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なぜ自分が生きているということが尊いのでしょう

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虐待の末に、親に子供が殺されてしまったニュースを見聞きします。
悲しい、切ない気持ちと共にいつも思うことがあります。
「幼くして散った命でも、この子にとっては幸せだったんじゃないか」と。

私は児童虐待の生き残りです。
暴力で、言葉で、態度でズタズタに傷つけられて育ちました。
幸い良い人と巡り会い、結婚し、主人の実家とも実の家族のように接してもらえています。
心療内科に通い、もう怯えたり自分を責める必要はないんだと、先生と話し合いながら、病気の治療を進めています。

怯えながら、憎みながら生活していた昔を思うと、本当に幸せな生活です。
悲しいことも悔しいことも、もう叶えられないかもしれないこともありますが、幸せなんだと思います。

ただフラッシュバックなどで苦しい時、よく思うことがあります。
「今の幸せが全部チャラになったとしても、この世に生まれてきたくはなかった」
理不尽に虐げられて生き抜いても、大人になってしまった以上、自分でなんとかしなくてはいけないという更なる理不尽。
苦しい中を生き抜いて、まだ戦わないと安らげないのなら、この命は最初からない方が良かったと感じます。

そして冒頭に戻ります。
虐待の末に命を落としても、その先に待ち受ける苦しい人生を思えば、その方が幸せなんじゃないかと。

社会は無慈悲で無理解です。
自分に責がなく精神疾患を背負っても、大人になっていればその責を本人に負わせます。
精神疾患を持っているが故に業務が滞っても、自分達と同じように仕事ができないことを責めるというケースはよく聞く話です。

「与えられた命は大事にしないといけない」そんな言葉は聞き飽きました。
望まずして与えられた命、希望の持てない、真っ暗闇な自分の未来。
なぜ、私が生きていることは尊いのですか?


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

尊い心の持ち方がある。そこにチャンネルを合わせなさい。

大丈夫です。実質的に救われる生き方を求めれば結論がでます。私は仏教者でありながら反発派でした。本当にこの人は大丈夫だと任せられる(正師)師匠との出会いが無かったからです。それまではずっとすさんでいました。
人間は悲しいことに不幸の比較はできません。ですが不幸は「今をどう生きるか」心の在り方次第で変える/改善/改良することがチャンとできます。
私も人生どん底ズタボロだったのです。自殺しようとしたり、あきらめかけたていた時期がありました。
ですが参禅の師匠(井上貫道老師)との出会いによって「あらゆる苦しみは、(自分が)自分の考えの中で(自分で)やっている」(←ここ何度も読み返してください)という一大真実を教わったのです。最近ですと、震災後の陸前高田で眼にした光景が数か月フラッシュバック、頭から離れませんでした。ですがある時、知人が車でコカ・コーラの自動販売機に激突して、自動販売機をみるたびにフラッシュバックがあったそうですが、参禅を深めることで、毎日のようにフラッシュバックはあっても、そこから自分をイジメる、自分を苦しめるような❝悪い思い方を止めることができた❞と言っていました。「なるほど確かに人間は過去を思い返すことは確かにある。それで苦しむことも確かにある。だけど、過去を思い出すことだけにとどめておけば、そこに善悪は生まれなくなる」(←30回位読んでください)のです。
アナタの過去にも、誰の過去にも、過去の事実それ自体に咎(とが)はない、良し悪しのジャッジはなされていない。もちろん絶対悪、非、苦しみのジャッジ・判定を下すべきであろう過去もある。
私が申し上げたいのはフラッシュバック直後「自分の過去への善し悪しのジャッジ、判断で自分を苦しめてはいけない」ということです。
「自分の中の最高裁判所の裁判長はアナタのマインドです。」
もし、今もなおあなたが苦しいのだとしたら、実はあなた自身を苦しめているのが、自分の思い方なのです。あなたをあなたを苦しませる❝黒い思い❞からを開放、フリーにむかわせる教え、生き方が仏道です。
どうぞ自分を救うために「自分を苦しめる思いをさせない指導をしてくれる参禅会」をよくよく選別して求めてください。
どん底の私が立ち直って、こうしてみなさんに「大丈夫ですよ」とお伝えしているように、今日のあなたの問いちゃんと、ハッキリした結論が出ます。

