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仏教の心を常に忘れないためには

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こんにちは。ご覧いただきありがとうございます。

ここのサイトで仏教を知り、諸行無常、諸法無我や、執着しないことなどを知り、これは素晴らしいものだと感動しました。

実際にこの思想で生活すると、毎日が濃い1日となっているように感じられ、とても嬉しいです。
ですが、本当に苦しい時に、これらの教えが思い出せなかったり、気づかないうちに執着してしまったりするのがとても不安です。

仏教の心を忘れないために、何か私にもできることがあれば教えてください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏道を歩む動機付け

 「悪い事をせず,善い事をする」ということが容易に理解できたとしても,このことを常に心に留めて生活することは容易にできることではありません.また,仏の教えは理解できたとしても,それを忘れず,それに従って行動することはなかなか困難なことです.そこで,仏の教えを心に留めて生活するためには,その動機付けが必要になるのです.

 ほとんどの人は「やがて死が来るだろう」と思ってはいても,普段は「まだ死なない」という思いを持っています.それゆえ,死後の世界を考えることなく,今生の楽しみのみを考えがちになるのです.そこでまず必要なのが,「いつ死ぬのか分からない」という思いを起こすことです.そして,「いつ死んでもいいように行動しよう」と心がけるのです.

 次に,我々は輪廻の世界に生きていることを考えなければなりません.我々は,天,人間,阿修羅,畜生,餓鬼,地獄のいずかに生まれ,そして死に,またいずれかに生まれ変わるということを繰り返して,今人間界にいるのです.そして,今生を終えたら,必ずいずれかに生まれ変わります.

 輪廻世界にいることが理解できれば,「死後は三悪趣(地獄,餓鬼,畜生)に生まれ変わりたくない」という思いを起こす必要があります.そのためには,地獄,餓鬼,畜生がどれほど苦しい世界であるか想像してみると良いでしょう.

 三悪趣に生まれ変わりたくないという思いを起こしたら,次は業と果を考察しなければなりません.我々は,自らの行いに応じて,その結果が身に降り注ぎます.善い行いをすれば,それが善業となって,好ましい結果を享受できます.逆に悪い行いをすれば,好ましくない結果が身に起こります.このように,業により果があるということを理解しなければなりません.

 業と果の関係性が理解できれば,次は善い行いとは何かを考える必要があります.仏教で善い行いとされる基本的なものは,十善業道にまとめられます.十善業道とは,不殺生,不偸盗,不邪婬,不妄語,不綺語,不悪口,不両舌,不貪欲,不瞋恚,不邪見です.

 仏の教えを忘れそうになったら,この一連の思いを起こすと良いでしょう.そして,これらが完全にできるようになったら,輪廻世界から解脱したいという思いを起こし,さらに一切衆生を救いたいという思いを起こして菩薩の道へと上っていき,徐々に執着もなくなってくるわけです.

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考え方を学ぶのではない

仏教は考え方ではないということです。
物事の捉え方を学ぶことではない。自分のことをよく知ること。自己を究明することです。お釈迦様もそうして自分を知りました。そしてすべてのことを明らかにしたのです。

仏道とは、24時間あなたの体で学ぶ道です。法を頼りにしつつ真理を見極めるのです。
目の働き、耳の働き、鼻の働き、舌の働き、身体の感覚を使い、今ココで起きていることを知るのです。自我働きではなく、リアルを。

今私の周りでは朝からセミがジージーと鳴いています。その事実のままに、そちらを大切にするのです。セミだとかうるさいだとか耳は言いませんからね。それはジブンというエゴの働きですからね。そちらではなくじじつにいきるのです。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...

毎日のお勤め

けい様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生も、行住坐臥、一日中に常に仏教を意識できて過ごせているわけではありません・・

やはり、煩悩が生じてしまうこともありますし、それによって悪い行いをしてしまうことだってございます。

それでも、仏教をできる限りに日々意識して継続できるように、毎日欠かさずにお勤めを行っているのであります。

拙生の場合は、密教の六座上師瑜伽、灌頂成就法などとなります。

密教の灌頂を受けてからでなければできない行法もございますが、出家在家に拘わらずにお勤めができるものであります。

どのようなお勤めがあるのか、興味がございましたら、下記の著書を参考にされて頂けましたらと存じます。

「チベット密教 修行の設計図」(齋藤保高先生・春秋社)

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

素早い回答ありがとうございます!
やはり特別何かがあるわけではなく、毎日修行するからこそ仏教が体に馴染むんだなと思いました。
まだまだ知らないことがたくさんあるようですし、仏教をもう少し学んでみます。
本当にありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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