躁鬱病と乳ガンによる治療拒否
私は5年ほど前に躁鬱病と診断され、今年の夏には乳ガンと告知をされました。
早期の発見だったため、抗がん剤治療と手術で完治する予定です。しかし、私は完治したくなかった。出来れば転移してくれれば自死を選ばなくても若くで死ぬことが出来たのに、と思うのです。
乳ガンを、見つけた時にはまずお医者さんと思いましたが、これが人間の生への執着なのだなと思いました。
でも、親に心配をかけ、辛い抗がん剤治療をうけながら働き、高額な医療費を払い、こんな事転移してたらやっていられません。
治療拒否も自死と同じ扱いになるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
医者に殺されないように
治療法を変えればよいだけです(^o^) 自死とは言わんでしょう。
医者は選べる時代です。知人は絶食して酵素ドリンクを一日一本一週間飲み続けたらガンの数値が大幅に下がったといいます。坐禅をして、なるべく考えの生活から離れるのが効果的だそうです。自分に嘘をつかず、隠し事なく大きな声でしゃべるというのもストレスなくよいのだそうです。ガンは精神面もそうですが、多くは摂取する食材からなっていくものでもあります。現代社会は便利になった分、農薬や添加物がたっぷりな食材も多く出回っています。私も敏感なので、食材には気を付けるようになりました。
ガンはがんを治すことを誇りに思っている医師に身をゆだねるべきです。
もと看護師さんの話では、ヘタなところでは薬漬けにされるだけ、入院費で儲けられるだけ、治る治らないは病院の責任ではない…聞くに堪えない話もあります。
躁鬱病に関しては、手前自慢ではなく、坐禅で治ったという方が割と増えてきています。
食べ物を無農薬、天然酵母の食材を食べ続けるとよい、動物性たんぱく質も定期的にとるとよい、などと薬に頼らない、脳が必要としている物質を、食材から摂る方法も増えてきています。どうか、お医者さんに蝕まれないように十分にご注意ください。
ある医者は製薬会社の薬を売ることだけが仕事の医者もいます。
お役所仕事的で事務的な人間はこの世に沢山います。
そういう人間でないかどうか、真剣に私の病気に向き合ってくれる先生かどうか、慎重なセカンド、サードオピニオンをする必要はあると思います。(^o^)一番の薬は笑顔(^o^)
まずは希望を以て笑ってみましょう。今、ガンは治せる時代です。
ガンは治ってもいつかは死ぬものです。だったらもうちょっと生きてみましょうよ。
実は私の参禅仲間が今年いっぱいと言われています。どうか生きたくても生きられない方もいるのです。命を軽んじるようなことは口にしてはいけません!生きて生きて死ぬまで生きろ!
どうせ死ぬなら、死んでも誰かを突き動かし、誰かを支え続ける、魂が生きるような影響力のあることを残してからにしなさい!愚痴まみれで死んでいくなんて、悲しいじゃないですか。死ぬまで笑っていきましょうよ。
人生とは甘美なもの
とびにゃさま
初めましてhasunohaの 井上広法と申します。
さて、躁鬱病の苦しみのみならず、ガンの告知をされてしまったこと、そのお苦しみには察するにあまりあります。
さて、自死と治療拒否の問題ですが、私はそれは根本的に異なると考えております。
また、ここでの「治療の拒否」とはあくまで、望みの無い延命治療の拒否です。
お話の中にもありましたが、治る可能性のある治療でしたらどうか拒否なさらず、お受けくださることをお願い申し上げます。
言葉では言い尽くせませんが人生は生きるに十分な価値があります。
お釈迦様は晩年に『人生とは甘美なものだ』との言葉を残されました。
どうか、とびにゃさまが治療を拒否せずにこの甘美なる人生を味わい尽くされることを祈念致します。
合掌
躁鬱病が改善すると良いと思うのですが。
とびにゃさん、よろしくおねがいします。
自ら命を断つことが、すべて自殺となるかどうか、これは度々議論になるところです。だいたい行き着く結論は、「動機による」です。
行動の意味付けは、動機によります。例えば、他人のお腹を刃物で切る行為も、殺そうと思えば殺人ですが、手術のために救おうと思えば、たとえその人が死んだとしても殺人とはいえません。「この世から逃げたい」とか、「消えてなくなりたい」という思いで治療拒否するのなら、それは、自殺になるかもしれません。「同じ死ぬなら、前向きな意味で治療拒否して、残された時間を有意義に過ごしたい」という思いなら自殺ではないでしょう。
とびにゃさんは、ご相談の文章をみてると、早く死にたいと思ってらっしゃるようですね。それは、何か原因があるのでしょうか。死は、早かろうが遅かろうが、尊いことですが、アンハッピーな気持ちで、死を迎えるのは胸が痛みます。躁鬱病の方が改善する様に何か出来ないでしょうか?鬱だと、癌の治療にも気持ちが向きませんよね?
