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残念
そんなのねーよ。
甘えんな。目を覚ませ。
<追記>
”死ぬ勇気すらない”
そうだね。だからこそ、なけなしの勇気を振り絞って生きているあなたは、やっぱり立派なんだよ。
ただ「死」が怖いんじゃない。虚しいまま無意味に死んでいく事がマズイって事をあなたはちゃんと感覚的に知っているのでは?これは尊い事なんだ。
<追記2>
”生きる意味を悟っていて死なない訳じゃない”
あなたの頭じゃない。体が、存在そのもののほうの話だよ。
安らかに死ぬ言葉?ありません。
maruoさん
maruoさんが死んでも私たちには明日が来るはずですし、亡くなったことを知らず、悲しむことも出来ないかもしれません。
すみません。ものすごく客観的な冷たいことを言います。
なぜここに死にたいと書くのか。
本当に死ぬ気なら、さっき海に身を投げることも出来たはずです。
それはあなた自身が必死で頑張って、耐えて生きてるからです。死ぬか生きるかの微妙なバランスにいながらも、必死で生きようとしている証拠です。
だからこそ辛い。
誰かに話して少しでもその苦しみや
葛藤を吐き出したい。
そのために、ここで誰かに頼ろうとしているんですよね?
maruoさん、まず理想的な自分というものを捨て、身近な人、職場の人や、家族の誰かに頼ると言う事をしてはどうでしょうか?
誰かに頼ることは恥ずかしいことではありません。
自殺、めちゃくちゃ痛いし、めちゃくちゃ苦しいですよ。
私も死ぬ勇気が無くて出来ませんでしたが、
勇気が無くて良かったと、今となれば思います。
やりたかったこと、思い残したこと、心残り
は本当に何1つ無いんですか?
変なプライドは捨てて自分の中のモヤモヤをもっともっと吐きだしてください。
【追記】
死ぬ勇気が無かったのは私もです。
いつかきっと笑える日がきますよ。
まずは、誰かに頼ってください。
ここでもいいので、思いの丈をぶちまけてくださいね。
幾度と迷いの連続の人生はすべて意味あるものであった。自分自身のドラマという主役を見事に演じたのである。
世の中に無意味なものなど一つも無し。
しかし、自死するもの迷いの霧から抜けることはできないのである。
合掌
あなたの仕事は素晴らしい仕事です。
苦しむ人たちを救う素晴らしい仕事です。
私自身も何度か入院して、その度に救われてきました。
あなた達のお陰で今の私達があります。
そのことを忘れないでください。
できることだけ、ただ自分ができることだけ、それだけをやったらいいのです。
恥ずかしくても、プライドが邪魔しても、できないことはできないと周りの人に言って周りの人に任せてください。
知らないことは知らないと周りの人に言って周りの人に聞いてください。
決して一人で仕事を抱え込んではいけませんよ。
職場に行ったらお客さんに話しかけてください。今日はどんな調子か聞いてみましょう。
あなたが向き合うのは部下ではなく、上司ではなく、お客さんです。
お客さんに優しく接してください。
お客さんの為にできることに集中してください。
部下の人間関係など二の次です。
お客さんを真っ直ぐに見てください。
先ずはそれが一番大切だと思いますよ。
南無阿弥陀仏
浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏をとなえて、極楽浄土に往生したいと願うならば、その人は、臨終の時に阿弥陀仏の力で極楽浄土に往生させてもらえると考えます。
そして、諸行無常。人はいつ死ぬかわかりませんから、毎日「南無阿弥陀仏」の念仏を称(とな)えるようにし、しかも、毎回の念仏を、最後臨終の念仏のつもりで 称(とな)えます。
結果的に命が延びて明日も念仏できるなら、それはそれで良いのです。
なぜなら、念仏も仏道修行(善行)の一つなので、念仏すれば善行の功徳が積もる(心に善い癖がつく)のですから。
日本における浄土宗の開祖法然上人は、
「生きれば念仏の功徳がつもるし、死ねば浄土に往生できるのだから、生死ともに思いわずらうことはない。」
と言われています。
南無阿弥陀仏は、安らかに死ねるだけでなく、安らかに生きる道でもあります。
往生極楽に向かう南無阿弥陀仏の道を歩く私達。
その真っ直ぐ続く白い道の左右には、欲の水の河と怒りの炎の河がある。どちらも激流。
白道を歩く私達には、欲の波や怒りの波がザブーンとふりかかり、白道から欲・怒りの激流にすぐ転落しちゃう。
しかし、そこで南無阿弥陀仏と 称(とな)えるとあら不思議。
旅人(心)は瞬時に白道の上にテレポート。激しい欲・怒りから抜け出せるのです。
私達は、毎日欲・怒りの激流にのまれますが、その度に「南無阿弥陀仏」で白道にもどれば良いのです。
「死にたい」ときは、現実に対する怒り(嫌だ・ムカつく・悲しい)の激流ザブーンのときです。
大丈夫、南無阿弥陀仏で白道に戻りましょう。
いつ死んでも極楽に往ける、生きてるときは白道に戻れる。
大丈夫です。
あと、念仏している人は、死ぬ瞬間は阿弥陀様が迎えに来てくれるので、死ぬ瞬間は断末摩の苦しみから解放されると、書物には書かれています。
断末摩ね苦しみとは、末摩という、全身にあるツボみたいなところに死ぬ瞬間に生じる苦しみだそうです。
念仏者にも末摩はありますが、そこに生じる苦痛を阿弥陀様は取り除いてくださるので、安らかに臨終を迎えられるのです。
心の休息
maruo様
一度、心療内科を受診されます事も。
躁鬱的なことがやや心配でごさいます。
少し心の休息が必要であるのかもしれません。
あまりご無理なさられずに。
川口英俊 合掌
これから
拝読させて頂きました。
生きている中で辛い思いをなさっておられるのでしょうか。
あなたがこれからの人生を安心なさって心安らかに全うなさり、その後必ず仏様に導かれて仏様のお浄土に生まれ変わり、一切の悩みや苦しみから救われて心穏やかに円満になられますようにと切に仏様にお願いさせて頂きます。そして真心を尽くしてお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
あなたもどうか仏様にお救いくださいと真心を尽くして願いお念仏おとなえなさってくださいね!
あなたの願い私の願いは必ず仏様に届きます。
あなたはその天寿を全うなさる時には必ず仏様がお導きなさってくださいます。
どうかこれからの人生は仏様を信じて心から仏様にお向き合いなさってお念仏おとなえなさってください。
あなたがこれから心穏やかにその天寿を全うなさり仏様にお救い頂きますようにと切に仏様にお祈りさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
質問者からのお礼
死ぬ勇気すらない
今日の仕事が奇跡的にこんなに早く終わった。
明日が来るのが怖い。
生きる意味を悟っていて死なない訳じゃない。
ただ飛び降りる勇気がないだけ