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おきもち

可能性が絶たれていないから

カンナさま。
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

今は良い環境にあるとはいえ、大切な幼少期に辛い経験をされたのですね。そして今もフラッシュバックで苦しみ、また心療内科に通っていらっしゃる。
そんな状況にあるカンナさんに対し、私は生きているだけで素晴らしいことだと思いました。

カンナさんの仰る「(虐待で)幼くして散った命でも、この子にとっては幸せだったんじゃないか」ですが、私は『(虐待で)幼くして散った命は、その子にとって苦しみは少なかったのではないか』と言い換えたいと思います。

なぜなら、生きていれば苦しみを超える幸せを得る可能性があるから、カンナさんが生きていることが尊いのです。死んでしまえば、苦しみは増えませんが幸せを得る可能性も絶たれてしまいます。

「虐待された苦しみも知らずに、そんなことを言わないで!」と思われるかもしれません。
でも私は、大きな苦しみを抱えた方がいつかその苦しみを超える幸せを手に入れて、「辛いこともあったけど、良い人生だった」と思って欲しいと心から念じています。
また、hasunohaがその一助になれるようにと思っています。

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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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命は一人のものではないのですから

元々は生きている云々でなく、「“命”が尊い」という言葉では無かったのかな、と思います。

命が尊いことは、この何もない宇宙という空間に生命というものが生まれるという、とても信じられないような難しさを思えば、なんとなくうなづけるのではないでしょうか。

「私は児童虐待の生き残りです」という言葉に胸が詰まります。そのような辛い過去があるからこそ、きっと今、このようにお考えになるのでしょう。私たちは全て、クモの巣のように繋がりあっています。独立した存在はありません。カンナさんも、自分以外の人のことで喜んだり悲しんだりしませんか。同じようにカンナさんのことを思われている方が大勢いらっしゃるはずです。

「幼くして散った命でも、この子にとっては幸せだったんじゃないか」とありました。カンナさんがそう思ってしまうのも無理はありません。ですが、もしその母親がある日、自分の行動を反省する時がきたら、失くしてしまったものの大切さに身が引き裂かれる思いをするのではないでしょうか。

命は一人の物ではありません。ですから生きているという事はありがたく、尊いものだと私は思います。

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おきもち

住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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この世に生まれてきた意義。

虐待する親は子供の時に虐待されていたことが多いです。
親に愛されていなかった人たちが
親になってどう子供を愛して良いか分からず
自分が受けた虐待をまた子供に繰り返してしまうと言う
虐待の連鎖が生じてしまいます。
「長谷川博一」さんと言う人が子供の虐待に関する本を多数出しています。

カンナさんあなたの心の中でまだ過去の時間が止まっていませんか?
今は幸せな環境ですが、過去のあなたが
どうしても心の中、記憶の中に残っている感じがします。
「人格解離-わたしの中のマイナスな私」
と言う本の内容にはまっていませんか?
症状が似ていると私は思いました。
治療法は必ず有ると思います。
大丈夫ですよ。
それを乗り越えることが今生のあなたの生きる意味です。
神様は乗り越えられない試練は与えません。
それを乗り越えた向こうに新たの自分を発見して下さい。
応援しています。

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おきもち

50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...
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それでも、「生きていることは尊い」と言わせて頂きたくに・・

カンナ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拝見いたしました。深い心の傷の程、お察し申し上げます・・今は良き伴侶も得られて、少しずつ周りの皆様に支えられての御回復の途上かと存じます。どうかあまりご無理なさられずに、時間を掛けて少しずつに癒されていかれましたらと存じております。

