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虚無感

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こちらのサイトをよく拝読させて頂いては成る程と思う事が多く、また一つ疑問が生まれましたので質問いたします。
お坊さん方は日々のお勤めが急に虚しくなることはあるのでしょうか?少々ややこしい質問かもしれませんが、そんな気持ちになる事がありましたらどの様にして脱却しているのかとか、気になります。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

【五蘊盛苦】飽きる

”日々のお勤めが急に虚しくなることはあるのでしょうか?”
あるよー(笑)

勤行をはじめ、お寺さんの日常の意義や意味は、模範解答をしようと思えばいくらでもできます。でも、なんだかゲシュタルトが崩壊するような感じで、ふとその全体性を見失ってしまうような瞬間はままあるものです。なんて言うとちょっとかっこいいのですが、完全に普通に飽きます。

”どの様にして脱却しているのか”
だれでもしているような、ごく普通の気分転換ですね。
責任問題として、自分の気分ひとつで葬儀や法事を途中で突然中止する事はしませんが、そうでなければ、手を休め、頭を休め、心身を整えます。他には、メガネやカバン、数珠などのちょっとしたアイテムを新調したりして、どうぞこうぞ自分を励まします。

どれだけ善い事をしていても、どれだけ必要な事をしていても、どんな使命感も達成感も感動も、やがて冷めてしまうのが人の常。喜ぶべきを喜べなくなるのは【煩悩】の所為です。でも、煩悩を消滅させるのはなかなか難しいので、できるだけ上手に付き合っていこうと私は考えています。

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おきもち

【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
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虚しくなることは無いですね。
常に今できること、今やっていることに専念しています。
例えば今はハスノハの回答に専念していて虚しさを感じる隙はありません。
あなたも今できること、今やっていることに専念してみてはどうでしょうか。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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無限ループする落ち葉掃除、草引き、草刈・・

にににに様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お寺のお勤めには色々とありますが、日常勤行や法事、法務など、仏法を扱うことは大丈夫なのですが、その中でも掃除をしていますと、たまに虚しくなることが・・

特には、無限ループする落ち葉掃除、草引き、草刈・・これは本当に死ぬまで変わらずにループし続けるため、たまに嫌気が差してくるのであります。

しかし、最近は、落ち葉掃除、草引き、草刈の際には、Bluetoothのイヤホンをして、ダライ・ラマ法王様のご法話や、現在通信受講しているポタラ・カレッジさんの講座の拝聴など、仏教を学ぶことに役立てており、そうすると、気が逸れて、何とか保てることができています。

嫌なことでも、工夫して意義のある時間へと変えてみることをお勧めいたします。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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 むなしくなることかぁ..あまりないなぁ。

 仕事が終わって、「ああ疲れた」と言わずに「今日はがんばった」といいかえるだけでも、むなしさが軽減されるようです。

 ふたつほど言葉を紹介しますね。

・「何やってんだろ、今の私(俺)、とか言って自分を責めたり、情けなく思わなくていいからね。人生なんか90%は無駄なんだから。あとの10%でカバーしているだけなんだ。だから、大いに無駄していいよ。」(直木賞作家の志茂田景樹さん)

・「人生はらせん階段だ。同じ所を回っていると思っても、上に登っている」

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おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

三宅聖章様

回答ありがとうございます。今やってる事そのものに専念する、これはすごく大切な事ですよね。今に虚しさを覚えるくらいなら虚しくならない時間の使い方を考えるのも大切ですよね。気付けて良かったです。ありがとうございます。

転落院様

この様な気持ちも煩悩なのですね!驚きました!飽きる、というのはかなり根源的な感情の様におもいますし、これを感じなくなるというのは確かにむずかしいですよね。上手く付き合えるように工夫していく事はよく考えると楽しそうだな、と回答を読んでいて思う事ができました。ありがとうございます。

