考え方は、確かに!と思いました。
ファイルは別に開かなくてもいいんですね。たまに開きたくなる時がありますが、そっとしておくことも必要だとわかりました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