自傷癖が止められません
初めてご相談をさせて頂きます。よろしくお願いいたします。
掲題にございます通り、10年以上、自傷癖…リストカットや抜毛、自らを殴打、薬を飲み過ぎる(OD)などを止めることができません。
心療内科にも通い続け、また、こうした精神状態を理解してもらうのには長くなりましたが片親(離婚しております)である母の理解も得られていると思います。
友人にも少しずつこういった症状を打ち明けることもできています。
皆、大事な人たちです。
理解ある人に囲まれて、自分でも恵まれた環境だと思います。
しかしなぜでしょうか、時折とても苦しくなってしまうのです。
素晴らしい家族であるし、とても思慮深く優しい友人達がいます。ただ、それが私には眩しすぎて、自分がとても醜く劣って、そばにいて恥ずかしいと思われてしまうのではないかと、強く思って苦しいのです。
そんなことを考えていると、ふと腕や足、腹から血が出ているのです。とても後悔します。でも同時に、ああ、こんな駄目な自分に罰を与えた…だから安心していいんだよ。と言われてる気分にもなるのです。
大事だと思う人たちがいるのに、そういう人たちに心配ばかりさせてしまう自分が情けなくて、余計に悪循環に陥っています。
長くなりましたが、そういった経緯で自傷癖が止められずにいます。弱くてすぐそういった自傷に甘えてしまう自分と向き合うには、どうしたら良いのでしょうか。
お知恵を貸して頂ければ、大変幸いです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
禅を知ってほしい
そのように自らをマイナスに評価しているのは誰でしょう。
あなた自身です。
その評価は間違えないものですか。その物差しは誰のものですか。
すべてあなた自身の頭の中で作り上げられた幻想、妄想です。
そのあなたの物差しによる評価は自分自身に厳しくなってしまうものです。
あなたはあなたのままで100点満点なんですよ。ありのままでいいのですから。自分自身で満足できなくても、それはあなたの考え方の上での話。
真実はあなたの考え方の中にはありません。真実を見抜く目をあなたは持っています。目の働きで真実を見ています。しかし、そのあとに出てきた「思い」の方、「理論、考え方」の方を大切にしてしまうから真実が別のものになってしまうのです。
セミが鳴いていますが、セミを見ると「それがそのように鳴いている」様子がある。
セミとも「ミーンミーン」とも言葉や文字が当てはまらないほどの様子が真実としてあるのです。そして、その目を別の場所に向ければそこから離れてその別の場所の様子がある。
そうした事実、真実に眼を向け、ていくことがあなた自身を救うのです。
禅を知り、実践していただきたい。必ず良くなると思います。
暇なときに寺のホームページやFacebookページをのぞいてみてください。
自分を大切にしましょう
読まさせていただきました。
ほっとしたのは、心療内科にもかかっていて、周りの人の理解も得られているというところ。
しかし、いけないと思っていても、自傷行為をしてしまうのですよね。
自己評価が低いのではありませんか?あなたは文面からして思いやりのあるやさしい人です。
決して自分を責めないでください。でも、責めてしまう心の仕組みができてしまっているよう
ですね。
自己評価を高める努力をしましょう。私も若い時は申し訳なくて死にたい気分が多かったです。今も時々ありますが、今は生きていたいという気持ちのほうが強いですね。
その気持ちを育ててください。死にたいという気持ちにとらわれるのではなく、生きたい
気持ちに目を向けてください。そうすれば、病状もよくなると思います。
そのためには、邦元上人のおっしゃるように、禅をすることも一つではと思います。仏教的に
心や心の働きを見つめなおす必要があると思うからです。
みんな「仏の子」です。
おはようございます。亀山純史と申します。
理解あるご家族、そして思慮深く優しい友達に恵まれてよかったですね。あなた自身、自分をとても醜く劣って、みんなのそばにいると恥ずかしいと思っているようですが、それは、あなたの目から見たあなた自身のイメージです。仏さまから見たら、みんな「仏の子」です。誰が秀でていて、誰が醜く劣っているなんていうことはないのです。みんな輝いている「いのち」を、仏さまから頂いているのです。これからも、ご家族、友達を大切にして、そして何よりも、ご自身を大切になさってください。
質問者からのお礼
お忙しいところ、皆さまご回答をありがとうございました。
▼邦元様
ご回答ありがとうございます。
仰ります通り、昔から「こうあらねば身内に恥ずかしい思いをさせてしまう」「こうしなければ悪いと判断されてしまう」と、現状以上のことを自分に課していたように思います。
何か事象があってそれに付加するのは、私の物差しや思い込みなど勝手な思いなのですよね。
是非、まずは御寺のホームページやFacebookを拝読させて頂きます。
ご回答ありがとうございました。
▼鈍阿様
ご回答ありがとうございます。
自己評価が低い、というのは自分でも少し理解はしているのです。何事も「自分が悪い」からいけないのだという逃げの気持ちが強くなってしまってしまいます。
鈍阿様もそういったお気持ちになったことがあると知り、少しほっといたしました。お言葉の通り、すぐには難しいと思いますがなるべく「生きたい」と思えるよう、目を向けてみます。
禅、というものを恥ずかしながらよく知らないため、こちらも合わせてできることを調べてみようと思います。
ご回答ありがとうございました。
▼亀山純史様
ご回答ありがとうございます。
本当に素晴らしい人たちに囲まれていると思います。だからこそ酷く自分がいけないもののように思えてしまっていたのですが…。
確かに仰います通り、純粋に「いのち」という物差しでみれば同じなのですよね。私の目が、考えが、それを歪めて優劣をつけるようになってしまっているのだと思いました。
温かいお言葉、またご回答ありがとうございました。