川口英俊様

回答ありがとうございます。毎日続く無限ループ…まさに私が感じていた感情です。お寺さんは特にお掃除大変ですよね。道場の掃除を毎日やっていてちょっと嫌になった高校時代を思い出します。ですが毎日やらねばならない事が決まっているならそれをどの様にやっていくか考えることの大切さを回答から気付けましたし、思考を棄てた先に苦痛になるレベルの飽きがあるのかな、とも思えました。私も飽きに工夫して向き合いたいです。ありがとうございます。

光禪様

回答ありがとうございます。
突き詰めて考えてみればむなしくなることの定義が自分の気の持ちようなのかなとも考えさせられますね。確かに今日のがんばりをそのままに認めることができれば気持ちが軽くなりそうですよね。極論自分の気持ちが嫌になろうと良くなろうと他所様に迷惑がかかるわけでもありませんから気が軽くなる方をとっていきたいですね。「人生は螺旋階段」、これ目から鱗です。紹介してくれてありがとうございます。そういうものだと割り切る言葉にはいつも勇気をもらえます。相談できてよかったです。ありがとうございます。

「虚無感・空虚・毎日が虚しい」問答一覧

寂しさや虚しさに向き合うこと

こんばんは。 最近、訳もなく寂しさや虚しさを感じることが増え、何故なんだろうと思い質問しました。 例えば誰かと一緒にいる時、楽しいはずなのに「寂しいな」と感じてしまったり、目標に向かって頑張っている時、ふと「虚しいな」と感じてしまったりします。 昔からそういう感覚はありましたが、最近になってそれが顕著になり、どうにも気力が続かない日々が増えたように思います。 私は26歳の独り身で、ある程度社会人生活にも慣れ、周りが結婚や出産といった新たなライフステージを進んでいく年代になっているため、漠然と将来に不安があるのだろうなとは思います。 私は今まで恋人がいたこともなく、結婚に対してあまり良いイメージを抱いていないため、誰かと人生を歩む未来を上手く想像できません。これから仮に一人で生きていくとなっても、自分が納得しているなら別にそれでいいと思っていました。 けれど、あと何十年も、自分が生きるためだけに汗水垂らして必死になって働いて、果たして私はこの寂しさや虚しさに耐えられるのだろうかと不安になります。 よく「自分のためではなくて、他人のために行動しなさい」と言われますよね。 私自身も、誰かの役に立てた時、心から嬉しいし、満たされていると感じられる気がします。 だから、というと押し付けがましいですが、周りの人たちには感謝していますし、優しくしてもらった分私もたくさん返していきたいと思っています。 義務感からではなく、本当に大切にしたいと思える人に、そう接しているつもりです。 それでも「虚しい」と感じるのは無意識に見返りを求めているからでしょうか。 「寂しい」と感じるのは、やっぱり一人に耐えられなくて、誰かを羨んでいるからでしょうか。 私は、結局自分のことばかり考えている利己的な人間なのでしょう。そんな自分に辟易とします。 いつか自分を好きになりたいと思いながら日々を生きています。自分の良心に従って、自分の気持ちに素直に生きようと考えて日々を生きています。 そしていつか、誰かを愛することができたら、私は満たされるのかもしれないとも思います。相手がいるからどう、という訳でもないかと思いますが。 こういう「寂しさ」や「虚しさ」はきっと死ぬまで付き纏ってくると思うのですが、お坊さんたちはどのような心構えで向き合ってらっしゃるのか、ご意見をいただきたいなと思います。

