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仏教の心を常に忘れないためには

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有り難し有り難し 67

こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。

ここのサイトで仏教を知り、諸行無常、諸法無我や、執着しないことなどを知り、これは素晴らしいものだと感動しました。

実際にこの思想で生活すると、毎日が濃い1日となっているように感じられ、とても嬉しいです。
ですが、本当に苦しい時に、これらの教えが思い出せなかったり、気づかないうちに執着してしまったりするのがとても不安です。

仏教の心を忘れないために、何か私にもできることがあれば教えてください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏道を歩む動機付け

 「悪い事をせず,善い事をする」ということが容易に理解できたとしても,このことを常に心に留めて生活することは容易にできることではありません.また,仏の教えは理解できたとしても,それを忘れず,それに従って行動することはなかなか困難なことです.そこで,仏の教えを心に留めて生活するためには,その動機付けが必要になるのです.

 ほとんどの人は「やがて死が来るだろう」と思ってはいても,普段は「まだ死なない」という思いを持っています.それゆえ,死後の世界を考えることなく,今生の楽しみのみを考えがちになるのです.そこでまず必要なのが,「いつ死ぬのか分からない」という思いを起こすことです.そして,「いつ死んでもいいように行動しよう」と心がけるのです.

 次に,我々は輪廻の世界に生きていることを考えなければなりません.我々は,天,人間,阿修羅,畜生,餓鬼,地獄のいずかに生まれ,そして死に,またいずれかに生まれ変わるということを繰り返して,今人間界にいるのです.そして,今生を終えたら,必ずいずれかに生まれ変わります.

 輪廻世界にいることが理解できれば,「死後は三悪趣(地獄,餓鬼,畜生)に生まれ変わりたくない」という思いを起こす必要があります.そのためには,地獄,餓鬼,畜生がどれほど苦しい世界であるか想像してみると良いでしょう.

 三悪趣に生まれ変わりたくないという思いを起こしたら,次は業と果を考察しなければなりません.我々は,自らの行いに応じて,その結果が身に降り注ぎます.善い行いをすれば,それが善業となって,好ましい結果を享受できます.逆に悪い行いをすれば,好ましくない結果が身に起こります.このように,業により果があるということを理解しなければなりません.

 業と果の関係性が理解できれば,次は善い行いとは何かを考える必要があります.仏教で善い行いとされる基本的なものは,十善業道にまとめられます.十善業道とは,不殺生,不偸盗,不邪婬,不妄語,不綺語,不悪口,不両舌,不貪欲,不瞋恚,不邪見です.

 仏の教えを忘れそうになったら,この一連の思いを起こすと良いでしょう.そして,これらが完全にできるようになったら,輪廻世界から解脱したいという思いを起こし,さらに一切衆生を救いたいという思いを起こして菩薩の道へと上っていき,徐々に執着もなくなってくるわけです.

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考え方を学ぶのではない

仏教は考え方ではないということです。
物事の捉え方を学ぶことではない。自分のことをよく知ること。自己を究明することです。お釈迦様もそうして自分を知りました。そしてすべてのことを明らかにしたのです。

仏道とは、24時間あなたの体で学ぶ道です。法を頼りにしつつ真理を見極めるのです。
目の働き、耳の働き、鼻の働き、舌の働き、身体の感覚を使い、今ココで起きていることを知るのです。自我働きではなく、リアルを。

今私の周りでは朝からセミがジージーと鳴いています。その事実のままに、そちらを大切にするのです。セミだとかうるさいだとか耳は言いませんからね。それはジブンというエゴの働きですからね。そちらではなくじじつにいきるのです。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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毎日のお勤め

けい様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生も、行住坐臥、一日中に常に仏教を意識できて過ごせているわけではありません・・

やはり、煩悩が生じてしまうこともありますし、それによって悪い行いをしてしまうことだってございます。

それでも、仏教をできる限りに日々意識して継続できるように、毎日欠かさずにお勤めを行っているのであります。

拙生の場合は、密教の六座上師瑜伽、灌頂成就法などとなります。

密教の灌頂を受けてからでなければできない行法もございますが、出家在家に拘わらずにお勤めができるものであります。

どのようなお勤めがあるのか、興味がございましたら、下記の著書を参考にされて頂けましたらと存じます。

「チベット密教 修行の設計図」(齋藤保高先生・春秋社)

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

素早い回答ありがとうございます!
やはり特別何かがあるわけではなく、毎日修行するからこそ仏教が体に馴染むんだなと思いました。
まだまだ知らないことがたくさんあるようですし、仏教をもう少し学んでみます。
本当にありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