『「与えられた命は大事にしないといけない」そんな言葉は聞き飽きました・・』

確かに、通り一遍の杓子定規的な答えはもはや聞き飽きてございます・・そんな言葉、苦しく悲しく、つらい現実を前にした時、すぐに吹き飛んでしまうような薄っぺらいものであるかもしれません・・

そして、望みもしないのになぜ産まれてきてしまったのでしょうかね・・

下記問いそれぞれの拙回答からの引用となりますが・・

問い「これからの母との付き合い方」
http://hasunoha.jp/questions/264

『仏教では因果を考えるため、各々の持っている業の力も色々と作用しつつ、やはり何らかの様々な「縁」が複雑に絡んでの結果として、今の状態があると考えます。このような立場にあるのも何かの因縁によるものとしてあり、またこの世にての行いの数々が、必ず死後の状態に影響を与えていくことになります。そのため、仏教ではできる限りに心を清らかに保ちて、悪いことはなさずに、善い行いに努め励みなさいということが基本となります。』

問い「人間は何のために生きるのか」
http://hasunoha.jp/questions/36

『「有暇具足(うかぐそく)は得難く・・」とありますが、例えとして「一度にたくさんの豆を壁に向かって投げつけたとき、床に落ちずに壁にそのまま残る豆のように」とありますように、人間として生を受けるのは、実にまれなることであり、過去世からの善業や仏縁などの良い因縁により得ることができるものであります。』

そのため、私たち仏教に携わる者においては、この機会をしっかりと大切にして、「悟りを目指すため」の修行に努め励むことが望まれることにはなります。

今生でも、できる限りに悟りを目指しての修行を進めていくためにも、やはり「生きていることは尊い」と拙生は言わせて頂きたいと存じております。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

投稿したその日に回答をいただきながら、お礼が遅くなってしまい、申し訳ありません。
改めまして、お忙しい中回答をくださりありがとうございました。

早くお礼を…と思っていたものの、(精神的に)殴り飛ばされるようなことがあり、とても不安定な状態です。
週明け火曜日が病院の日なので、そこで話を聞いてもらい、なんとか落ち着く方向へ舵を切れたらと思います。

いただいた回答に目を通しながら、また少しずつ歩いていこうと思います。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

日本に活気が全くありません

僕は阪神タイガースリーグ優勝間近なのに大阪では全く活気がなく盛り上がっていません。本当に日本の危機感かなと思います。僕は阪神タイガースリーグ優勝したら本当に本当に大阪府全体で騒ぎになって欲しいぐらいです。阪神甲子園球場では盛り上がっているようにも思えますが、まだまだ一部の人だなと思います。 Yahooコメントでもしましたが僕のコメントそう思わない人が多すぎて驚きました。 騒ぐとしたら大阪ミナミの道頓堀騒ぎぐらいですが、盛り上がりよりも一部の人々が暴動を起こしているようにしか見えません。 テリヤキタイムズというYouTubeチャンネルで見ましたが、まだまだアメリカのサンディエゴパドレスの盛り上がりには遠く及ばないと思います。僕もYouTubeで見たことがありますが日本はあれぐらい全く盛り上がっていなくて日本衰退しているのではないかと思うぐらい寂しい感じがしてたまりません。 自分も見たことがないので分かりませんがアメリカのスーパーボウルでは国全体がワイワイ騒いで盛り上がっているようにも思えます。 アメリカに比べれば日本の盛り上がりが寂しいぐらいです。 ラグビーワールドカップ2019の1日だけスタッフのバイトしましたがラグビーの試合でイングランド対アメリカの試合の方が活気もあったし国全体でワイワイ騒いで盛り上がってたようにも思えました。その試合を見て、日本はスポーツ離れしすぎて日本のスポーツの危機感ではないかとも感じました。 関西でも野球に興味ない人もいますので仕方がないかなと思いますが、それでも阪神タイガースリーグ優勝関西全体で盛り上がってほしいと思います。関西でも阪神タイガースに全く興味なく無関心な人もかなりいるのではないかと思います。 なんか盛り上がりに欠けすぎて阪神タイガース知らない人もいるんじゃないかなと思います。しかも、日本は活気なさすぎてメジャーリーガーの大谷翔平選手名前すら知らない人もいるのではないかとも思います。 また、オリックスバファローズが日本一になった時も関西全体も道頓堀もあまりワイワイ騒いで盛り上がってるようにも感じませんでした。オリックスバファローズ日本一とっても日本は静かだったので全く野球人気減少しているのかなとも感じます。 一刻でも速く日本が国全体でアメリカのパーティーのように盛り上がる日が来て欲しいです。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

