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ヒントを頂けますでしょうか2

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有り難し有り難し 27

ヒントを頂けますでしょうか1の続きです。

過去に、躁鬱病と心療内科や精神科にも通って薬を飲んでいた時期もありました。今でもそれはかわりません。でも、心の中で、病気とか云々とかの話じゃなく、自分自身でこれから生きていく何かを技法としてあるような気がしてたまらないのです。カウンセリングに行き、カウンセラーの先生と話をしている時、人と話している時、全てが滑稽に感じ、何を自分がしているのか理解できず、人と話す事すら、嫌になりつつあり、藁にすがる思いで、ネットを開き、とりあえず検索するものの、感じる事は同じ。正直、ここに書こうと思うまでも時間がかなりかかりましたが、「とりあえず書こう」とただ決心し今に至ります。

人を信じる勇気、周りの外的要素に振り回されない強さ、とは何かを知りたいです。
そもそも、人は信じるものがないと生きていけないものなのでしょうか。自分を信じて生きれば大丈夫。自分に正直に生きなさい。信じるものは救われる。これらは一体なんでしょうか。信じる事とはなんでしょうか。本当の優しさとはいったいなんでしょうか。嫌なものは嫌だ、できないものは出来ない、そういう事は自分勝手と言われましたが自分勝手な事なのでしょうか。(もちろん、状況にもよりますが、出来るものはするし、出来ないものはしない。できないのに出来るということが無責任に聞こえてしょうがない)両親は、いつも言います。「皆は無理してやってきているのだから、お前もやって当たり前。出来ない、嫌だという事はどんなに自分勝手な事だとなんでわからないんだ」と。
私は、無理して相手にやって欲しくないです。
無理してやるものには必ず歪みが起きる。そして、もしそれが、その人や周りの人が不幸や辛さが伴う事の方が私とってものすごく辛い事で悲しい事でもあるからです。それを話しても、たいていの人は理解してくれず、無理してやり通し、その人や周りの人がしんどい顔を見るようになり、私は辛くて悲しいです。物事にももちろんよります。でも、心情としては、とても辛いです。大きな事でも小さな事でも。気にする必要ないとわかっていても。

大変分かりずらい文面、そして、支離滅裂な文章になってしまい、申し訳ありませんでした。
正直、どのように書くかわからなく、思う事を書いてみました。

意見などをお聞かせ願いたいと思います。

よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

情報に手ごたえ無し 手応えは事実・真実のみにあり

今やネットで心理学から仏教からスピリチュアルから哲学から何でも情報をゲットできる世の中。
それで救われているなら世界中の人はとっくに救われているでしょう。
ところがそこで救われないのは、ここと同じ情報の世界だから。
情報は結局情報を呼ぶ。情報が二次的脳内情報を生み出すのです。
あなたに必要なのは、脳内情報がこれ一つも無くなった状態です。
エアコンクリーニングでカビを除去したとします。
ところが完全に取り除かなければ、それがまたエアコンの中で増殖して汚れた空気を輩出するようになります。
ここは一つ、情報の世界を離れて、新しい情報で古い情報を消そうとするファブ〇ーズ的なスタンスをやめるべきではないでしょうか。
さっきのヒントは良いとして、ウチに座禅会に来てみてください。
あなたのような人の場合、こうした情報よりダイレクトにそこで感じて頂いた方がより効果的であると思います。mimiさんだけに実際の耳で直接脳内ミミを通さずに聞いてみてください。
自分の思いのフィルター越しに観ザル、聞かざる、言わざる、思わざる生き方があります。
真実のみを見て聞いて言うようになれば人生が変わります。
情報には実はありません。手ごたえはありません。
金は要らんですから。本当に自分を明らかにしに来てください。
外の事に動じないことを坐といい、内なる思いに動じなくなることを禅と言います。
あなたの求めているものがきっとここにあります。
情報は情報を生む。
真実は事実を突きつけ、脳内情報を黙らせる。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自信のなさがうかがえます

生きる技法は二つ。
人間的魅力増進。ひとつのことに秀でることで自信を取り戻す。
もうひとつ、適当に生きる。思っている以上に世の中は曖昧です。適当にしていても何とかなります。
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薬は不安と自信喪失の大きな原因のひとつ。心配しなくていい。薬をやめ食事を見直せばすべてが上手く周り出します。
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心身の病はすべて血糖値の乱高下が原因です。血管を破壊する糖質の摂取を控えるのです。
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体温を高めることも思考に大切なことです。体を冷やさないよう気をつけてください。
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世の中はすべて因縁でできています。
良い思考行動を原因として起こせば、よいご縁を引き寄せ結ぶことができ、よい結果を得ることができます。
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正直に方便を捨てましょう。
ただちに、誤った考えを捨て正しい教えに頭を切り替えなさいと釈尊はお説きになっています。
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徐々にではなく、今すぐ変われという教えです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

妄想雑念は後回し

まず、具体的に今やりたいことを決めましょう。
たとえば、食事をすると決めたとします。
食事を始めます。
ところが、食事をしている途中で食事に関係ないこと(ニュースで見た事件とか)を思い出してしまう、とします。
思い出しながらも食事を続けられたらオッケー、セーフです。
しかし、思い出した内容に感情が揺れ動きすぎてお箸を止めてしまうくらいなら、アウトです。
アウトな妄想が出たら、最初に決めた「具体的に今やりたいこと」を思い出しましょう。
つまり、「今は食事がしたいのだ」です。
食事を邪魔する妄想雑念は、今は考える必要がないのです。
心という子供は、妄想というオモチャで遊びたがります。
しかし、心に、「今は食べてるから、あとで遊びましょうね」と言い聞かせる必要があるのです。
妄想雑念は、後回し、今は考えなくてよい。
食事以外のあらゆる日常の場面でも、このように妄想雑念に気づいたら後回し、気づいたら後回し、をやるのです。
今やりたいことを決め、それができないならアウト妄想。ぎりぎりセーフのオッケー妄想はまぁよいでしょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

回答をくださった方々へ感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございました。

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