有り難し有り難し 13
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虚無感に苛まれています。

3年前に母が乳がんであることが分かりました。 でも母は告知されたのにも関わらず一人息子の私に何も告げず職場にもずっと隠していました。 看護師という職業柄なのか父が癌で亡くなっていて壮絶な闘病生活をみてるからなのか分かりませんが自分一人で抱え込み誰にも癌のことは言いませんでした。 そして2年前から出血が酷くなり大きな病院での診察をきっかけに僕に乳がんであることを打ち明けてその時点で私は知りました。 僕は必死で母の通院や入院の際の送り迎えや書類関係の手続きを、一人で行ってきました。何とか母に生きてほしいという一心で仕事も出来ず辛かったですが必死で頑張ってきました。 ただ、母からは黙っていたことへの申し訳ない気持ちや送迎や書類関係の手続き等に対して「ありがとう」や「ごめんなさい」、「悪いね」ということを言われたことが無く、「親の介護をするのは当たり前だ」と常々言ってきたので不遜な態度でいつも我儘をずっと言ってきて、何とかそれに答える気持ちで対応していました。 でも母は昨年の2月にお隣に住む方から借金をしていることを知りました。生活費や治療費が足りないと泣きついたそうです。 それをお隣さんから聞いた時、今まで母の為に一生懸命看病してきて自分なりに頑張ってきたのに猛烈に裏切られた気持ちになり、家を飛び出してその当時お付き合いしていた女性宅に転がり込みました。 母と大好きで10年連れ添った愛犬を実家に残して。 その4か月後母は入院先の病院でたった一人で亡くなりました。葬儀もせず無縁仏の状態で役所に遺骨は保管されています。 愛犬もすごく大事にしていたのに、母が最後に入院する際どなたか分かりませんが譲渡したと病院職員から聞いています。 今、スマホのカメラロールを見ると愛犬が出てくるたびに悲しく虚しい気持ちになって胸が張り裂けそうです。 愛犬はどこで何をしているのか。また今生きていれば14歳になるので元気なのだろうか。もしかして亡くなっているのではないだろうか。 母と愛犬を見捨てる形で家を出てきて、もう1年半ほど経ちますがずっと心の片隅にモヤモヤしたものが残っています。 12月からは地元を完全に離れて東京に行きます。地元にいると上記のことを含めて嫌な思い出が蘇るのです。 本当に虚しく寂しい気持ちが心を蝕んでいきます。

有り難し有り難し 20
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学会で虚しさ、疲れ。全てが嫌に。

いつもお世話になっております。 私は今、とある学会に出るために、はるばる関東から、北国の地に来ております。今日はその学会で発表したり、色んな先生たちとお会いしました。ただそれだけのことですが、どっと疲れており、悲しい気分になっているので、お助けを求めて、ここにまいりました。 私も皆んなも、好きで始めた研究なのに、そこは純粋に学問をする場というより、人脈を広げたり、根回しする場になっていると感じました。表面的な会話に絶望していますし、なんか自分はこういう感じに人と関わるのは無理だと思いました。他の人たちが研究者同士、ワイワイやっている中、私はひとりぼっちで疎外感を感じました。発表を聞いてくれた方々には感謝、学会の準備をしてくれた方々にも感謝ですが、なぜか変な満たされなさと疲れがあります。 なぜ学会のことだけで、と思うかもしれませんが、学会が終わった後、なんかもう色々な社会的なことが嫌になってしまい、誰とも会いたくないし、これ以上何かを目指して生きるのは無理だ、という気分になっています。本当は、自分のキャリアや家族の問題でやらなきゃいけないこと、考えなきゃいけないことがたくさんあるのに、もう無理だ、と人生に降参したくなっております。 明日は学会2日目なのですが、もう帰りたくなってしまいました。もう誰にも会いたくない、もうこの感じ無理だわ、と思います。カフェで1人で本でも読んでた方が、よっぽど豊かな時間になりそうです。なんで突然こんな気分になるのか、戸惑っています。こんな私に、お言葉いただけたら嬉しいです。