答えになりましたでしょうか?
また、お会いしましょう。
それでも生き抜いてほしい
とびにゃ様
誠に御つらく苦しいお気持ち・・どのようにお伝えすべきか葛藤致しておりました・・
http://hasunoha.jp/questions/285 の質問上で、『「与えられた命は大事にしないといけない」そんな言葉は聞き飽きました。 』との厳しいお言葉も賜りまして、『それでも、「生きていることは尊い」と言わせて頂きたくに・・』として御回答をさせて頂きました・・
建前論や形式論、綺麗事では済まされない・・
仏教では、自死・自殺は基本的に禁忌とされています。なぜならば「悪業」(悪い行為)となり、やがて「悪果」(悪い結果)を受けるのが必至になるからであります。自死・自殺に至る動機は、おおよそ、無明(根本的無知)・煩悩によるところがほとんどとなります。また、本人の動機としては、意図していなかったとしても、他の迷惑や他に悲しみ・苦しみ・迷いを及ぼすことになっても、それは「悪業」となってしまって、宜しくないことと考えられます。
例外は有るのか・・ここは難しいところです・・「慈悲」を根拠としての利他行・善徳行としての自死・自殺は認められるかどうか・・問い「自らの死について」 http://hasunoha.jp/questions/98 にても少し扱わせて頂いておりますが、やはり、非常に難しいとしか今の拙生では言いようがございません・・
とびにゃ様は、死ねば「終わる」とお考えでしょうかね・・断滅論・虚無論は中道に反することとなります(もちろん、常住論・実体論も中道に反します)ので、仏教ではそうは考えません。はっきりと言いましょう。心相続の連続状態は来世、来来世へと続いていきます。そのありようが輪廻に大きな影響を及ぼしていきます。善因善果、悪因悪果の因果とともに・・。
ですから、無明・煩悩に支配されるがままに悪い行いを積み重ねることなく、しっかりと仏教の智慧を学び、無明・煩悩を撃ち破りつつ、善い行い、慈悲・利他の行いをしていくことが望まれるのであります。
是非、今世、生きて、生き抜いて、病気と闘いながらにでも、生き抜いて、この機会から、しっかりと仏教を学ぶ機縁として頂き、是非、心のありようを清らかに調えつつ、そしてできるだけ善い行いに努めて、できれば慈悲・利他の行いにも努めて頂けましたらとは存じております。字数制限上ここまでにて・・
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
各御住職の皆様、ご回答ありがとうございました。
回答を読ませていただき、同じ質問でも色々な受け取られ方があるのだと感じました。
まず、私は「生きていたくない」のだと思います。
躁鬱病は遺伝的な病気だと言われていて、某研究所の治験にも参加しました。
本当に遺伝であるなら発症してしまったからには一生治らないかもしれない病気です。
実際、自殺寸前までいったことがあります。その時はあと一歩というところで思いとどまる事が出来ました。それはやはり両親より先に自殺してしまう事がどんなに罪深い事かに気が付いたからでした。
その時用意した自殺用のキットは今でも引き出しの奥に忍ばせてありますが、使うことは無いと思っています。
この鬱の傾向を根底に「乳ガン」がかぶさってきたわけですが、これも母からの遺伝(完治しています)で、いつかかかると覚悟していた病気でした。だからこそ初期で見つけて、治療に入ってしまいました。。。
でも、1年でも見て見ぬふりをしていられたと思うと悔しくて仕方ありません。
だから、なんとか転移していて治療拒否ができるようになっていて欲しいのです。
躁鬱病になる前は建築士をしており、社会的にはそれなりの足跡を残してきました。結婚はできませんでしたが、抗がん剤治療の影響でもう子供を持つことも出来ないので何もやり残したことはありません。
これから守るものもなく一人で生きても人生寂しくなっていくだけなので長生きなんてしたくありません。
気になるのは両親の事ですが、私が50歳になるまでに死ぬと高額な保険金が入るので、できればそれで安心して暮らしてほしいと思います。
こんな理由の治療拒否、ダメでしょうか?
生きたくても生きられない方に掛ける言葉は、心からの「変わってあげたい(変わって下さい)」です。