労働がすべての毒になっている

労働がただの苦役でしかないから虐待や虐めがなくならない。だから世を恨むことしかできない不幸な人間が量産され続ける。でもそういう不幸な人間を救いたいと思うような余裕のある人間はもうこの国にはいないし、不幸な人間が本当に救われるには「誰とも関わらなくていいくらいの金銭を労働なしに受け取る」しかないのである。不幸な人間にとって、自分以外の他者と関わることそれ自体が毒である。 普通に生きていられる人間だって労働に囚われている時点で不幸にしかならない。将来の安定もなく、ただただ自分以外の気持ち悪い人間に時間も労力も金銭も吸い取られる。不幸のエネルギーがこの世界を支配している。この世界の空気が猛毒。現実なんて毒でしかない。 労働が不幸の種でしかない。だから生きている人間はみーんな不幸。つぶやき欄にヒビ寄せられる呪詛、本当に見てます? 「この世界から去る権利」はどうして得られないのですか? でもどうせ私はこの世界から「死ね」と言われるような無能で呪詛の塊なのでだーれも見向きしてくれない。結局は選民思想。綺麗な人間だけに生きてほしい、汚い人間には死んで欲しい市民感情が何よりも力を持っている世の中。自分よりも楽をしている人間はずるい。誰もがそう思ってるから足を引っ張る発想しかできない。あーやだやだ。人間って本当に気持ち悪い。生きているって本当に反吐が出る。 いいですか、世界がこんなことになってしまった以上、自殺できる人間のほうがずっと賢いんですよ。「生きることは害悪でしかない」という真実を実行できたのだから。働けなくなった人間に人権なんてない。働いている人間の人権すら保障されていないのだから。 こんな世界にポジティブな感情を持つ方が難しい。でもこの世界を美しいと讃え、生きていることを喜べと言う。生きていることを望まれた人間とそうでない人間には決して埋められない溝がある。自分じゃない、もっと綺麗で理想的な何かになることを強要され、辛い時にはいつも「あなたが悪い」で片付けられた。だから世界への恨みがいつまで経っても消えない。でもそういう人間は傍目から見ると気持ち悪いから誰もが遠ざかる。でもその人にとっては孤独な方がずっと楽。自分以外の人間は敵だから。 この世界に人権なんてない。そもそも、生まれた時点で争いに巻き込まれる。だから今の奇跡に感謝しろったって、将来がないのだからどうしようもない

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私も大切な人も儚い存在

先ごろ、東日本大震災で甚大な被害に見舞われたラグビーの町、釜石がわずか8年後のラグビーワールドカップ招致を成功させ多くの人が町を、共に暮らす人々、未来の世代を思い、活動してこられたドキュメンタリーを観て、涙が止まりませんでした。 しばしば人と人の思いのバトンをつなぐ様子に、私は涙しております。 しかし、私の祖父母からは関東大震災や空襲の話を聞き、やはり関東、南海トラフ地震など恐ろしく、こんな大災害でなくとも私たちは思いがけず大切な人を失い、また自らも例外ではなくいつだって命を失う可能性を生きています。 怖くもあり、そもそも自分の死以上に大切な人もいつか死ぬ、それもことによると無念で苦痛に満ちたものとなるかもしれないと思うと胸が張り裂けそうです。 時に、浄土に召され仏となったとしたらどのように我々の営み、人の思いをつなぐバトン、慈悲というにはあまりに未熟な、それも煩悩に満ちた愛は、映って見えるのでしょう。 広大無辺の宇宙の幾星霜の過去、未来を思うとこの今の生活や愛などが、あれほど涙を流していた美しい営みさえもが虚しいというとちょっと違うのですが寂しい気持ちになります。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