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大勢に流されるだけの無力な塵

「何をしたところで、自分の命など他人次第でしかない」「結局は圧倒的な力で簡単に殺される」という事実に無力感を抱いています。 官僚もメディアも利益重視なので日本はもう沈むだけですし、今は救命ボートに誰を乗せるか、誰を蹴落とすかの時代です。だから、生き物が元々持っている「価値の無いものへの差別的感情」が抑えきれません。労働が「ただの苦役」でしかないから誰もが最低限の仕事しかできず、終わりゆくこの国を救う革新的な方法を誰も編み出せません。私を含め、誰もが、「自分が被害者だから救って欲しい」としか言えないからです。 現実を見れば見るほど「ものすごいスピードで進む、いつ先がなくなるかわからない、けれど先がなくなることだけは確定しているトロッコに乗せられているだけ」という感覚が強くなるため、自分の生活に集中したくなります。しかし、それでは逃げるタイミングが見極められずに沈んでしまいそうで恐ろしくもあります。 私よりもずっと賢くて優秀なはずのたくさんの人が「もう日本は終わりだ」「戦争は避けられない」と言っていて、誰も解決策を見出せていないのだからきっとそうなのでしょう。私は、他者を害しなければ生存を保つことができない「生き物」そのものに強い不信感を抱いているため、どれほど恵まれようと、一生働かなくてもいい程の富を持っていようと、漠然とした絶望感を抱き続けるのだと思います。そして、現代はその絶望感を煽る事実ばかりが蔓延する時代です。 頑張らなければ生きられないのに、頑張ったところで生きられるとも限らない。結局、他人に対して「自分を生かす価値」を証明できるかどうか。そして、それさえ押し流す国家間戦争や自然の強大な力だってある。「殺される」という気持ちばかりが強くなっています。 「生きない」ことが最善で、全生命が同時に安楽に死滅するのが最も賢く幸せだという思いは10年近く変わってはいませんし、きっと一生変わりはしません。私自身がまともに働いて生きるという当然のことができない人間なので、子供を持つつもりは一切ありません。自分に安楽な老後があるとは一切思っていません。ただ、希望のないこの世界が続いていくのがどうしても腹立たしくて許せなくて仕方ありません。死んでもどうせまた生存競争の中に放り込まれる。やがては太陽と共に死滅する。そこらの塵でしかない自分を惜しんでしまうのが嫌なのかも。

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毎日が虚しい、悲しい、もうやだ

長文になりますが読んでいただけると嬉しいです。 のこと申します。今年21になった女です。 去年結婚し、現在は失業保険を貰いながら規定内でパートをしています。実質専業主婦みたいなものですが、夏頃までにはと、正社員での就職を目指しています。 最近無性に孤独でたまりません。 旦那と結婚式の話をした時、自分だけ呼べる人が誰もいないことに気づきゾッとしました。 10代半ばから今まで、苦しいことだらけでした。いじめ、不登校、大量のアームカット、援交、風俗、中絶、家庭内不和、と人には絶対言えないようなことをたくさん経験してきました。 逃げるように結婚し、今はだいぶ落ち着きましたがやはり頻繁に苦しくなります。過去の後悔、今後の不安、周囲への申し訳なさ、相談相手のいない孤独から押しつぶされそうです。 だけど、今まで起きた苦しいこと全て、自己責任です。 もともと友達もたくさんいて、家庭も裕福で、幸せだったはずなのに、何が気に食わなかったのか、自分でそれを壊してしまいました。 学歴も高卒で、職歴も大したものではなく、友達とも全員縁が切れている、こんな状況にしたのは全部自分です。 誰にされたでもなく、全て自分でやりました。 癖がついてしまったのか、今でもわたしは自分を不幸にする選択をしてしまう時があります。頭ではわかっているのですが、無意識に、そうしてしまうのです。 苦しいです。 やりたいことも頻繁に変化し、自分が何をしたいのか全くわかりません。 自分がどこへ向かっていくのか不安でたまりません。死んだ後地獄に落ちても構いませんが、せめて生きている間は幸せでいたいです。 わたしは一体どう生きたらよいのでしょうか?このまま生きていくと廃人になる気がしてなりません。 私なんかと結婚してくれた旦那には申し訳ないです。 消えてしまいたいです。 支離滅裂な文章でごめんなさい。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