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婚約者が亡くなりました

回答数回答 2
有り難し有り難し 69

婚約者を亡くして5ヶ月が経とうとしています。
仕事も再開し、元の生活に戻りつつありますが、家に帰った後や休みの時など、無性にさみしさがこみあげます。

仕事が忙しい上に結婚のことでさらに無理をさせてしまったのかもしれない、子供がほしいと私が言ったばかりに高血圧の薬を飲まずにいてしまったのかもしれない、などと私と出会わなかったら彼は生きていたのかもしれないと考えてしまいます。

結婚の話を伝えていた友人にも彼の死を伝えられていません。
まだ自分で伝える勇気がないということと、友人たちに私がかわいそうだと思われたくないという気持ちがあります。結婚の話をしていたとても幸せな私のままの記憶でいてほしいという、私のただのわがままです。

どうしようもない位悲しくて大泣きをする日もあれば、泣かずにいられる日もあります。
いつになれば、この悲しい出来事にきちんと向き合えて、気持ちにブレがなく考えられるのでしょうか。

質問にまとまりがなく申し訳ありません。
愛する人を亡くしたものへ、生きるための力をいただけたらと思います。

よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それって単純にとても悲しいこと。

大変お辛い日々を過ごされてこられたようですね。
誰だってその状況であれば悲しくてやりきれない気持ちになってしまいますよ。
私があなたの立場であるとすれば、きっと自分は喪失、ロス、ミスという心理にあるとみると思います。何かを失うって本当は事実にはありません。心で失ったことを想起するときにその喪失感が自分を苦しめるのです。それは私は坐禅によって気づきました。
ある時、大事にしていた茶碗が割れました。ガチャン。それだけなのです。もちろん、これは物です。人間ではありません。パートナーではありません。ですが、ここで申し上げたいことの趣旨を何とくなくフィーリングで感じ取ってください。
これはあなたのことではなく、人が何かを失った時の心理としてこういう心理が起こるということを客観的に知ってほしいのです。
ああ、失われてしまった。
ああ、大事な存在が。
ああ、私は失ってしまってみじめでとても悲しい。
ああ、いたい。ああ、さびしい。ああ、とりのこされたような。
ああ、傷つく。ああ、戻ることはできない。
負の想念の無限ループが人の心を縛ります。
私は法話でよくこういうことをお話します。
「失わせてはならない」
自分がその人を失わせてしまうと、あなたの中でその人は失われてしまう。
仏教はお釈迦さまを失わせていません。生きている我々の導きの師として今も我々は悟りを得られた方として尊敬して敬っています。人は心理作用体として死後も存在し続けます。ここでいう存在とは作用としてあるということ。死ぬことがあっても失われることはありません。
縁のある人の心の中において心理作用として、影響力を及ぼしますし、記憶喪失にでもならない限り、消えることがありません。
だからこそ、あなたは二つの矛盾を解決するべきです。一つは、亡くなったということをきちんと供養して彼を死後も自分を成長させる存在「仏位」として敬いまつること。それが亡き人を活かす残されたものの態度です。もう一つは、あなたの中で彼は失われていないということに気づくこと。世間の多くの人は誤認します。人が死んだら終わりだと思う。だとしたらあなたは何故ないているのか。終わりならそこですっきり終わりなのです。ところがあなたは泣くほど悲しい。それはあなたの心の中の正直なSOS信号です。導かれるべきこころに導かれるべきです。菩提心をもって自身を導くべきなのです。

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有り難し
おきもち

彼もあなたの幸せを祈っていると思います

 婚約者の御逝去、心よりお悔やみ申し上げます。結婚を心待ちしていたことと存じます。お亡くなりになられた婚約者にとっても、あなたにとっても、辛く悲しい別れとなってしまいましたね。

 人生にはいろんな苦しみ悲しみが付いてきます。仏教では、其の苦しみについてかなり詳しく分析しておりますが、一般には四苦八苦という考え方にまとまられています。その中の一つに「愛別離苦」があります。愛する人大切な人と別離する苦しみのことを言います。この度の婚約者との突然の別離はまさに愛別離苦であると思います。 こういう悲しい別れを経験したくはないですけど、残念ながら人生の中で幾たびかこういう経験をせざるを得ません。一生に一回なんてものじゃありません。あなたには家族が居て、友人が居て、いろんな仲間が居ると思います。大切な人が居れば居るほど、何度も何度も悲しい別れを経験するしかありません。どんなにつらく悲しくとも、今の自分の生命を大切にし、しっかりと日々の生活を送っていくことが、残されし者の務めです。

 日本の仏教は、大乗仏教に分類されます。大乗仏教が菩薩道の仏教であると言われいます。大乗仏教の修行者は仏となることを目指して永遠に修行し続けるます。自分の幸せや悟りよりも、他者の幸せや悟りを願う自未得度先度他(じみとくど せんどた)を請願し、実践に努めます。そのような修行者を菩薩と称し、修行する道筋のことを菩薩道と言います。この生き方はあの世に往かれた方にも、此の世に生きる我々にも当てはまる生き方です。

 彼は御仏の世界で仏道修行しつつ、此の世に居るあなたの幸せを願ってると思います。あなたは此の世の人生を一生懸命生き自分の幸せを目指すと同時に、彼の幸せを祈り続けましょう。

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有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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