どうすれば人は寿司を奢るようになりますか

 世界的な食料危機が叫ばれる昨今にあって、幸いにも日本は食に恵まれた国だと言われます。そんな日本で半生を生きる中、「一番うまかった物はなにか?」と大勢に質問してきたのですが、最多回答が「他人の金で食う寿司(ないし焼肉)」でした。個人的に納得するものがあり、そう回答しなかった人にもこれを伝えると「確かにそれだ」と共感されることがほとんどです。  ということは、もしも二人の人間がおり、お互いが月に一度程度寿司を食べられる財産の余裕を持つ場合、この二人がよりうまい飯を食う方法は、毎月交互に寿司を奢り合うことになり、それは少なくとも、毎月自分で寿司を食べるよりも食事からの幸福度が高まることは数学的に間違いないはずです。他人に奢ってもらった寿司がうまいのはそうですが、他人に寿司を奢った時に相手が喜んで腹いっぱい食べる姿も幸福を誘発するため、これは誰もが気付いて当然のライフハックなはずです。事実、様々な仕事で成功するなどの優秀な成果を収めた人達は皆気付いており、進んで飯を奢る権利を奪いあうような関係にありました。  しかし、多くの人達はこの事実が理解できないようで、他人に飯を奢ったことなどないという人がほとんどでした。もちろん、金銭や心の余裕がなければ難しいのは事実ですが、余裕がない時でも少し無理をして他人に飯を奢ることが、最終的に大きなプラスに繋がってきたことを経験の中で実感しています。  この事実を伝え、広めることで、自分も、自分の周りも幸せになることは間違いないはずなのですが、帰来他人に飯を奢らない人にはこれがなかなか理解してもらえず、むしろ「奢ってくれという厚かましいやつだ」とネガティブな印象を受けることがほとんどでした。  世俗的な話でしたが、ある意味仏教の根本にも繋がるような気がする考え方であり、ここで回答してくださるお坊様方は、この話に深く共感してくださるのではないかと思います。また同時に、その教えが理解されない体験も多くなされているかもしれません。  そこで質問です。お坊様方は、この考えが理解できない人達に、どう教えを伝えてきましたか? もしくは、教えが理解されない相手に、どう接してきましたか? できれば、多くのお坊様方の回答を期待します。

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不良や反社になってしまう人の背景について

こんにちは。私は今、両親と結婚相手を巡って両親と仲悪になって心が荒んでいます。 今回は相談というよりも質問に近いかもしれません。 それは心が荒んで不良ややがて反社になってしまう人の背景についてです。 お世話になった先生から不良になる生徒の特徴は家庭環境が大きいと聞きました。 そこで私は考えることがありました。不良、反社になってしまう子供は複雑な家庭環境さらには夢中になれる物がなかったり、信頼して気さくに話せる人がいないからなるのではと思いました。 この様に考えると私には信頼できる友人や先生、夢中になれるもの(海外旅行や海外事情など)がたくさんあるから今、辛くても横道に逸れなかったのではないかと思い、運が良い事に感謝しなくてはいけないと感じました。 実際、不良や反社の人の更生に導いた経験があるお坊さんからこれらの人になる特徴や背景を聞いてみたいです。そして私がさらに心が良い方に行く術を教えてほしいです。私の両親は考え方が古いため、それで苦しんでいます。さらに大人になってからグレてしまう人もいますか?私の心がグレないための助言も頂ければ幸いです。 そして複雑な家庭環境で苦しむ人や子ども達が不良や反社の道に行かない様な仕組みを社会で作られることを願いたいです。 ご回答のほどお願いします。

有り難し有り難し 4
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