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お盆とは

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おはようございます。今日は難しい仏教の教義ではなく – 普段から私は難しい内容にはついていけないけれど - ただ単純にお盆について質問させていただきたいと思います。お盆は法事に入るのかどうかよくわからなくて、分類違いでしたらすみません。

今のところ仏教の教科書にはお盆の時期に亡くなった家族の魂が家に帰って来るとかそういう思想は見つからないので、もしかしたら仏教からきた風習ではないかもしれませんが、お坊様方はお盆をどう捉えていらっしゃるでしょうか。
お盆の時期が近づいてきて、仏教と関係あるのかな....とふと考えていました。お暇な時に気が向かれたら教えてくださると嬉しいです。

なすやきゅうりに細い木の棒を突き刺して奇妙なことをしているように最初は見えましたが、それらは迎える時は早くこっちに来てほしいから速い馬を表すとか、向こうの世界に戻って行ってしまうのは名残惜しいから送りは足の遅い動物(牛?)とか、亡くなった人と少しでも長く一緒にいたいという気持ちなんだと知りました。素敵な風習ですね。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

施しの善行期間

辞書的な意味としては法事で間違っていないのでしょうが、違和感を持つ人が多いでしょうね。法事と言うと大体に◯回忌のような読経&法話&会食の式をイメージします。

お盆については色々ややこしいです。古い世代の学者さんの間では「お盆は儒教とか道教あたりがルーツで、純粋な仏教行事ではない」というのが常識でした。ところが10年前あたりから「いや、中東あたりでもやってるじゃん。中国ルーツじゃないじゃん」という話になり、ここ数年で「おい、普通に仏教経典に載ってるじゃねーか」という話になりました。実際、私も中国仏教の影響を受けていない東南アジアの一派のお盆の法要に参加しました。お料理にイナゴみたいなヤツがあって、現地のお坊さんにもノリノリな人と「いやムリ…」って人がいて面白かったです。そんな感じで研究の過渡期なので色々ややこしいんです。

でも実際に中身もややこしいからしゃーない。今ではお盆といえば先祖供養のイメージ一色ですが、大昔は「農作物の虫除け祈願」とか「水難や戦災犠牲者の供養」とか色々込み込みだったんです。いわばオムニセレブレイトですね。宮中でも内裏にお坊さん呼んでやってたんですよ。

ただ、オムニのどれを取ってみても核の部分は『施しをして執着心を手放し、功徳を積む』という一点です。

ナスやキュウリに棒を刺して…というのはお寺の本堂ではやらないんですよ。一般家庭の風習です。この手の洒落の効いたヤツはだいたい江戸時代の武家とか江戸っ子の流行がルーツだろうと私は思っています。
お寺では(ウチの宗派の場合)、お米と山の幸・海の幸のお供物をするというのがポイントです。

それから家族の魂が家に帰って来るについてですが、お盆に関する経典にこの話は書いてありません。
じゃあ何がルーツかというと、ぶっちゃけ知りませんがおそらく「お盆には地獄の釜の蓋が開く」かなと。要するに「お盆には地獄の罪人がみんな帰省して鬼が休日をとる。地獄の鬼でさえ休むんだからお盆は店を閉めて使用人に休みを与えんとイカンぞ」という江戸時代の商家の習慣です。おそらくその段階では落語みたいなモンだったのが転じて「ご先祖さまが帰ってくる」という話になり、だんだん民間信仰として整備されていったのでしょう。
昨今、無宗教が流行って出社は早く、退社は遅く、お盆も帰省できない人が大勢いらっしゃるのは当然の因果なのかもしれません。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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日本に仏教が伝わる以前から、亡くなった人は山(海)に帰ると思われてきました。その為、お墓は山の麓に作られてきました。
お盆の時期というのは農作業の関係から都合が良かったらしく、その時に、迎え火を焚いて家にご先祖様をお迎えして食事を差し上げ一緒に過ごすのです。
そして送り火で見送るのですね。
後に、仏教が伝わり仏典の中の盂蘭盆経の内容がよく似ていたので、自然に合わさって、「お盆」と呼ばれるようになったようです。
ですので、日本古来の風習と仏教(インドや中国)の風習が合わさったものということですね。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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宣伝っぽいですが

 拙著『功徳はなぜ廻向できるの?』(国書刊行会)に、『仏説盂蘭盆経』の源流となるお釈迦様のお話を載せています。
 お盆も、中国から入った文化的要素もあるかもしれませんが、堂々たる仏事でしょう。ただ、今や日本の行事になっていますから、あまり形にこだわらずに、自分のやりたいように少し小規模で気軽にやればよいのではないかと思います。善行為はやればやった分だけ功徳になります。むつかしく考えないで楽しんでください。
 お盆の原意は、上の拙著に書いた通りです。お釈迦様のお話の全文は、拙訳『餓鬼事経』(サンガ)に載っています。51の物語の中、目連尊者ではなくて「舎利弗の母の物語」です。
 私が住職している誓教寺のホームページhttps://seikyoji.jimdo.com/から「供養ってなに?」の冊子が読めます。「誓教寺【せいきょうじ】」で検索してみてください。

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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

大慈先生こんばんは、いつもありがとうございます。

先生の頭はドラえもんのおなかの袋のように色々なもの(質問の答え以上の色々な知識)が出て来て毎回面白いです。お盆とは善行の期間だったのですか...先祖供養の印象が強い、というかその印象がほとんどだったのですが、祈願や供養、昔は色々やっていたのですね。

お盆には新幹線や飛行機が混雑するから、日本はほとんど無宗教と言われているようだけど何だかんだいってみんな信仰があって帰省してるんだと思っていたら「お盆休みを利用した旅行客で」とニュースで言われていて、あ、そういうことだったのか...と思いました。信仰は強制するものではないし、信心深い人もそうでない人もいていいと思うけれど、一瞬気分が下がった気がします。

聖章先生、ありがとうございます。

日本特有の風習なのかと思っていたら、中国やインドの仏教の影響も混じっていたのですね。亡くなった親族を家に招いて数日間過ごす特別な行事、実際に彼らの姿を見たことはないけれど、そうやっておもてなししようというその発想が何となくいいなと思います(家族が集まる機会にもなりますね)。

慈照先生、お寺のホームページをありがとうございます。供養って何?の冊子が今ぱっと見て見当たらなかったので、後でよく見てみますね。

お盆はちゃんと仏事の一部だったのですね。昔は、例えばこういう行事の際にちょっとでも小さな作法を間違えると亡くなった人が迷って帰れなくなるとかそういう迷信をどこかで聞いて気にしていたこともありますが、そうさせているのは生きている人間の思い込みなんだと今はだいぶ落ち着いて物事を見られるようになりました。あまり細かい形式や理屈にこだわらずに、とりあえず家の人達がやっているようにしてみます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